ブロウ・ダウン!

阿紋

公園の散歩、黒マント

 公園の散歩。毎日の日課。というより、ただの時間つぶし。何がしたいわけでもない。今まで生きてきてわかったことは、僕は勤め人には向いてないということ。そして思いがけない才能があったということ。恋愛に関してはどうしようもなくダメだと思っていた僕は、友だちと同様に2次元に逃げていた。ところが僕はそんな友だちさえなくしまう。僕に湧きだしてしまった素朴な疑問のおかげで。2次元のキャラってみんな同じじゃないの。そう思ったとたん友だちはみんな、僕から離れてしまった。

 そんなとき僕の前に一人の女性が現れた。会社勤めで得たものは彼女と知り合ったことぐらい。そう、僕は物凄く運がいい。

「あなたがいてくれればそれでいいの。あたし頑張れるから」

 本当にそれでいいのだろうか。僕なんかで。結局僕は会社をやめちゃったし。家事ができるわけでもない。僕と一緒にいて得することなんて何もないはずなのに。

「それがいいのよ。あなたといれれば」

「僕は何もしてあげられない」

「そんなことないよ。あたしのこと好きでしょう。それでいいのよ」

 たしかに美人ではないけれど、僕はあいつを可愛いと思う。でも僕に同意する人は意外に少ない。たった一人、僕に同意してくれる男がいた。ところが、その男はあいつに振られてしまう。不条理じゃないか。、どう考えても。すべてにおいて、その男は僕よりも上のなのに。僕の考えに唯一同意しない人間。それがあいつ、僕の嫁なのである。


 ロディ・フレイム。あんなふうに曲がかけて、ギターが弾けて、歌えたら。

「あなたの歌もすごくいいよ」

 そんな風に言ってくれるのはこの世の中に一人しかいない。

 僕はヒモなのか。でも、一般的なヒモのイメージとは違う。僕はあいつを支配していない。支配されているのは完全に僕のほうだ。もしかしたら、僕はあいつのペットなのか。

「俺はお前の犬になる」僕は好きな女にそう言った男を知っている。

 でもそいつは犬にもなれなかった。ストーカーとして女の飼っている犬につきまとわれ、四六時中犬に監視され、追い払われた。何でまたそうまでして、その女に執着するのか。女はほかにもいただろうに。いつも汚いものを見るような目で見られては追い払われていたじゃないか。

 その男は背後から女の髪の毛を食べたということで現行犯逮捕された。

「お前と俺でどう違うんだ」

 その男が殺気立った目で僕に言う。僕は執着していないし、髪の毛も食べていない。うしろから抱きつかれたのは僕のほう。つくづく僕は運がいい。

「ねえ、今度ライブやってみない。同級生がストリートで歌ってるの」


 今日はいつもより日差しが強いような気がした。公園には黒い帽子をかぶった人、黒い日傘をさした人、そして黒いマントを着た人。ひと言で黒といっても、こうして比較してみるとそれぞれ違った黒ということに気づいた。黒い帽子の黒は赤味がかっているように見えるし、日傘の黒は青味がかっている。そして黒マントの男は色褪せて灰色がかっている。黒マントの男。不用意に男にしてしまったが、果たしてあの黒マントは男だったのだろうか。先のとんがった黒い帽子をかぶり、メガネをかけていた。あのマントを広げると、制服を着た女子高生が現れたりはしないか。僕の見ている位置からは比較するものがなく、身長を推測することもできない。何故黒マントなんだろうか。黒いとんがり帽子までかぶって。

 僕は何気に黒マントを追いかけていく。みんな黒マントに気づいているのだろうか。誰も黒マントを見ていない。なんて穏やかな昼下がり。公園の入口あたりで僕は黒マントを見失う。

「黒マントを着ている人なんて本当にいたの」

 あいつは僕に言う。あいつも公園にいた人たちと同じなのか。

「誰かに聞いてみた。あなたの近くにいた人に」

 あいつは僕がそんなことができないことを前提に話をしている。ニヤリと笑いながら。

「でも楽しい。あなたといると」

 そして間違いなく僕の言ったことを信用していない。

「それより驚かなかったの」

「何を」

「玄関のところで呼び止められたんでしょう」


「もしかして、ストリートミュージシャンのひとですか。ひかりの同級生っていう」

「………」

 不意をつかれている、不意をついたつもりで。でも何かそんな感じがする。この辺ではあまり見かけないけれど。どっかの駅前で見たような。

「ギターは持っていないんですか」

 その女性はちょっと高そうなバッグを肩に引っかけている。でもこれじゃひったくられてしまいそう。このバッグじゃ斜めがけはできないだろうし。

「返してくれますか」

「ひかり、あなたに借金か何かしてました」

「でも、僕に言っても無理なんですよ。僕もお金ないんで」

 女性は僕をじっと睨んでいる。この時点で僕はこの女性があいつの同級生ではないことを察した。それでも僕は言い訳をしてしまう。

「聞いていませんか。僕いまプータローで、あいつに養ってもらってるんです」

「何言ってるの、あなた」

「カメラ出してください。さっきあたしのこと撮っていたでしょう」

 えっ、何を言ってるんだ。見ればわかるじゃない。僕は何も持っていない、手ぶらだよ。物を隠せるような服も着ていない。

「どこに隠したの」

「あたしずっとあなたのことつけてきたんだから」

 それならわかってもいいはずだけど。

「ずっとつけてきたんですよね」

「公園から」

「何かを隠せるような場所なんてなかったでしょう。それに僕は公園からずっと手ぶらだったし」

 女性は怪訝そうに僕を見ている。頭の上から足の先までなめるように。


「今どきフィルムのカメラなんて持ってる人いると思う」

「いないよね。よっぽどのマニアじゃないと」

「その人はネガを渡せっていうんだ」

「あなたちょっと今日おかしくない。その人とか、黒マントの人とか」

 もしかしたら同一人物。少なくても関係者だろうか。僕がそんなことを考えていると、あいつはあきれ顔で立ち上がってキッチンのほうへ食べ終わった食器を持っていく。

「後片付けはあたしがやるから、お風呂でも入ってきたら」

 あいつにそう言われてしまうと、もう僕には選択の余地はない。

 僕は風呂場のほうに歩いて行って、ふと気づく。そうだ、今日はまだ風呂を沸かしていない。しかたなく僕は風呂の掃除をはじめ、浴槽に水を張ってスイッチを入れる。そういえばあの女性はどうしたんだっけ。去り際に何か言われた気がするけど聞き取れなかった。

「お風呂どうだった」

「いまスイッチ入れたばかりから、まだ冷たいかな」

「そう」

 そう言ってあいつは風呂場のほうに歩いて行く。僕は蚊取り線香に火をつけた。頭の中でローリングストーンズが鳴っている。黒マントの女。でも、何でストーンズ。

 しばらくして、あいつが戻ってきて冷蔵庫を開けてアイスモナカ取り出した。風呂大丈夫だったのかな。それとも、シャワーだけにしたのか。

「山羊の頭のスープ」

「恐怖の頭脳改革」

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