第17話 意を決して

 目覚めは最悪だ。


 良太は昨日、柊にとんでもない姿を見せてしまった。その後、魔王に羊と濃い人物の登場もあり、考える余裕もなかったのだが、いざ眠りに着こうとしてから、昼間の出来事が頭の中でループして寝付けなかった。


 学校に行くのをやめようかとすら思っていたのだが、良太の仮病は母に一瞬で看破され背中を蹴られるように家を出たのだ 


「くっ。いっそ殺せ……」


 いつもの通学路が地獄へと続く冥府の道のようだった。


 判決を待つ罪人のような面持ちで足を動かしているが、もやもやと考えている時ほど時間というものはすぐに過ぎてしまう。


 気づけば良太は校門の前に辿り着き校舎を見上げていた。


 校門の前にはいつものように桐谷がランニングシャツから覗かせる二の腕を誇示しているが、今はその少し気持ち悪い姿にも、なんの気持ちも浮かんでこない。


「おはよう浅野っ! ……っ?! お前大丈夫か?」


 うるさいくらいの声で挨拶をしてくる桐谷を、死んだ魚のような眼で見て良太は頭を下げる。校舎の二階にある自身の教室まで徐々に重くなってくる両足をなんとか動かして向かう。


 ドアの前までくると心臓が破裂するかのように鳴り、上半身の血流が重力に負けて下へと落ちていくのを感じていた。


「くそっ! ……おはようっ!」


 ここに至っては逃げたところでどうにもならないと、意を決して良太はドアを開けて声を張り上げた。


「おはよう良太」


「……? ん~???」


 目を丸くする。


 現実が理解できなかったからだ。


 開けたドアの先にはリムがいた。


 なぜか良太の学校の制服を身に着け、クラスメートに囲まれているのだ。


 良太が家から出る頃にはまだリビングのソファーで寝転がっていたはず、それなのになぜ先に学校に、しかも制服を着ているのだろうか。


「ご説明しましょうか?」


「おわっ!?」


 扉の淵を掴んだまま固まっている良太の耳元で、いきなり声がかけられる。驚いて振り返ると、小さな翼をパタパタとはためかせて宙に浮く八木がいた。


「なんでお前もいるんだよ」


「ご安心を。マナーを守って姿は消しておりますので……」


 優雅に一礼する八木の作法は、その姿とは裏腹にとても様になっているのだが、良太にとってはそれどころではない。


 自宅だけではなく、学校にまで非現実を持ち込まれたのではたまったものではないのだ。


「それで? なんでリムが来てるんだよ」


「はい。姫様が学校に行きたいと仰ったので……」


「ので……?」


 もったいぶるようにゆっくりと話し出した八木に、良太は横長の眼を見返して先を促す。


「来ました」


「説明になってねえよっ!」


 話は終わりだった。


 なんとなくは想像できる。リムが駄々をこねたのだろう。


 だが、なぜ制服を着ているのかとか、どうやって自分より早く学校に着いたのか、そんな疑問は一ミリも答えてくれていない。


「良太君。行かなくてもいいのですか?」


 何一つ疑問は解けていないが、予鈴が鳴ってしまったので、問いただす事が出来ず、仕方なく良太は教室内へと入って行く。


「おはよう浅野君」


 先ほどまで柊に合わせる顔が無くて悩んでいたのだ。


 不意に聞こえた挨拶は良太の心臓を再度殴りつけてくる。鈴のなるような声の方へと顔を向けると、声の主である彼女は笑顔を向けてくれていた。


「お、おお、おはよ、う……柊さ、ん」


 昨日の事など無かったかのように声をかけてくれる柊の前を通りすぎ、泳がせた眼を一瞬だけ柊へと向け、辛うじて出した歪な挨拶をして自身の席へと移動する。


 昨日悲鳴を上げて逃げ出した彼女がどうして普段通りなのだろう。


 罵倒されるか非難されるか、最悪無視される事すら覚悟していた良太は、その普段通りの可愛らしい笑顔を見て逆に不安感が込み上げてきていた。



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