スタジオとストリート

 ユキちゃんがスタジオを押さえたからというので、ギターを背負って久々にこの界隈を歩いている。以前はハイソックスを見かけたということで何度か張り込みをしてみたけれど、結局は空振り。すっかりやる気を削がれてしまって、それ以来ここには来ていない。といっても時間的にはひと月もたっていないのか。何となく不思議な感じを抱きながらユキちゃんとの待ち合わせ場所に。わざわざスタジオでなくてもよかったんだけどなあ。

「ユカちゃんが押さえてたみたいなんだけど、用事が出来ちゃったみたいで」

「急で大丈夫でした」

「まあ、僕のほうはいつもヒマだから」

「お姉さんは今日も仕事ですか」

「違うみたいだけど、出かけていった」

「忙しいんですね」

「そんなこともないよ。いつも休みの日は家でウダウダしてるから。今日が特別」

「そうなんですか」

 ユキちゃんは少し急な階段を下りていく。ここがスタジオなんだ。

「ソフトケースなんですね。ヴィンテージって聞いてたのでハードケースかと」

「ハードケースに保管してるけど、重いし扱いが大変で。これは持ち運び用」

「わかります、何となく」

 ユキちゃんはスタジオに入るとセッティングをはじめた。ふと今日は普通の恰好なんだと思った。ジーパンにTシャツ。僕はギターにアンプをつないで軽く鳴らしてみる。

「クリアーなトーンでいいかな」

「とりあえずはそれでやってみましょう」

「軽くリバーヴをかけるね」

 ユキちゃんもリッケンバッカーを鳴らした。いい感じだ。

「マイクをチェックしてください」

 ユキちゃんはPAのミキサーをいじっている。

「そういえばさっき会ったんです、ハイソックスさんに」



「もうやめちゃったの、謎解きは」

「謎解きって」

「あの写真の。場所わかったんでしょう」

「気にはなってるけど」

 あの時は興味なさげだったのに、どうしたんだろう。嫁はトマトソースのパスタを口に運びながら僕を見ている。

「あの写真を撮ったのは誰なの」

「多分旦那だと思う」

「それじゃだいぶ前だね」

「そうなるかな。あの人が出て行ってからもう2年ぐらい経つし」

「旦那さんとハイソックスは知り合いなのかな」

「そんなことわからないよ。実質夫婦だったのは半年ぐらいだし」

「あの人がどこで何をやっていようと興味はなかったから」

 僕も嫁と会う以前のことは何もわからない。あいつも話したがらないし。旦那に関するものはすべて処分しちゃったみたいだし。

「あれからハイソックス見かけてないよね」

「見てないよ。あなたもでしょう」

「結局現れなかったし」

「ねばってたのにねえ」

 嫁は残ったパスタソースにパンを浸して食べている。

「ベーコン美味しかった。こんどはカルボナーラがいいかな」

 あいつはそう言って満足気に白ワインを飲む。

「明日はちゃんとスタジオに行ってね」

「わかってるよ」



 ギターを背負って駅前のほうに歩いていく。ユカちゃんがストリートで歌うらしい。

「そのために押さえてたのかな」

「多分違うと思う」

「ちょっと練りたかったって言ってたから」

「でも、めずらしいよね。ドラマーでシンガー・ソングライター」

「意外と多いらしいですよ。あたしはユカしか知らないけど」

「反動みたいなもの」

「そうかも」

 ストリートをやっているからといって常に人だかりができているわけでもない。だからといってただ度胸試しに歌っているわけでもない。それを考えると、美咲ちゃんはファンが多い。ユキちゃんもライブのたびに足を運んでいるわけではなく、今日はたまたまスタジオの件があったからだという。

「最初はメンバーにも内緒でやってたんです」

「知り合いがいるといやみたいで」

「人それぞれですよ」ポテトをつまみながらユカちゃんが言う。

「ジャンクなものは好きじゃないですか」そう言ってハンバーガーにかじりつく。

「嫌いじゃないけどあまり食べないかな」

「ユキと同じですね」

「あたしは無性に食べたくなる時があって。いまがその時です」

 ユカちゃんによるとよく嫁を見かけるという。

「ずっと前から。いつもあの野郎と三人で」

「あの野郎って」ユキちゃんがユカちゃんにきく。

「キザな奴がいるじゃない、長髪の」


「この写真誰が撮ったかわかるの」

「多分嫁のダンナ」

「それじゃあなた」

「違うよ。前のダンナ」

「その人は今どこにいるの」

「行方不明」

「そんなわけで、僕らは書類上夫婦ではないんだ」

 ハイソックスは黙ったまま写真を睨みつけている。

「それは君なの」

「引き延ばしてみたけど、よけいにぼけちゃって」

「元の旦那さんてどんな人だった」

「わからない。僕が嫁と会ったのはダンナがいなくなってしばらくたってからだし。写真とかもないから」

「あいつはダンナの話はほとんどしないし、僕も聞きたくなかったから」

「そうだよね」

 ダンナの写真がないのは僕に気を使ってくれてるからと思っていたけど、どこかにしまい込んであるのだろうか。あのカメラと同じように。

「でもどうして僕が持ってるって思ったの」

「ある人が教えてくれたの。それ以上は言えないけど」

「仕事がらみ」

 ハイソックスは返事をしなかった。

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