第一章 5.ホリスト族の神話

 敬介は馬車の荷台に乗せられ、舗装もされていない砂利道のような道を慌ただしく進んでいた。


 エダーからは常に見張られ、逃げる隙さえもない。

 リラは急ぐように、と御者に何度も伝えていた。

 目的地までまだ一時はかかるのかもしれない。


 もしここから逃げられたとしてもこの先どうすればいいのか全く分からなかった。

 だが妹は今どうしているのか、何か悪いことに巻き込まれてはいないのか、心配でたまらない自分がいた。

 最後に見たいおりの顔。

 あの泣き顔が忘れられない。


『我は聖なる人ホリスト族――』


 頭に響くいおりの声。

 思い出したのだ、『ホリスト』というその言葉を。

 

 そしてその言葉と全く同じ苗字を持っている人が今、目の前にいることを。


 この状況から抜け出す情報を少しでもいいから手に入れたかった。


「あの……リラさんに聞きたいことがあるんだ」


「何?」


 リラが不思議そうにこちらを見つめる。


「苗字について教えてくれないか。ホリストという名前のことを……」


「おい、密偵は黙ってろ」


 低音が響くような威圧した声でエダーが会話をやめさせようとしているのが分かるが、この頼みの綱を逃すまいと、懇願する思いでリラを見つめた。

 どんなに小さな手掛かりでも見逃したくはなかった。


「エダー、まだケイスケが密偵と決まったわけじゃないでしょ。それにホリスト族の話は誰もが知ってるわ。城までまだ時間もあるし、いいわ、教えてあげる」


「助かる……!」


 隣でとてつもなく怪訝けげんな顔をしている男が気にはなるが、リラの暖かさに心底ほっとした。


「まず聖なる人ホリスト族の成り立ちからね。神話では、今から約二千年前にイデアという女性がこの神地リスターンの危機を救うために、白い神様を召喚したことが始まりだと言われているわ。その名はベロボーグよ」


「イデア……ベロボーグ……!? その危機って……」


 いおりが発した言葉を次々に思い出した。


「その危機というのは詳しく分かってないの。ただその危機をイデアや白神ベロボーグ様が打ち消し、世界は繁栄の道に進んだ。そして、イデアの子孫である人々が聖なる人ホリスト族となり、その女性達は白神ベロボーグ様の恩恵を受け、白魔法が使えるようになったの。その力を借りて国を作り、私達王族である聖なる人ホリスト族が統治するリンガー王国となったのよ」


「リラさんって王族なのか!? それに魔法……!?」


「あ、聖なる人ホリスト族を知らないなら名乗っただけじゃ分からないわね。そう王族の王女なの!」


「王女!?」


 リラはふっと笑った。


「私たち王族は、白神ベロボーグ様に感謝と共に仕えるお役目があるの。白魔法が使える女性の特徴はこの白い髪。生まれつきこうやって一部分にだけ現れるのよ」


 彼女はうつむき加減で自身の透き通るような真っ白な横髪を見つめながら、なぜかもの悲しげだった。


「そんなことが出来る、んですか……!?」


「ふふっ、堅苦しいのは抜きで大丈夫よ! そう、回復魔法よ。白神ベロボーグ様の能力の一部を聖なる人ホリスト族は与えられているの。あなたの左足もこの力で治したのよ」


 エダーに睨まれる中、リラは明るくそう言い、この非現実的なあり得ない世界に唖然とした。

 だが、あの悪夢のような体験と痛みで諦めかけた最後に、オレンジ色の何かが体を包み、とても暖かな光を感じたことを思い出した。


「それがまさかあのオレンジの光か……!?」


「ええ、ケイスケの叫び声が近くから聞こえたから……」


 まるで何事もなかったかのような自分の左足を見つめながら、この世にまだ自分がいられることに有り難みを感じずにはいられなかった。


 それが自分の想像を越える事だとしても。


「……ほんとに助かった、ありがとな、リラ!」


 思わず彼女を呼び捨てにしてしまった自分に、隣から殺気立った視線を送ってくるエダーに気付いた。


「あーー、つい……」


「いいのよケイスケ。呼びやすい名前で呼んで」


「リラ、お前は王族なんだぞ! もっと自覚をしろ!」


「あら、エダー。そういうあなたも私のこと呼び捨てじゃない」


「俺は……!」


 エダーは顔を真っ赤にしながら何かを言いたそうにして途中でやめた。

 そんなエダーを見てリラはくすっと笑った。


「イデア……イデアについてもっと詳しく教えてくれないか……?」


 敬介はすがる思いでとにかく情報を集めたい気持ちでいっぱいだった。


「イデアについては昔話の神話だし、あまり真実がよく分かっていないの。ただ、私と同じように白い髪を持っていたと言われているわ」


「そうか……」


 白い髪はいおりと同じだ。共通点がある。

 何か繋がる点はないか、必死に考えを巡らせたが、これといって思い当たることはなかった。


「あまり力になれなくてごめんね」


 リラがそう申し訳なさそうに言っている姿に敬介はハッとした。


「いや、助かった! なんか困らせてごめんな」


 敬介は自分のことで精一杯だったことに気が付き、少し笑って返答した。リラは何も悪くない。


「リラ様、もうすぐ到着します」


 御者が言うに、もうすぐ到着するようだ。

 進む先へ目を向けると、そこには森の中に凛として聳え立つ美しい大きな城が建っていた。


 数々の細長い塔が聳え立ち、まるでグラデーションのように積み重ねられたレンガがより一層目を引く。

 まるで森と一体化しているような美しい建造物だった。


「やっと着いたわね」


 要塞も兼ねているであろう螺旋上の道を上ると、そこにはステンドグラスの窓が輝く、教会のような建物の前に到着した。

 

「リラ、待ってたわ。速くこちらへ」


 建物から誰かが慌てて出てきたかと思うと、リラによく似た顔立ちの婦人だった。

 深い紫のすらりとしたロングドレスを着ているこの女性に、周りの警備兵達が、片膝を地面に付き、頭を垂れている。


「おい、お前もかがめ!」


 エダーから体を乱暴に引っ張られ、体が押しつぶされるようだ。


「お母様! どうなっているのですか!? セーレ様の障壁にヒビがって……」


 リラの母親だということは、王妃だろう。

 だが、リラのように白の髪はどこにも持っていないようだった。

 聖なる人ホリスト族の女性でも持っていない人がいるということなのか。


「わたくしが祈りに来た時にはもうこの状態で……とにかく中へ入って」

 

 リラの母親は落ち着いているように見せてはいるが、顔は真っ青だ。

 エダーに乱暴に引っ張られながらも建物に近付くと、リラがゆっくりとそのドアを開いた。

 

 その中は、正面と左右にステンドグラスで出来た窓がずらっと並び、とても暖かな光が差し込んでいた。


 広い空間ではあったが、奥には何か透明な大きなものが一つだけ置かれているのが見える。

 その周りには多くの花があるようだ。


 敬介はそこへ近付くにつれ、何か懐かしく感じるような感覚を覚え、不思議な気分になった。


 すると前を行くリラとその母親が慌ててその物体へ駆け寄った。


「嘘、クリスタルが……! こんなことって……!!」


 リラの困惑した声がこの建物中に響き渡る。

 どうやらあの透明の物体がクリスタルのようだ。

 遠くてまだよくは見えないが、中には何かが入っているようだった。

 

「一体何があるっ……」


 そう言おうとした時だった。

 突然入り口から突風が吹き付け、手錠を付けられている敬介はバランスを崩し前へ思いっきり転倒した。

 

「いってぇ……! なんだ、この風……」

 

「何!?」


 リラの動揺した声がこの空間に響く。


 勢いを増す風は止む気配がなく、この広間の壁に当たり散らしながら四方八方から突風が吹き付けてくる。

 ステンドグラスの窓が小刻みに振動し、今にも割れてしまいそうだ。

 

「お二方とも大丈夫ですか!?」

 

「こちらは大丈夫よ……!」

 

 慌てたエダーの声がこの風が舞う中に聞こえ、リラは母親を守るように必死に立っている。

 この凄まじい風に皆、己の体をその場に固定させるだけで精一杯のようだ。


 そんな中、奥にあるクリスタルの中に入っているものがぼんやりと視界に入った。

 その傍らには武器のようなものが置かれている。


「剣……?」


 その時だった。


 敬介の頭の中にまるで五感全てを一気に体感するような、ものすごい量の映像や音などが形となり飛び込んでくるような感覚に襲われた。

 思わず、どうにもならないような叫び声を上げ、そのまま頭を抱えた。


「うぅ……これは……」


 頭の中に数えきれない程の映像が次々に流れてくるようだった。

 誰かの思い出を見たくなくても見せられている、そんな感じだった。

 その中で特に印象に残るのは、リラのように白い髪を持つ優しい笑顔の女性だった。


『ティスタ……私は大丈夫だから……』

 

 そう声が響いた。

 この突風が吹き荒れる中、なぜか吸い寄せられるようにあのクリスタルへ邁進している自分に気が付いた。


 そして目にはなぜか涙が溢れ出していた。


「おい! 待て!!」


 エダーの声が聞こえた気がした。


 だが、敬介はこの目の前の儚い結晶から目が離せなかった。

 次の瞬間、自分の中で何かが壊れるような感覚が襲い、膝から崩れ落ちた。


 その美しいクリスタルの中には、先程見たあの女性が眠るように横たわっていたのだった。

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