第25話

「……ええ、と」

 エマニュエルが去ってしまいなんとなく気まずい空気の中、カランシアはなんとか仕切り直そうと声を絞り出した。

 それから彼がちらりと傍らのリリーリアの様子を伺うと、今までは彼女からそらされるばかりだった2人の視線が、カチリと合う。


 リリーリアが観念するようにため息を吐き力の抜けた笑みを浮かべると、これまでの拒絶一辺倒のものとは明らかに違うその様に気づいたカランシアは、すかさず彼女の正面に周り、片膝をついた。


 彼は彼女の小さな、けれど令嬢のそれのように頼りない印象ではない左手をそっとすくい上げ、祈るように見上げ、告げる。

「幾度も伝えてきたことだが、改めて言わせて欲しい。……リリーリアさん、俺と、結婚してくれないだろうか……?」

「その申し出を受ける前に……、一応、いくつか確認させてもらってもいいですか?」


 受ける前に。

 受ける、が、前提にある!


 その気づきに思わず飛び跳ねそうになったが、ここが勝負どころと感じたカランシアは即座に気合を入れ直し、真剣な表情でうなずく。

「なんなりと」

 騎士らしく生真面目に応じたカランシアに、リリーリアはため息を吐いた。


「では、まず、私はこの色です。実の父には絶望され、義理の母にも疎まれたコレ。気にならないんですか? 結婚ってなると、家やら子孫やらのことも考えなければいけないでしょうが、そこらへんわかってます? 魔力の少ない人間が、血統にまじるんですよ?」

 ちょいと前髪をいじりながらそのアイスブルーを示したリリーリアが魔法で操れるのは、せいぜいこぶし大の水のみだ。


 問題は見目だけではない。

 本当にわかっているのか。


 それを確かめるべくどこまでも真剣に問うたリリーリアに対し、カランシアはえらくあっさりとこたえる。

「特に問題はないな。うちは代々魔法よりも剣を重んじてきたし、俺自身魔力量こそ多いらしいが頭が追い付かなくて魔法は苦手だ。魔力が少なくたってなんの問題もない。集団や大型の魔獣を相手するならともかく、対人なら斬るか殴る方が早く確実に潰せるってのがグラジオラス家の基本的な考えだからな」

「いやグラジオラス家野蛮すぎません?」


 思わずといった様子で口を挟んだリリーリアに、カランシアは心底おかしそうに笑う。

「ははっ、そうだな。いざ大型の魔獣を相手するときだって、うちの身内は、魔術師を守るとか言って前に出て、直接敵と剣を交わしたがる野蛮な奴らばかりだ。リリーリアさんはそんな野蛮の筆頭であるうちの父のお気に入りの弟子、うちの関係者はもろ手を挙げて歓迎するさ」

「……まあ、確かにそんな感じは、しないでもないですけど。いやでも実際嫁ってなったら家と家との結びつきなわけで、実利を考えても対外的にも、普通にご家族に愛されて育った清楚なお嬢さんなんかの方が……」


「そんなそこらの清楚のお嬢さんなんぞが、な我が家になじめるとでも?」

 にやりと笑ってカランシアが問うと、リリーリアはひとつため息を吐いた。

「思い、ません、ね。でも、結婚して同じ家に住むとなると、毎日とか、割と頻繁に顔を合わせるわけで。それがブサイクだと嫌に……」

「ならない。リリーリアさんの親があなたになにを言ったかはだいたい知っているが、俺はあいつらとは違う」

「……っ」

 食い気味で強く否定したカランシアに、リリーリアは言葉をつまらせた。


 黙ってしまったリリーリアをまっすぐに見上げ、どこまでも真剣な表情で、カランシアは断言する。

「年をとれば、容姿なんてのは誰も彼も衰える。それで揺らぐ程度の気持ちで、永遠の愛なんぞ誓えるわけがないだろう。半端な覚悟で求婚していると思われるのは心外だ。だいたい俺は、その色を隠すことなく、魔力の少なさにもうつむくことなく、ひたむきに己の拳を磨き続けるリリーリアさんは、むしろ誰よりも美しいと思っている」


「誰よりもと言われてしまうと、それはそれで微妙な気持ちになるんですが……」

 照れ隠しもあるのか、頬を赤く染めてうつむきながらぼそぼそとそう反論したリリーリアに、カランシアは首を傾げる。

「それはどういう……、ああ、エマニュエル嬢、か?」

「ええ。この世界で一番、誰よりも美しいのはエマニュエル様ですので。それから、エマニュエル様は気になさっておりませんでしたが、もう嬢ではなく、夫人の方がふさわしいかと。特に旦那様の前ではお気をつけください」


 やはり照れ隠しなのだろう。

 ぼそぼそとわざとズレた文句を口にしたリリーリアにふっと微笑んだカランシアは、表情を引き締めてから、頭を下げる。


「重ね重ね、失礼をした。ただ、世間一般の評価の話ではなく、俺にとってそれだけリリーリアさんが特別美しく思えると言いたかったんだ」

「変わった感性をお持ちですね。エマニュエル様ほどではないですが」

 つんとした表情でそう言ったリリーリアは、もう首のあたりまで真っ赤だ。


 カランシアはそのあまりに愛らしいリリーリアをたまらない気持ちで眺め、伏せられた彼女の瞳にふと思い出したことを口にする。

「そういえば、エマニュエルじょ、エマニュエル夫人は、瞳の造形やまつげの長さなんかを気にされるようだな。リリーリアさんのまつげは小枝が乗りそうな程だと語られたことがある。確かにこうして見ると、リリーリアさんの大きな瞳も、それを縁どり影を落とすまつげも、実に美しいものだ……」


「その変な感性、うちの主人の悪影響もあったんですね……。なんだか、申し訳ありません……」

 今度は照れることなく、心底申し訳無さそうに頭を下げたリリーリアに、カランシアは笑みを深める。

「本人には全力で拒絶されたが、俺とエマニュエル夫人は、一応幼馴染だからな。当然影響は受けているさ」


「……エマニュエル様の猫かぶりも見抜けなかった、というか、本来の雑なところを見せてもらえるほど打ち解けてはいませんでしたけどね」

 実に不機嫌にそう言ったリリーリアに、カランシアは首を傾げた。

「すまない、なにか不快にさせるようなことを……、あ、そうか嫉妬か」


 リリーリアは一瞬ぎくりと身をこわばらせたのに、次の瞬間には無表情で、冷たい声音で告げる。

「嫉妬なんてしてませんけど」

「いやしてるだろう。大丈夫だ。実際、リリーリアさんの方がよほどエマニュエル夫人のことを理解している。あなたが言った通り、俺はあの方の猫かぶりなんて、気づいてすらいなかった」

「……そっち?」

「ん?」

「いえなんでもないです」

 相変わらずの無表情でふいと視線を逸らせたリリーリアに、カランシアはためいきを吐いた。

「うん、まあ、とにかく、俺はリリーリアさんとエマニュエル夫人の仲を邪魔するつもりはない。あなたの忠誠心こそがあなたの一番の美点だと思っているし、エマニュエル夫人は生涯仕えるに値するだけの素晴らしい主人だと、俺も理解している」


「……ともに家庭を築く相手が、家の外に最優先とするものを定めているのって、普通は嫌なものなんじゃないですか? 私、たとえ結婚したとしても、生涯エマニュエル様が唯一絶対ですよ?」

【いくつか確認したいこと】のひとつであるその疑問をリリーリアがそろりと投げかけると、カランシアはそれをさわやかに笑い飛ばす。

「俺はあなたがそうだから愛しいし、それを嫌がる奴は、あいにくうちの一族にはいないな。うちの誰かが忠義のために死んだなら、その葬式は盛大な祝いになるくらいだ」


 主従の従であり続けることこそを望むその性質から領地や継承可能な爵位こそ受けてはいないものの、一族のほとんどが武功によって一代限りの騎士爵を与えられ続けているグラジオラス家。

 カランシアも学園在学中に女神のいとし子の仲間の一人として活躍し、既に騎士爵を得ている。

 そんな騎士まみれの変わった一族は、彼の言ったことも嘘ではないだろうなと思わされてしまうほどに、忠義を重んじる一族だ。


「確かにグラジオラス家ならそうだろうなとは思うんですが、同時に、それでいいのかグラジオラス家とも思いますね……」

 リリーリアが深いため息とともにそう言うと、カランシアは苦い笑いを返す。

「仕方ないだろ。父をはじめとして、うちはみんなそういう性分だ。これになじめない人間はうちに嫁いでなど来ないし、うちで生まれてこれが嫌なら早々に出ていく。その繰り返しの結果が、誰も彼もが野蛮なグラジオラス家というわけだ」


「私ならそれになじめるだろうと思われているのは、なんか、どうなんですかね……」

「優れた武人であるリリーリアさんのことは、うちならみんな歓迎するというだけさ」

 爽やかに微笑んで断言したカランシアに、リリーリアは肩の力を抜いた。

「まあ、そういうことにしておきましょうか。じゃあ、あとひとつだけ確認です。私、見た目はともかく、実年齢はあなたよりだいぶ年上なんですが、わかってます? もう立派な行き遅れで、きっとあっという間におばあちゃんになります」


「リリーリア嬢なら、きっとかわいいおばあちゃんになるだろうな。それでたぶん、その頃には、俺の髪だって白くなっているだろう。歳の差といっても、100も200も違うわけじゃないのだから」

 邪気の無い笑顔でそう返したカランシアに、リリーリアは弱弱しい笑みを返す。

「はは、それと似たようなこと、エマニュエル様も言ったらしいです」


「ああ、辺境伯夫妻も、歳はすこし離れているのか。貴族の政略結婚であれば、20近く離れていることもある。そこと比べたら、俺たちの4歳差なんてのは、誤差の範囲じゃないか? 特にリリーリアさんは、むしろ俺よりも若々しい容姿をしているわけだし」

「ほんっとに馬鹿ですね。誤差なわけないでしょう」

 相変わらず辛辣な言葉を吐いたリリーリアは、けれど、常にないほどやわらかな笑みを浮かべていた。


 彼女の力の抜けた笑みに勇気を得たカランシアは、くすくすと笑う。

「リリーリアさんは、俺が馬鹿だからかわいいと言ってくれたじゃないか」


「そうですね。馬鹿な子ほどかわいいです。仕方ないなって、思います」


「それは、よかった。さっき、あとひとつだけって言っていたな。もう、不安なことはないだろうか?」


「ええ。こんなに馬鹿な人や野蛮なご家庭に、『私なんて釣り合わない』なんて思う必要はないと、よくよくわかりました」


「ではリリーリアさん、改めて。……俺と、結婚してくれないだろうか?」

 手紙で、対面で。幾度も幾度もカランシアがリリーリアに告げ続けてきたその言葉に。


「……エマニュエル様たちの式の後でしたら、喜んで」

 初めて返された諾の返事に、愚直な騎士は、破顔した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る