スグリノレクス⑫

******


 ところが、である。


「……あ、あるじ……大丈夫か?」


「ん、ええ……こんなくらい、らいじょうぶ、よ」


 二杯目の半ばにしてあるじの様子がおかしい。


 ほんわりと赤みがかった頬。「だ」が言えないほど回らない呂律ろれつ


 重そうな瞼は長い睫毛を支えられないようだ。


「あまくて、おいしいわ」


 頬を緩めてふわふわと笑うその笑顔は幸せそうだけど……完全に酔ってるなこれ。


「も、申し訳ありません……一杯目が少しキツすぎたかもしれません……」


 目を白黒させるカクトリエル――つまりは役場の職員に水を頼んで、俺はあるじの前にあるグラスをそっと遠ざける。


 いい酒を出そうとしたんだろうけど、かなり度数の高いやつを使ったんだな……。


 せっかくなら村の白グレプ酒を使えばいいのに。ここの自慢じゃないのか?


あるじ、一度宿に戻って少し休もう。爺ちゃんの話は明日でも聞けると思うし……」


「ん、らいじょうぶ、よ。……キール、私、かるヴぁどすのこと……あなたとも、話さないと……」


「うん? 爺ちゃんのこと? ああ、ほら。とりあえず水飲んで」


 急いで運ばれてきた水を手渡すとあるじはそれをゴクゴクと喉の奥に流し込み……『ぷは』と息をついて瞼を完全に下ろしてしまった。


あるじ……? あー」


 くったりと肩の力を抜いた彼女を背もたれにそっともたれさせ、俺はため息をつく。


 ……こういうときは寝かせておくに限る。


 とはいえ、ここで眠らせておくわけにはいかないか……。


「すみません、お会計と……彼女を背負うので手伝ってもらえますか?」


 俺はお金を払い、役場の職員に手伝ってもらって彼女を背負った――が。


「んっ⁉ ……お、重……ッ」


 想像以上に重い。


 いや、たぶん女性に言ってはいけない言葉なんだけど。


 なんだよこれ。


 ずしりと背中にのし掛かる重みと人にあらざる固い感触に、俺は初めて気が付く。


「え……もしかしてこのドレス金属が入ってる……?」


「そうみたいですね……戦うだけあって鎧になっているのかも……。あの、私が背負いましょうか」


 職員も困ったようにそう言うけど……ってことはこの人もあるじが重いと思ったんだろうな。


 これであれだけの速さで動けるのか……すごいなあるじは。


 ついでに帽子がめちゃくちゃ当たって邪魔だけど我慢するしかない。


「いえ、ちょっと驚いただけで運べない重さじゃないんで。……村長さんが来たらことの顛末のご説明をお願いします」


 俺が苦笑いして言うと職員は申し訳なさそうに頭を下げた。


 外に出るといつのまにか暗くなっていて……空気が冷えて肌寒いほど。


 ……村の決まりに従うなら三人以上で移動しなきゃいけないものの、役場兼酒場と宿は目と鼻の先だ。


 俺たちが宿に入るまで見守ってから戻っていく職員に頭を下げた俺は、ランプの灯された廊下を抜け、階段を上がって部屋に入った。


「ん……あ……ごめんなさい……そんなに、呑んでないのらけど……」


 どうやら背中で多少意識を取り戻したらしいあるじに俺は笑う。


「起きたか? だいぶ強い酒だったみたいだし無理もないよ。ちょっと個室に入るからな」


 爺ちゃんの酒場では羽目を外す人は殆どいないけど、酔って陽気になったり暴れたり泣き出したりといろんな人を見てきた。


 爺ちゃんに言われて客を家まで運んだりもしてきたから、この程度ならかわいいもんだ。うん。


 俺はベッドにあるじを下ろしてランプに火を灯し、ぼんやりした彼女を帽子の下から覗き込む。


 彼女は俺を見ずに手元に視線を落としていた。


「大丈夫か? 水もらってくるよ」


「かるヴぁどすがね……」


「うん?」


 そこであるじがふわふわした声で突然話し出す。


「かるヴぁどすが……言ったのよ。成人したら、私に……かくてる、つくってくれるって……」


「…………うん?」


 あるじ……爺ちゃんと知り合いだったのか……?


「らから私、楽しみにしていたの……それなのに『建国祭』の夕食会には泣いて怒るキールがいて……かるヴぁどすはいなかったわ……」


「あー、はは……。あるじ……あの場にいたんだな。俺、ちょっと涙もろいみたいで。恥ずかしいとこ見られたなぁ……」


「国民は泣いてもいいの……恥ずかしくなんか、ないんらから……」


「……うん? あるじだって国民だろ?」


「キール……」


 彼女はそこで顔を上げ、ぎゅっと唇を噤んだ。


 真剣な表情はどこか悲しそうで寄せられた眉はハの字に下がっている。


 帽子の下、垂れている黒髪が彼女の頬に当たって跳ねているのをあるじはおもむろに触り……。


「……私……」


「……うん?」


「…………気持ち悪い」


「って、えぇッ⁉ と、とりあえず洗面所に行くか⁉」


「水、呑みたいわ……」


「水か? わかった、待ってて」


 俺はすぐに踵を返し、受付へと向かう。


 小さなベルンが置いてあったはずだから……鳴らせば水をもらえるだろう。


 そうして水挿しとグラスを受け取り慌てて部屋に戻った俺は……息を詰めた。


 ――ランプの灯りを受けて艶めく太陽のような金色。


 発泡性のグレプ酒――スパークルにも似た色の緩やかに弧を描く綺麗な髪が……目に飛び込んできたから。


「え…………」


 ベッドに横たわる彼女が纏うのは変わらず紅色の裾が広がったドレスだし、勿論、違う人ってことはない。


 すやすやと寝息をたてる彼女の長い睫毛が赤く染まった頬に薄く影を落としている。


 足下に落ちた紅色の帽子には……なんというか。わさわさと黒髪がくっついているわけで……。


「――どういう……こと……だよ」


 しかも俺、この色……最近どころかつい昨日見たよな?


 紅色の目で俺を見詰めたあと「連れていけ」と言い切った……あの人。


 見間違うわけがなかった。


 そう。宝酒大国ほうしゅたいこくリキウル王国の女王様だ――。


『ええ。今年二十歳になる王女だから、贈られたスグリノも二十歳になったはずね』


『私、最近成人したの』


『お母様はさっぱりしたものが好きなのだけど』


『かるヴぁどすが……言ったのよ。成人したら、私に……かくてる、つくってくれるって……』


 目の前で眠るあるじ――カシスの言葉がぐるぐると頭のなかをめぐる。


 俺を見て笑った彼女の瞳はどうだった?


 言うまでもなく……女王様と同じくれない色だ。

 


「…………カシス――君、まさか……」



 呟いた瞬間。


 誰かが部屋の扉をノックしたのが聞こえ、俺はびくりと肩を跳ねさせる。


 ――誰だ?


 俺は持ったままだった水挿しとグラスをベッド脇のチェストに置いて、彼女の帽子を拾いテーブルに載せた。


 ……と、とにかく落ち着こう。


 そう。まず誰が来たのかを確かめよう。


 うん。考えたってわからない、そうだ、そうしよう。


 俺は個室を出ようとして……戻ってもう一度カシスの顔を覗き込んだ。


 幸せそうに眠る彼女は確かに俺を牢から連れ出した女の子に間違いない。


 その背の中ほどまである金の髪がベッドに広がりランプの光を散らす。


 ――俺の思うとおりなら君はなんでそうまでして……。そんなこと許される立場じゃないだろうに。


 そこで扉がもう一度コンコンと鳴って、俺は「はい」と返事をする。


 返ってきたのは柔らかな声だった。

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