第8話

 ジュージ・ヨルムンガルドは授業参観からの帰り道がてら用事を済まして館に戻った。玄関から館の中へ入ると中はいつもよりやけに静かだった。


 そのまま二階の客間のフロアに上がるとつい今しがた帰ってきた様子のイサキとチヒロがいた。


「ジュージ!お帰りなさい」


「お帰りなさい、ジュージさん」


「…コトリさんは?」


「コトリ?シノブさんと話していたからまだ外にいるんじゃないかしら?」


 いつもより、静か過ぎる館内。だがその静寂にノイズのように“ある気配”が混じっていることをジュージは敏感に感じとっていた。そしてその客間に一歩踏み入れた途端に“それ”が急激に膨れ上がるのを感じた。


 殺気。


「シスターチヒロ…イサキお嬢様を」


 それを言い終えるや否や頭上から恐るべき速さの物体が降りてくるのが見えジュージは身を捻った。


 は着地から振り返りざまに驚くべき速さでハチェットを横薙ぎに振るうが、ジュージは咄嗟に背中から取り出した両手のマチェットで受け止める。火花を散らし硬い金属同士が跳ね返る音が響く。


「じゅ、ジュージ!?」


「お嬢様!行ってください!早く!」


「ッ!?…イサキお嬢様!こちらです!」


 シスターチヒロがイサキを連れて玄関に向かって出て行くのをジュージは横目に見送った。


 少女はくすりと口元に笑みを浮かべた。


「へえ、今のを避けちゃうんだ…素敵…」


「…随分と物騒なものをお持ちでいらっしゃいますね、お客人?」


 眼前の少女から放たれているのは尋常な殺気ではない。その見た目にそぐわない高い練度が見て取れた。


「あれあれ?写真とはまるで別人みたい?もっと冷たい冷たいナイフみたいな人かと思ってたのにな…」


 少女が右手のハチェットを2回3回と振るとヒュンヒュンと風を切る不吉な音が鳴る。


「まあいいや…ふ…ふ…なんか久しぶりに”当たり”引けてゾクゾクしちゃう…お兄さん綺麗な顔してるから行儀よくバラしてあげようと思ったけど…気が変わっちゃった」


 くすくすと笑いを浮かべた。両手のハチェットを擦り合わせる無骨な金属音がホールに響く。


「私はマコ。マコ・“ザ・ヘッドスマッシャー”。その綺麗な顔と身体…跡形もないくらいぐちゃぐちゃにしちゃうね?」


 ・ ・ ・


 シノブは相手の構えを観察し身構える。男は半身に構えた上で逆手にして得物を隠している。おそらく暗器は一つではない。


「お嬢様!?」


「コトリ!?」


 二階のフロアからシスターチヒロとイサキの声がした。玄関ロビーで気を失って寝かされているコトリと剣呑な気配で向き合う一人の男とシノブを見たのだ。


「次から次へと…!シノブ・トキワ!一体これはどういうことですか!?」


 チヒロの声に反応するかのように男は鋭く踏み込み素手で突きを放ってきた。シノブはすんでのところで首をスリップして躱し、バックステップで距離をとった。シノブの隙に的確に反応してくる。一筋縄ではいかない相手であることは明らかだ。


 シノブは鋭く舌打ちし、叫ぶ。


「トーシロじゃなけりゃ見りゃ分かるだろ!いいからそこの娘を連れて裏から逃げな!」


「しかし…!加勢は…!?」


「舐めんじゃないよ!とっとと行け阿呆!」


 シノブ・トキワは牽制として右手の投げナイフを男の正中線に沿って5本投げ付けた。


 男は激しく気合を吐いた踏み込みで足元の床板を跳ね上げた。それはそのまま投げナイフから身を庇う盾となる。


「フッ!」


 男はナイフの突き刺さった床板を一階フロアのコトリの元へチヒロと共に降りてきたイサキの方向目掛けて蹴りつけた。


「キャアッ!?」


「チッ!?」


 シノブはその板を蹴りで撃ち落とす、とその瞬間懐に隙が生じるのを許してしまった。


 スキャロプスはシノブの死角に潜り込むと激しい踏み込みと共に掌打をシノブの脇腹に滑り込ませた。鈍い音が響く。


「ぐッッ!?」


 異様な重さの掌打だった。内臓まで響くような異質の衝撃にシノブ・トキワは舌打ちしつつ背中側の二階に向かう階段の手すりに手を掛けるとさかさまに跳躍しながらスキャロプスの顔目掛けて再度ナイフを放った。


 スキャロプスはそれを身を屈めて躱すと、裂帛の気合を持って二人の中間に位置する階段の手すり目掛けて掌打を喰らわした。


 踊り場から上階に向かう、全長10フィートはある手すりはいとも簡単に階段側へと崩れ落ちる。


「…!」


 シノブ・トキワは上階に向かって素早く駆けあがりながら再度投げナイフを投擲した。


 スキャロプスはそれも躱すと跳ね上がり様、地面に突き立った投げナイフを投擲し返してきた。


「ッ!?」


 シノブは閃光の様な勢いで飛んでくるナイフを間一髪躱すと、二階の廊下へ転がり込んだ。


 切れかけた息を必死で整えながら、両手に再度投げナイフを構えて相手が上階へ身を表すのを待つ。先ほどの脇腹への衝撃は時が経つほどにズクンと臓腑にまで重たく響いてくる。


 そして…スキャロプスは悠然とした動きで上階のシノブの前に姿を現した。息一つ切らしてはいなかった。


 ここまで手を合わせてみて、スキャロプスの出自は自明だった。


(…発勁はっけい中国拳法クンフー…)


「あんた…チャイニーズマフィアの出かい…」


「…それがどうした」


 スキャロプスは顔色も変えずに応じると再度半身で暗器を逆手に構える。


「別に…特段いい想い出がないだけさ」


 細く長い廊下。シノブの後方は行き止まり。


(得物がわからなければ迂闊に近づけない…ナイフは…あと残り10本…)


「得物など……」


 脳裏を読み取るかのような言動に一瞬ぎくりとする。


「その気になれば人体などペン一本で


 シノブ・トキワはその言葉にどこか皮肉気に頬を吊り上げた。


「…無粋だねえ…先達として悲しいよ…」


「無粋…?死に粋も無粋もない、俺は方法を選ばない」


「そうかい…勿体ないねえ…あんたほどの遣い手が…」


 シノブ・トキワはなにかを懐かしむような表情をし、ゆらりと立ち上がった。


 再度、シノブはナイフを投擲する。だがそれは最初から的を外していた。四本のナイフはスキャロプスの両脇をすり抜けるように通過していく。


 まるでその場に縫い付けることが目的であるかのようだった。


 そして、その瞬間シノブ・トキワは初めて敵に向かって鋭く突進する動きを見せた。


 だが、その動きは捨て身で敵の射程内に飛び込んだようにしか見えない。近接戦で分があるのは明らかにスキャロプスの方だった。


「…血迷ったか!」


 一瞬の、戸惑い。だがスキャロプスに迷いなどあろうはずもない。


 が、その時暗器を隠し持つ方の手に鉛のような鈍い重みがかかる。


(なんだ…?!)


 投擲された二組四本のナイフにはそれぞれ鋼線が括りつけられていたのだ。


 気づいた時にはもう遅かった。スキャロプスの上半身にはナイフ四本分の重みが絡む。シノブ・トキワはロンダートの要領で狭い天井とスキャロプスの間を逆さに通り抜け、その首を鋼線で括った。


「手段を選ばないっていう割に…」


「カハッッ!?」


「暗器の扱いが雑なんだよ、あんた」


 シノブ・トキワの身体は吹き抜けの階段を綺麗に通過していき針の穴を通すようなフィジカルコントロールで一階のフロアに着地した。


 そしてシノブの自重を梃子にしたスキャロプスの身体は振り子のように吹き抜けのシャンデリア目掛けて勢いよく激突した。


 大の男一人をシャンデリアを梃子に宙からぶら下げると、シノブ・トキワは鋼線を琴の様にキンとつま弾いた。


「ぐッ…がハァッ…!?」


「腕が立つ相手には限界まで道具には頼ろうとしない…それはあんたの武術家としての矜持がそうさせるんだろうね」


「ぐゥッ………!?……ガァッ!?……」


 やがてスキャロプスの意識は途切れた。


 たっぷりと間を取ってからシノブは手から鋼線を離すと、ドサリと脱力した身体が床に落下する音がした。


「…“人を殺せる武術家”と“殺し屋”を一緒くたにするんじゃあないよ…殺しは殺し屋さね…」

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