最終章 10.突風
「私は大丈夫よ! 船が……それにあの足……」
リラが言う通り、あの黒い足の力でどんどんとこの船は船尾を下に傾いていく。
このままだと海に完全に飲み込まれてしまい、そうなればゴル帝国へ上陸さえも危ぶまれる。
時間がない今、それだけは決して阻止しなくては、
腰から剣をすぐに抜き、斜めになりながら大きく揺れる船の上で、あの黒き足へ向かって行く。甲板が下り坂のようになっている今、速度を上げて滑るように進む。
「おい、今度は先は行かせねぇ!」
気が付くと自分と肩を並べる様にエダーが隣にいた。
彼も剣を抜き、あの細く長い足へ上手く周囲の物を掴みながら向かっている。
後方からはグダンやまだ動ける兵達が自分らを追いかける様にこちらへ向かって来ていた。
いち早く足元へたどり着いたエダーと共に、その巨大な黒足に剣を勢いよく振り落とす。
だがそれはとても頑丈で、ちょっとやそっとでは切り落とせるものではなかった。
関節がいたるところにあり、まるで巨大な虫の足のようだった。
その足先には切れ味の良さそうな鋭いが刃物のようなものが生えており、甲板へそれを突き刺し、船に足を固定させている。
「おい、ケイスケ! かがめっ!!」
突然エダーが目前でこちらに剣を振ってきた。
思わず頭を下へ落とすと、エダーが何かを切った音がした。
即座に背後へ振り向くと、黄色味を帯びた血液を出しながら退陣していくあの足と、エダーが切り落とした鋭い刃先が付いたものが足元に落ちていた。
すると、先程まで船へ張り付いていたあの薄気味悪い多くの足が、まるで攻撃を開始したかのようにその足先の
素早くまた剣を構え、その足を幾度となく薙ぎ払うが、次々にまたそれは四方八方から素早く攻撃を仕掛けてくる。
波で足場が揺れ動く中、エダーやグダン達も必死に剣を振り、この船を守っている。その中にリラの姿もあった。
すると、そのいくつも攻撃してくる敵足のうちの一本が、帆の舵操作用である太い縄をスパッと切ったのだ。
「帆が……!」
リラが上空へ向かって叫ぶ。
一気に帆が風になぎ倒されるかのように大きく方向を変え、船はより酷くそのバランスを崩した。
突然のその動きに耐えられず、どうにか繰り返していた攻撃さえも不可能になり、皆、顔を歪ませそれぞれ近くの縄や柱へ急いでまたしがみ付く。
辛うじてまだ足は甲板へ踏みとどまっているが、目の前はまるで滑り台のようだ。
すると今まで海中にいたそれは、その黒き足をひとつひとつ甲板へゆっくりと前進させながら這い上がり、ついにその姿を船上へ現した。
「蜘蛛か……!?」
それはとてつもなく巨大で全身が黒く、体のほとんどが脚からなるという奇妙な姿だった。
多くの足が生えている胴体の口には、いくつもの鋭い牙がずらっと並び、光さえも持ち合わせていない目が八つある。
その姿は
その気味の悪い魔物は、ぎらつく牙を見せながら、口を大きく開く。
この重力に負け、力を失った人間から拾い食べてしまうかのようだった。
リラやエダー、グダン、他の兵士達も、その恐ろしい姿を目の前に、顔に苦痛を
このままでは時間の問題だ。
何か方法があるはずだ、この窮地を救う何かが。
その時、頬を優しく撫でるような優しい風を感じた。
『思い出せ、風の力を』
聞き覚えのある誰かの声が頭に響く。
――シルフだ。
「エダー! 動けるか!? オレがこの蜘蛛を引き付ける! その間に傾いた帆を元の位置に戻してくれ!」
――そうだ、まだやれる事がある。
エダーに叫びながら、近くにぶら下がっている紐をすぐさま掴み、助走を付けて走り込むように勢いよく駆け、そのまま飛び出すかのように黒き足へ剣を振りかざし、切り落とす。
「何か考えがあるようだな……、お前に賭けてやるよ……!」
するとエダーは縄から縄へ素早く移りながら先程敵に切られ垂れさがっている帆の操作縄まで移動し、その太い縄を手に掴かんだ。
「ふんっ!」
顔中に血管を浮き上がらせながら、必死に縄を引っ張り、彼の何倍もの重さがあるはずの帆がゆっくりと動き始める。
その間にも目の前の大蜘蛛は、次々にその足の刃先を掲げ、こちらへ攻撃を仕掛けてくる。
「ケイスケ! 援護するわ!」
そんな中、背後から縄を伝ってやってきたのかリラが素早い身のこなしで応戦を始めた。
彼女の清く真っ直ぐなその細き剣で、どす黒いあの足を切り落とす。
二人で幾度となく繰り返されるその攻撃に挑むが、徐々に体力を奪われていくのが分かる。
まだ帆はこちらへ向ききっていない。
すると、周りにいたグダンや外の兵士達も縄や柱、壁を伝いながらエダーが握る縄までたどり着き、共に縄を引っ張り始めたのだ。
大勢の力が加わり、徐々に白い帆が静かに動き続け、ほぼ元の位置に戻りかけている。
「シルフ、お願いだ、力を貸してくれ……!」
するとその思いが届いたかのように、微風だった周囲の風が段々と強風へ変わり、吹き荒れ始めた。
次第に握り締めているこの剣が白き光を帯び始め、その荒い風がこのホリスト鋼の剣へ渦を巻いたかのように吸い込まれていく。
それはとてつもなく重い風だった。
そんな剣を小刻みに震える右腕で力強く、あの巨大な黒い蜘蛛へ突き出した。
すると背後から身体中の力を振り絞ったようなエダーの声が届いた。
「ケイスケ! 今だ、行けっ……!!」
一瞬無風の時が訪れたかと思うと、一気にあの帆へ向けて弾丸の如く、突風がこの剣から弾き出された。
次の瞬間、火薬を爆発させたかのようにあの魔物目掛けて直撃し、その黒き足が船尾からついに外れたのだ。
そして、敵と衝突して逆風となった風が、皆が必死な形相でこちらへ向けた帆がそれを即座に受け止める。
すると一気に重たい何かがこの体へ圧し掛かった。
――重力だ。
この帆船は海から弾かれたように空へ向かって浮き上がり、あの巨大で黒い蜘蛛がこの船から遠のいていく。
「落ちるぞ……!!」
エダーの大声が響くと、すぐに船は降下し始めた。
その瞬間、足が宙に浮き、エダーやグダン達も死に物狂いで先程の縄へしがみつき、体を船外へ飛ばされなよう食らい付いている。
リラも必死にその華奢な腕で縄を掴んではいたが、勢いよく飛んできた樽に衝突しかけた彼女は、縄からその手を外してしまった。
「リラ……!」
「ケイスケっ……!!」
下から打ち付ける風に体当たりを繰り返しながら、宙を舞う彼女の元へ必死に手を伸ばす。
もう少しだ、もう少しで彼女を掴める。
――その時だった。
この帆船が海上へ着水した。
とんでもない衝撃と揺れがこの体を直撃する。
その時に一瞬見えたのだ。
海に叩きつけられそうになったリラを目にも見えぬほどの速さで誰かが抱き抱え、連れ去ったのを。
体の痛みに耐えながらもどうにかこの身を起き上がらせ、夕日を背に立ち、逆行となっている黒き影のその人物と向かい合った。
その男は、上下に揺れ動く黒き大きな鳥の上に浮かんでいた。
茜色に染まる夕日と同じ髪色を持つ長髪の男、それは――
「……バーツ!」
「ふ~、あっぶな~。リラちゃんの窮地に参上やで!」
リラを空中で受け止めたのはいつものように機嫌良く笑うあのつり目の男だった。
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