9.四十は不惑って言うけれど

 そりゃ孔子の様な人物の話で、私のような凡人は駄目ですな、常にふらふらと惑っています。


 こんにちは、キロールです。

 最近は日夏耿之介ひなつこうのすけの吸血鬼妖魅考とサバト恠異帖ばかり読んでます。

 「屍神を斬る!」における不死の定義を明確にしてなかったので今更ながら、バッタバッタしているからですが……これらの本はやはり楽しい。


 それはさておき、冒頭で何を惑っていたのかと言いますと、私もPVとか星とかほしいと思ってしまい、色々とおもねってしまう訳です。

 流行に縋ったり、テンポだけを求めたり。

 でも、それをすると私が楽しくない。

 書けば書くほど苦しくなる。

 

 だからと言って、いつも通りの書き方に戻すとまず読まれない。

 読まれないのは腕が悪いからだと諦め、ともかく物語を書き終えると言う目標は立てていますが、こう、読まれる方法をどうしても模索してしまいます。

 自分は書いていて楽しいが他者がどう感じるのかは別問題。

 小説として物語を描くのならば、その内容を読者に伝えねばなりません。

 面白いと思えるものを、面白いだろうと大上段から押し付けるのではなく、かと言って卑屈にならずに伝える……これが難しい。


 書きたいから書くのであって、評価やPVなんぞ二の次が正しいと言う意見を目にするたびに、私はそこまでストイックにはなれないなぁと思うのです。

 いや、下手をするとその考えでは読者の視点を捨てていないかとも反論めいたことまで思ってしまう。


 確かに他者の目ばかりを気にしても仕方ないのですが、他者の視点を鑑みない作品は単なる自己満足にしかならないのではないか?

 そうは言いつつも、私自身にそれが出来ているのかどうか。


 そんな事を考えていると、創作の惑いから抜け出せる気がしません。


 まあ、うだうだ言う前に書くしかないんですけれどね。


 伝える練習に、今読んでいる作品のレビューを書くのもありでしょうね。

 どこをどう面白いと私が思い、星を入れたのかをきっちり説明できれば、いずれは自分の作品の面白さと言う奴も明確に示せるようになるかもしれませんし。

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