第42話:約促(やくそく)

「あっ…あのっ…」

 ドキドキドキドキ

 二人のことを物影で見ているあたし。

 他人事なのに、胸の高鳴りが収まらない。


 前の日曜。

「やっぱり手作りがいいかな?」

 もうすぐバレンタインデー。

 優愛ゆあちゃんは本命チョコを選んでいた。

 あたしはもうどれにするかを決めて、その包みを手にしている。


 その日曜の今朝。

『あの件は優愛ちゃんがやる気になってて、今日選びに行くんだけど、どんなのがいいと思う?』

 彼氏の白須賀しらすかくんにDirectでメッセージした。

『手作りだけはやめておいたほうがいい。あいつは好意を寄せられ慣れてない。いきなり手作りだと流石に重たく感じるはずだ。女子ウケする可愛らしいものよりも、落ち着いた感じのものがいいだろうな。目安の金額を送る』

 その返事に続けて目安の金額が送られてきた。

「…えっ…?」

 あたしが白須賀くんに送ろうと考えているものよりも低い金額が示された。

 そっか。あまりに高くても引いちゃうかもしれない。

『ありがとう。参考にするわ』

 と返事をして出かける準備をした。


「…やめたほうがいい…と思う…」

「うーん、少しでも本気って気持ちを伝えたいんだけど、手作りはやり過ぎかな」

「…こういうのが…いいんじゃない…?」

 あたしは白須賀くんのアドバイスどおりに選んで、優愛ちゃんに渡す。

 紺色の包み紙に臙脂色のリボンが巻かれている、合わせた両手のひらの上に乗せると箱の両端から手が見える程度の小ぶりなもの。

「こんなので、わたしの気持ちが伝わるの?」

「…品物は…あまり大事じゃないと思う…それに…あまり可愛らしすぎると…照れ隠しもあって…受け取ってくれないかもしれない…」

「………それも、そうかな」

 あまり納得していない様子だけど、あたしが白須賀くんのアドバイスしてくれたとおりの包みを優愛ちゃんに渡す。

 気持ちを伝えるこの計画は、失敗してほしくない。だから慎重に進めたい。

 この時点で、優愛ちゃんにはこの先何をどうするか、具体的なことは伝えてある。

 ほぼ白須賀くんの受け売りとはいえ、あたしたちよりは付き合いの長い彼のことだから、言うことに従う価値はあると思う。

「それで明莉あかり?」

「…何…?」

「これも彼氏の入れ知恵?」


 うっ


 バレてる。

「…う…うん…」

 隠してもいいことがないと思ったあたしは、正直に答える。

「まあ、知ってる限りであいつの根回しが悪い方向に向かった例はないから、これが一番なんだろうね。ありがとう、明莉」

「…その…気を悪くしないで…ね…」

「いいわよ。失敗したくないし、彼氏の顔を立てる意味もあるわ。いっそのこと全部聞かなかったことにして正反対の選択をするって手もあるけど、それでわたしが自爆するだけってのも本意じゃないわ」


 バレンタインデー当日。

 朝からどことなく、主に男子から緊張感が漂う空気になっている。

「…おはよう…優愛ちゃん…」

「おはよ。明莉」

 今日は優愛ちゃんと一緒に登校する日。

「…今日は…どうするの…?」

「昨晩に先輩と会う約束したわよ」

 そう言って、その遣り取りをした画面を見せてくれた。

『塔下先輩、おはようございます。今日の放課後に時間をもらえますか?』

 の返事に

『いいよ。教室に行けばいい?』

 とあった。

『体育館の外、舞台側で待ってます』

 で指定していた。

 体育館の舞台側にある外は植え込みがあって死角は多い。

 こっそりと話をするにはピッタリな場所。

「…そっか…うまくいくと…いいね…」

「白須賀くんのアドバイスに従うのはちょっとしゃくだけどね」

 苦笑いしながら、緊張感を放っていた。


「白須賀さん!これ受け取ってください!」

 休み時間どころか、朝から女子たちがチョコを持ってきてはアピールしていた。

「ありがとう。けどこれは受け取れない。気持ちだけもらっておくよ」

「それって彼女がいるからですか?」

「彼女を不快にさせたくないからね」

「なら彼女がいいって言えば受け取ってくれるんですね?」

 それがちょうど、あたしがお手洗いから戻ってきた瞬間だった。

「あなた、白須賀さんの彼女ですよね?」

 ずいっと女子の一人が迫ってきた。

「…はい…」

「白須賀さんに気持ちをプレゼントしたいんだけど、いいよね?」

 目の前には声をかけてきた女子がバレンタインチョコを手にしている。

「…別に…構わないです…」

 圧がすごくて断りにくい状況だったから、つい拒否の言葉を飲み込んでしまう。

「彼女が構わないって言いました!だから受け取ってください!」

 凄まじい速さで白須賀くんの元へ駆け寄って迫る。

「明莉!取り消すなら今のうちだぞ!」

 彼氏を独り占めしたい気持ちはある。

 けど、圧し負けたとはいえ一度は許した手前、前言撤回して取り消すわけにはいかない。

 あたしは目を閉じて首を横に振る。

「というわけで受け取ってください!」

 はあ、とため息交じりで渋々チョコを受け取った。

 直後にあたしは後悔する。Directのグループメッセージで彼女のあたしがチョコを渡してもいいとお許しが出たと書き込みされたから。

 数分経った頃、せきを切ったように彼氏の元へ女子の集団が押し寄せた。


「ほえ~、彼女がいると分かっていてもこれだけ集まるんだ」

 優愛ちゃんが呆れ混じりの声で口にする。見ると、あっという間に白須賀くんの机にはチョコの山脈ができあがっていた。

「はあ、お返しが面倒だ。あそこで明莉が取り消してくれりゃ面倒がなかったのに」

 チョコの山脈を前にして言ったことの意味が、今わかった。

 しまった!それであたしに止めてほしかったんだ!

「…ごめんなさい…そういう狙いだとは…気づかなかった…」

「いいさ。ホワイトデーのお返し参りは人数の関係で物理的に時間が足らないから、グループDirectで一斉に呼び出すとするよ」

 また要らない手間をかけさせてしまったことに、自己嫌悪する。

「よおしゅん、予想どおりの展開になったナ」

「冷やかしに来ただけなら帰れ悠天ゆうま

「グループメッセージにあんなの書かれたからナ。こうなるだろうと予想できタ。だがメインの用事はお前じゃないんでネ」

 司東しとうくんがこっちに来た。

「何でチョコ受け取るの許したんダ?」

「最初に来た女子がかなりの圧だったからな。圧し負けたんだろ」

 白須賀くんが最初に答えた。

「…それと…お返しが…面倒って…気づけなかったから…」

 そこまで考えなかったあたしに非があることは明らか。

「そういうことカ。納得したゼ」

 呆れたような、安心したような顔をする司東くん。

「それで、あれから嫌がらせやイタズラはされてないカ?」

 直後に耳打ちしてきた。

「…うん…代わりに…周りとうまくいっても…ないけど…」

「あー、そいつはさすがにどうしようもないナ」

「…時間が解決してくれると…信じるしか…」

「まあ俺はあいつと続いてさえいりゃ文句はないゼ」

 司東くんが言ったことの意味がわかる。

 白須賀くんから聞いた過去のことを考えれば、司東くんが何を求めているのかは明らかだから。

「…うん…それはもう…」

「そっか、これで用事は済んダ。じゃナ」

「…それじゃ…」

 人気者の彼女という立場が、これほど息苦しいとは思わなかった。

 とはいえ、いつまでも隠し続けて付き合うのも肩身が狭くて仕方ない。

 これでよかったかというと、どちらとも言えない微妙な感じがする。

「…あの…ホワイトデーの時…あたしも手伝う…」

「明莉が持っていったら迷惑じゃないか?」

「…居ないところを狙って…置いてくるくらいは…」

「そういうやり方もあるか。でもそこまでやってくれなくていいよ」

「…そんなわけには…」

「それじゃホワイトデーの前に買い出し付き添ってよ」

 提案されたのは、あたしから見る限りとても釣り合うようなことじゃない。

 でも、本人の意思を無視するわけにもいかない。

「…わかった…」

 山積みにされたチョコを見て、あたしの心にはモヤモヤと黒い何かが立ち込める。

 同時に、あたしはどれだけ人気のある人を彼氏にしてしまったのだろう、と好意を寄せる女子達があたしの敵に回っているであろう怖さも感じていた。

 それでも白須賀くんが一緒にいない生活なんて、もう考えられない。

 幸い公表時の警告が利いているのか、あたしに対する嫌がらせや誹謗中傷のメッセージは無いものの、証拠が残らない陰口は断片的ながら耳に入ってくる。

 もし優愛ちゃんがいなかったら、今頃は耐えきれず塞ぎ込んで閉じこもりになっていたかもしれない。

 今度はその優愛ちゃんが、今日ばかりは怯えているようにみえる。

 白須賀くんの受け売りを優愛ちゃんに伝え、塔下先輩に気持ちを伝える決意を実行に移す日。

「明莉、どうした?」

 考え事をしていたあたしに気づいて、心配そうな声で聞いてきた。

「…ううん…どうもないよ…」

 アドバイスをしてくれたとはいえ、これは優愛ちゃんの問題。

 優愛ちゃんが望まない手助けはしないほうがいい。傍から見ていてもソワソワしていて、余裕の無さがありありと見えている。

 このまま半日を過ごすのかと思うと、あたしのほうが不安になる

 さらには、あたしと一緒にいるせいで、優愛ちゃんまで周囲からはよく思われていないらしい。

 あたしの恋に巻き込んでしまった形になってしまって、引け目を感じてしまう。

 だからできる限りのことはやって、せめてもの罪滅ぼしをしたい。

「俺にできることはやるから、遠慮なく言ってくれ」

「…ほんとに…何もないから…」

 こうしている間にも、白須賀くんは何人かにチョコを贈られている。

 その帰りがけに恨めしそうな目線を送られて、寒気を覚える。

「やれやれ。俺の彼女に非は無いんだが、どうしてもきつくあたられてしまうのはどうやれば防げるんだか。そもそも、そういう態度を見せつけられて、明莉以外の女に対する興味が現在進行形で失われ続けてることに、本人たちは気づいてるのやら」

 大きすぎず小さすぎない適度なトーンで愚痴をこぼした。

 あ、そっか…。そういう可能性もあるんだよね。

 周りを見ると、聞こえる範囲にいる女子が一瞬固まったように見えた。

 直後、密かに作られていたDirectのグループメッセージで、明莉に対する冷たい態度自体が、白須賀にとって冷たい態度をしている女子に対してマイナスなイメージを植え付けているといった趣旨の投稿があり、グループメンバーを大いに青ざめさせた。

 このことは後日、偶然グループメンバーに入っていた司東くんの彼女を経由して知らされることになる。


 その時を堺に、あたしへピリピリと刺すような空気が少し和らいだことに違和感を覚えつつ、バレンタインデーの放課後。

「…あの…白須賀くん…」

「なんだ?」

「…これ…バレンタインチョコ…受け取って…」

「ありがとう。今日一番嬉しいチョコだよ」

 笑顔で受け取ってくれた。

 その顔を見て、あたしの心に『ぽわっ』と暖かな気持ちが灯る。

「明莉、そろそろ行くよ」

「…あっ…待って…!」

 優愛ちゃんが教室を出ていこうとしていて、あたしは付いていった。


「カバンを置いていったか。どこ行くつもりだあいつら?」

 白須賀は教室から出ていった二人の席を見てから、出ていったドアの向こうに目線を送る。


 あたしは優愛ちゃんと一緒に移動して、体育倉庫裏の植え込みに身を隠す。

 一人じゃ心細いから、とあたしが見届け役を頼まれたのを快諾した。

「それじゃ、ちゃんと見届けてね」

 ガシッと握る手は、細かく震えていた。

「…わかった…見届ける…」

 優愛ちゃんは来た人から見えやすいところに立って人を待つ。

「…むっ…!」

 不意に後ろから口を塞がれてパニックになってしまう。

「二人で揃って出ていくと思ったらこういうことだったのか」

 思わず暴れようとした瞬間に耳へ届いた声は、馴染んだ彼氏のものだった。

「…白須賀くん…」

「一緒に見守るぞ。俺が居ることは言うなよ」

「…うん…」

 視線を優愛ちゃんに移すと、誰かが来たような様子を見せた。

「やあ、待った?」

 塔下先輩が優愛ちゃんと向かい合う。

「いえ。急に呼び出してすみません。部活もあると思いますので、時間は取らせません」

 一呼吸置いて優愛ちゃんが口を開く。

「それでどうしたんだ?こんなところへ呼び出して」

「あっ…あのっ…」

 あたしのほうがドキドキと胸が高鳴る。

 優愛ちゃんがついに告白する決意を固めて、白須賀くんのアドバイスを反映したこの場を設けた。

 あたしと一緒に買ったチョコの包みを差し出す。

「これっ、本命チョコです!わたし、塔下先輩のことが好きです!わたしと付き合ってください!返事は…ホワイトデーに聞かせてください!」

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