第40話:呼正(こしょう)

「やはり、か。どうにも古典的だな」

 白須賀しらすかは昇降口でこぼす。

「仕掛けておいて正解だったか」

 そう続けて、明梨の下駄箱に手を突っ込む。


「おはよう、明梨あかり

「…おはよう…優愛ゆあちゃん…」

 新年の挨拶は済ませてあるから、新年最初の登校日は普通に挨拶する。

 初詣の二人きりは、結局何も進展が無いまま二人は離れた。

 けれど色々と話ができたらしい。

 その上で、白須賀さんから優愛ちゃんに連絡があり、初詣の件は納得のいく説明があったことまではわかった。

 校舎の昇降口までたどり着くと、白須賀さんが待っていた。

「おはよう、明梨」

「…おはよう…ございます…」

 未だ敬語が抜けなくて、モヤモヤした空気になってしまう。

「どうしたのよ。こんなところで待ってるなんて」

「明梨の上履きだ。ここで履き替えるといい」

 そう言って差し出されたのは、あたしの上履きだった。

 はあ、と優愛ちゃんがため息をつく。

「早速やられちゃったのね」

「あと少しで始末し終えるから、靴もここで預かる」

 予想されていた嫌がらせがあったんだ。

「…見せて…ください…」

「明梨には…」

「…関係…あります…どのみち…あたしも向き合わなきゃ…ならないから…」

 覚悟はしていたこと。

 新年早々こんなことになってしまい、どんよりした気持ちになる。


「後は水拭きして終わりだ」

 ゴミや泥を投げ込まれていたということだったけど、幸いゴミが邪魔して泥をかぶらずに済んでいたらしい。

「誰がやったかはすぐに特定できる」

「どうしてよ?」

「後ろの下駄箱上に塔下とうした先輩から借りた小さなカメラを仕掛けておいたから、姿はバッチリ映っているし、下駄箱の中天井に感応型ボイスレコーダーも仕掛けておいた。それは司東しとうが貸してくれた」

 すでに回収したカメラとボイスレコーダーを見せてくれる。

「ほんと、先回りして掌の上にするのがうまいわね」

「できる限りのことはやらなきゃ気が済まないからな」

「…白須賀さんと…付き合うって…こういうことなんだよね…」

 人気者の特別になることがどういうことか、この目で思い知った。

「…ほんとに…誰がやったか…突き止めるの…?」

「ああ。俺がいくら痛い目を見たり嫌がらせされても構わないが、明梨に矛先が向くのだけは我慢ならない」

 白須賀さんの目が据わっている。

「…あまり…荒立てないで…ほしい…」

「俺は明梨を守ると誓った。俺にその誓いを破らせるつもりか?」

 あたしはハッとなる。

「…あっ…」

 そうだった。

 付き合う時に言われたこと。

「それに、Directのグループメッセージで明梨と付き合ってることを知らせた時に宣言しておいた。明梨に手を出すなら特定して実名を公表すると。俺が自ら宣言した約束すら破らせるつもりなのか?明梨」

 そういえば、そうだった。

 ここであたしが止めると、同時に二つの約束を破らせることになる。

「明梨がどうしてもやめてほしいならそうする。けど、それで俺は嘘つきになる。明梨、どうしてほしい?」


 あたしは嘘つきになってほしくなくて、彼に任せることを決めた。

「明梨には悪いけどやっぱりあの人、嫌い」

 白須賀さんは昇降口に残って拭き掃除をしている。

 あたしもやろうとしたけど、そうしたいならカバン教室に置いてきてから、と断られてしまった。

「…優愛ちゃん…彼は…あたしのために…」

「どう考えても特定と公表をやめる気なんてなかったじゃない。外堀埋めて誘導されていたの、気づいてた?それにあの掃除も手伝わせる気なんて最初からないわよ」

「…そういえば…」

 思い返してみると、あたしが「やめて」と言えない空気というか、話の流れになっていた。

 下駄箱の掃除も単に断るのではなく、カバンを置いてからというのは時間稼ぎするための口実を作られたような気がする。

 確かに掌の上で転がされてる気はするけど、あたしのためにやってくれていると思えば悪くない。

「これはわたしが口を挟む問題じゃなくて、明梨がどう感じるかだけどね。少なくともわたしは気に入らないわ」


 この後、その日のうちに犯人は特定されて、Directのグループメッセージで実名が告知された。

 再度白須賀が警告を発し、それでもまだ少しは発生すると予想していた白須賀に反して、この日以来あたしに対する嫌がらせはパタリと鳴りを潜める。脅しではなく本気だということを知らしめたためだろう。

 ただ、浴びる視線はどうにも痛い。

 人気者の特別になったことで、強い風当たりは覚悟している。

 けれど、守られるばかりではどこか落ち着かなくなっていると、ぼんやり感じ始めていた。

「ようやく堂々と二人一緒にいられるな」

 校内の廊下を歩くあたしの隣には白須賀さんがいる。

 こんなの、半年前までは考えられなかったこと。

 最初から諦めるつもりで、やれることは全部やると決めた。

 優愛ちゃんにオシャレの指導をしてもらって、報われない恋と割り切って突っ走ってきた。

 どうしてなのかわからないけど、こうしてあたしの初恋は実った。

「すまないな、明梨。周りの人へ『仲良くしろ』とまではさすがに難しい」

「…ううん…孤立は…覚悟してたから…」

 あれからサッチとミキチーは少しギクシャクしてきていて、接点は少なくなっている。

 二人も白須賀さんが気になっていたのかもしれない。

 あたしたちを見てはヒソヒソと内緒話をしている女子が多く見られる。

 居心地の悪さを覚えつつ、でもこれはどうにもしにくい。

「できる限りのことはしたが、明梨。これでよかったのか?後悔してないか?」

「…うん…白須賀さんと一緒にいる以上…これくらいのことは…覚悟してた…」

「そうか」


「それで明梨、いつまで彼氏に敬語なの?」

 移動教室で、彼氏は別の用事があるということで優愛ちゃんと一緒に廊下を歩いている。

「…白須賀さんに…言われて…気づいた…いつの間にか…敬語になってるって…」

 思い返してみると、あたしが変わろうと思ってからすぐの頃にこうなった気がする。

「まずは呼び捨てから始めてみたら?」

「…白須賀…って…?」

「そう。それで慣れてきたら下の名前を呼び捨てで。実際彼氏はもう『明梨』って呼んでるでしょ?」

 そうだった。

 彼は付き合ってすぐに下の名前を呼び捨てしてきた。

 でもどこか壁を感じてしまい、未だに敬語で呼んでいる。

「呼び捨てでもハードル高いなら、まずは『くん』呼びに戻したら?最初の頃はそう呼んでたしね。今の明梨、誰よりも近くにいるはずの明梨が誰よりも他人行儀だよ」

「…そう…だよね…」

 まずは『くん』呼びから始めてみよう。いつの間にか『さん』呼びに変わってしまったのは、今にしてみれば後悔しかない。

「…それと優愛ちゃん…」

「何?」

「…塔下先輩の件…ごめん…」

「いいって。明梨のせいじゃないから」

 初詣の時に彼氏が乱入してきて、よくわからないうちに二人を置いてきてしまったこと。

 あれから白須賀さんは優愛ちゃんに事情を説明して、一旦落ち着いた。

「突然あんなことされて正直なところ頭にきてるけど、あいつの手口からしてその日は特に進展が見込めないとわかったから、緊張しながらだけど落ち着いて色々とお話できたよ」

 手口って…犯罪者じゃないんだから…。


 放課後も白須賀さんと二人で一緒に帰る日々が始まる。

 二人で歩いている姿を見てはヒソヒソと噂されている様子が続く。

 学校から遠ざかるにつれて、その様子は薄れる。

「…あたし…負けないから…誰に…どんな噂されても…」

「そうか。学年が変わる頃にはもう気に留める人すらいなくなるだろうな。今は耐えてもらうしかないけど」

「…新入生が…多分…騒ぐ…」

「ああ、そういや新入生がいるか。でも最初から付き合ってるって分かれば、それほど騒がれないんじゃないかな」

 そうかもしれない。けれども覚悟だけはしておく。

 楽観的に予測して外れた場合、余計に辛くなるから。

 それよりも今は優愛ちゃんのこと。

「…ところで…優愛ちゃんは…本当に…あれをさせるの…?」

「あれでもまだ生温いと思う。あいつハッキリ言ってバカだから」

「…優愛ちゃんの…彼氏候補に…その言い方は…」

「疑ぐり深いのに全然察せない考えなしってこと。答えが決まっている問いには強いから、俺と違って成績はいいぞ」

 色々と話をしている間に、家の前へ着く。

「ん」

 白須賀さんは両手を広げて招き入れのポーズをする。

「…え…?ここで…?」

「嫌?」

 もう不特定多数に公表して、誰に見られても構わないとはいえ、あえて人目につくところでは恥ずかしい。

「…せめて…玄関の内側で…」


 きゅっ

 温かい腕に抱かれて、幸せなひとときを噛みしめる。

「…あの…白須賀…」

 思い切って呼び捨てにしようとしたけど、何か胸の奥でひっかかる何かがあって

「…さん…」

 いつもの呼び方になってしまう。

「どうした?」

「…幸せ…」

「俺もだ」

 頭の高さにある胸からトクン、トクンと鼓動が聞こえる。

 その音にとても落ち着く。


「…はぁー…だめだった…」

 ボスンとベッドに倒れ込んで転がり、背中を預ける。

 呼び捨てはさすがに無理だった。

 せめて『くん』で呼びたかったけど、呼び慣れた『さん』が口から出ていた。

「…どうして…さん呼びに…なっちゃったんだろう…?」

 一度定着してしまった呼び方ってなかなか変えられない。

 その点、白須賀さんはすごいよ。

 付き合うことになった時、スパッと下の名前を呼び捨てにしてきた。

 何かきっかけがないと、切り替えるのも難しい。

 付き合う前は付き合う前で悩みがあって、付き合えば付き合ったで新たな悩みが次々に出てくるなんて。

 そのうち愛想を尽かされてしまわないか、心配で落ち着かない。

 それだけじゃなくて、今は優愛ちゃんの恋も進行中。

 こんなにも悩み事が増えてしまうなんて思わなかった。

 でも泣き言は言っていられない。

 変わるって、自分で決めたんだから。


「…おはよう…白須賀…さん…」

 呼び方を変えられずに時間だけが過ぎていく。

「おはよう明莉」

 いつでも白須賀さんはあたしの数歩先を行っている。

 優愛ちゃんはそれが気に入らないらしい。

 どこか甘く見られているように思っているのかもしれない。

 けれど、あたしは先回りする彼氏に対しては「手をかけさせて悪い」と思わせてしまっていると感じている。

 ずっと後ろからついていくあたしを、いつまでも待ってくれるとは限らない。

 変わらないと。

 …あ。

 変わろうと焦った結果、一度はフラレたんだった。

 どうすればいいんだろう…?

「何を悩んでいるんだ?明莉」

「…えっ…!?」

 考えを見透かされたような気がして、取り乱し気味に返事をしてしまった。

「すれ違いはお互いが言いたいことを言わずに抱え込むことから始まるものだ。明莉とはすれ違いたくない。悩んでることがあるなら遠慮なく言ってくれ」

「…ううん…特に…」

「そうか」

 とっさに嘘を吐いてしまった。

 少しは自分で考えて解決しないと、とても白須賀さんには追いつけないと思って。

 追い抜くことは無理としても、隣に立つ彼女としてせめて足並みは揃えたい。


「はあ。それで彼氏に話すこともできずに抱えてしまったと」

 呆れ気味に優愛ちゃんがため息をつく。

 休み時間に白須賀さんがお手洗いに立ったのを確認してから胸の内を打ち明けた。

「それじゃ聞くけど、足並みを揃えるところまで行けると思うの?」

「…無理…かもしれない…けど…今のままでいいとも…思ってない…」

「その考え方で一度フラれたのを忘れたの?」

「…え…?」

 付き合ってから、なぜ一度目の告白を断ったかは本人から聞いた。

 けど優愛ちゃんにそれを話した覚えはない。

「…なんで…それを知ってるの…?」

「あっ!」

 慌てた様子で声を上げる優愛ちゃん。

「…ねえ…なんで…?」

「ほう、いい度胸だ」

 ギクッと心臓が跳ね上がる優愛。

「それは明莉に言わない約束だったよな?」

「べっ…別にいいじゃない。もう付き合ってるんだし!」

「無効になる条件や期限を付けた覚えはないな」

「明莉から何か言ってあげてよ!」

 一体何のことだか心当たりがないから、何を言っていいのかわからない。

「…白須賀さん…どういう…こと…?」

「なに。一度明莉の告白を断ったときに吹上さんが噛みついてきてね。なぜ断ったかバラしたら、俺が嫌いな吹上さんにスキンシップをしてやるって約束したんだ。抱き締めたり、髪をいたり、と」

 そう言って、白須賀さんは優愛ちゃんに向かって両手を広げた。

「さ、おいで」

 例え優愛ちゃんであってもあたし以外に女の子と触れ合ってほしくない。

「…やめて…白須賀……!」

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