ノゾキの第十一話。

 月見里さんの居場所は、案外すぐに見つかった。そりゃあそこまで大きい寮でもないし。

 

 しかし、風呂である。


 風呂、風呂、お風呂。


 ほう、風呂。風呂かあ...。


 ゲシュタルト崩壊しそうなほどに『風呂』と内心でつぶやくのには理由があって、シャワーの音が聞こえることにより、否応いやおうにも彼女の裸体を想像してしまうのを防ぐためだ。


 洗面所兼浴室と廊下をへだてる一枚の扉。ポケットには部屋から持ってきたスマートフォン。立ちつくす俺は腕を組み考える。


 ...『少しエッチな写真』、この上ないチャンスなのではっ!?


 それに、なんというか。俺も少し見てみたい...いや、これは。これは『月見里さんの裸』を見たいっていうわけじゃなくて、女性の裸に興味があるという、一般男児の欲望から来るものなんだけど。


 しかし俺の倫理観りんりかんと良識が、盗撮の試行を阻害そがいするのである。


『いいじゃねえか。裸なんて減るもんじゃねえしよお』


 おい俺の中の悪魔、出てくるな。


『こっちだって、だいぶ迷惑をこうむってるんだぜ?おパイの一つや二つくらいの報酬があってもいいはずだよなあ』


 胸は二つしかないだろ...って、そんなことはどうでもよくて。

 なるほど一理ある、と納得してしまいそうだ。早く俺の中の天使よ、出てきてくれ!


『素直になれ宮原夕陽。それに、月見里さんはスリーサイズを教えてくれたんだ。ノゾキだって許してくれるさ』


 そう...だよな、うん。そうだ。気になるのは、目的が写真を撮ることじゃなくてノゾキになっていることくらいだ。


 とりあえず、この扉を開けてからっ!


『ちょっと待って!』


 なんだ天使。今更出てきたとて、俺の欲望は止まらんぞ。


『カメラを起動させておいた方が、効率良く撮れるんじゃないかしら?』


 それもそうだな!やっと出てきたと思ったら、天使もノゾキ賛成派かよ!


 そして謎の理論武装りろんぶそうを得た俺は、勢いを増す性欲に反比例するかのように、ゆっくりとドアノブに手をかけ...ひねった。


 ドアを開けた途端にシャワーの音が大きくなったので、少しギョッとした。


 息を潜め、足音を立てないように靴下をスライドさせる。気分は完全に諜報員ちょうほういんだ。


 おお...これは、すごいぞ。すごい。


 モザイクガラス越しに見えるのは、うっすらとした肌色の輪郭りんかく。おそらく背中だろう。座って背中を流しているらしかった。罪悪感をき消すほどにおのれの胸の高鳴りが大きい。


 ...で、こっからどうすればいいの?

 まずい。とりあえず洗面所に入ることしか考えてなくて、完全にノープランだった。浴室を開けたらすぐ気付かれるし......。ううむ。

 

 留意りゅういすべきは、第一目標は写真であるということ。モザイクガラス越しに撮ったところで、男子達は満足しないだろう。もう一つ扉を開ける必要があるのだ。どうしたもんか。


 しかし、長考している時間はない。彼女が入浴を終えて出てきてはちわせたら、俺は死ぬ...そうだ。気付かれないように、月見里さんがシャンプーをしている間にこっそりと開けて、一枚パシャリ、頂戴ちょうだいすればいいのでは。髪を流してるときって、聴覚と視覚がちゃんと働かないし。うん、それしかない。

 

 そうと決まれば、あとは待つだけ。モザイクガラスに映る肌を注視しながらスマホを握りしめた。


 はやくしてくれ...。

 スマホが手汗で濡れる。

 

 五分ほど待ったが、一向に髪を洗う気配がない。もしかして既に洗った後だったとか...いや、雰囲気的には入り始めたばっかりのような気がする。なんかこう、湿度的に。


 さらに五分ほど経って、ついに彼女がシャワーを髪にやった。


 おお、ついに!今しかない!


 待った甲斐かいがあった。俺はアイドルの裸を見るのだ。そして写真も。


 ドアノブにかける手の震えをおさえながら、もう片方の手に握られたスマホのカメラを構える。


 ...よし、行くぞっ!!!



「......後輩くん、何してるの?」



 うおわあアアアアアアアアアア!



 声がした方をギギギ、と首を回して見遣みやる。


 案の定───ハル先輩がいた。


 ジュースを二本、両手に持った彼女は不思議そうな顔をして俺(スマホカメラ握りしめ下卑げびた表情)を見つめている。


 やばい、ドア閉め忘れてた。俺はとりあえず、ドアノブにかけた手を引っ込めて作り笑いを浮かべることにした。


「...なんにもしてないですよ?」

「いやだって今は咲耶ちゃんがお風呂」

「なんにもしてないですよ」


 ハル先輩は思案しあん顔で首を傾げる。


「......のぞき?」

「そそそんなわけないじゃないですか」


 はっはっは、と笑い飛ばしたものの、冷や汗が頬をしたたる。だって完全に言い逃れはできない状況なのだ。俺は強引に話題を変えることにした。


「...ハ、ハル先輩はなにしてるんですか?」

「え?私は罰ゲーム」


 ひょい、と両手のジュースを持ち上げる。どうやら服を脱ぐ形式は廃止になったらしい。


「ああ、負けたんですね」

「うん、照くんめっちゃ強かった...」

「そうなんだ。明日は俺も入れてください」

「もちろんだよ!二人で照くんを倒そう!」


 お、イイ感じに誤魔化ごまかせそうだぞ。そのまま何事もなかったかのように、そーっと洗面所から出れば......。


「で、後輩くんも自分の性欲に負けたの?」

「...へ?」

「理性が大敗して覗きとかいう行為におよんでるの?」


 全然誤魔化せてなかった。


「いや、これには深い事情がありまして...」


 誤魔化すのをやめ、弁解べんかいする方向へとシフトする。だって俺、悪くないもん!


「ほうほう、話を聞こうじゃないか」


 やはりハル先輩はいぶかしんでいる様子だ。


「なんというか、マイハニーのエッチな写真を撮らねばならない使命がございまして」

「...あー、うん。なるほどだ」


 何に納得したのやら、うんうんとうなずく。まあ、分かってくれたのならよかった。


「...そういうプレイかっ」

「違う!」


 かんちがいもはなはだしい。どんなプレイだよ!

 まったく俺の否定は聞き入れてもらえず、彼女は「合点がてんがいった」という顔つきだ。


「いいんだよ恥ずかしがらなくても。邪魔しちゃったね、ごめんよ」

「だから違いますって!クラスの連中に頼まれただけで!」

「はいはい。邪魔者の私は照くんにジュース渡さなきゃだからもう行くね!」


 そう言い残して、しゅたたっ、とリビングに消えていこうとする。


「えっ、ちょ」

「あとは若いお二人さんにお任せなんだよっ!」


 ハル先輩はニカッと笑ってサムズアップ。

 そのまま走り去っていきながら、「照くーん!!今、後輩くんと咲耶ちゃんが『ドキドキお風呂盗撮プレイ』中だから、洗面所入っちゃだーめーだーよ―!!」...っておい馬鹿クソハル!


 そんな大きな声で叫んだら......。


 ガチャリ。


「...?ハル先輩?どうかしたんです......か」


 浴室からひょいと顔を覗かせた月見里さん。濡れた髪を後ろでまとめた彼女の視線と、俺(ハル先輩に取り残されて一人、スマホを握りしめている)の視線が交錯こうさくする。


 あっ。終わった。


「は、はろー」


 とりあえず挨拶あいさつしてみた。


 月見里さんの大きな目が次第に細められていく。彼女の低い声が怒りでも恥じらいでもなく、心からの軽蔑けいべつによりはっされる。


「......あんたマジで何やってんの」


 ...ほんと、なにやってんだろう。死にたいなあ。

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