6.「なんて日だ!」――と、叫びたい。


 少しだけ逡巡した僕だったが、頭上から蒸気を垂れ流しているホタルは誰の目から見ても限界だった。早く答えないと彼女が干からびてしまうと焦り、彼女のことをジッと見つめながらおもむろに口を開き――


「……いや、うちのクラスの雷に、ホタルに好きな人がいるかどうか聞いてみてくれって、頼まれたからなんだけど」



 スーッと。

 彼女の顔面から、一切の色が失われる。


 能面のような無表情の彼女が、

 地面に目を落としながら、

 ワナワナと身体を震わせて――


「――フッ、ふふっ……、うふふふふっ……」


 『紅ホタル』が、不敵に笑う。



 ……なんか憑依した? 今、夏だしなぁ……、

 そういえば屋上、怪談スポットで有名だった気が――


「……そういう、コトね、おかしいと、思ったわよ……」


 そして彼女が、ポツンと声をこぼす。


「……? 何を言っているのかよくわからないけど……、で、どうなのホタル、好きな人、いるの?」


 ――刹那。

 手負いの獣のような目つきのホタルが、僕のことをギロリと睨みつけた。その目には涙が滲んでいる。僕の顔がギョッと硬直し、『防衛本能』が瞬間的に全神経を駆け巡り……、

 而して、『遅かった』。


 再び朱色に頬を染めたホタルが、

 右手を大きく振りかぶりながら、

 ありったけの声を、大空にまき散らす。


「……アタシが好きなのは……、『アンタ』だよっ! バカ――ッ!!」



 ――ばっこーんっ。



 彼女の右ストレートパンチが僕の顔面に炸裂し、

 晴天の青空を一人の男子高校生が舞った。


 ――えっ……?


 あらゆる意味で思考の仕方を忘れてしまった僕の眼下、脱兎のごとく駆け出したホタルの姿が視界に入る。フワフワと空中を滞留していた僕の身体がドサリと地面に落下し、ピクピクと痙攣しながら、グルグルと僕の頭を巡るは、幾多の疑問符。


 ――アンタだよ……、って、それって、えっ、えっ、えっ……?


 脳内で、ホタルの台詞が何度もリピート再生される。

 壊れたビデオテープみたいに、何度も何度も何度も何度も――


 例え何百回再生されたところで、意識がもうろうとしている僕の頭では、

 その言葉の意味を理解することなんて、到底できなかったんだけど――





「――ねぇ、葵くん、よかったら、今日一緒に帰りませんか?」

「……えっ?」

「……ちょっと、葵くんと、話したいことが、あって――」


 ――急転直下、「なんて日だ!」――と、叫びたい。

 今日という一日は、『イレギュラーイベント』の発生確率が明らかにおかしい。誰かが間違えてイベントのフラグスイッチを大量配置してしまったとしか思えない。

 ……ええと、何から話せば――


 ――屋上で意識を取り戻した僕は、ヨロヨロとした足取りで教室に戻ることにした。教室には誰もいなくて、ホタルは一人で帰ってしまったらしく、僕は彼女の台詞の真意を聞きそびれてしまった。……と言っても、今彼女と会ってもなんて声をかけていいかなんて、わからないんだけど――


 雷の姿も見えなくて、まぁ奴は軽音楽部の活動に勤しんでいるんだろうと、結果報告は明日に持ち越すことにした。……真実をどう伝えるかは、別途考えるとして――、で、フラフラの頭で帰り支度をしているところに現れたのが、クラスのマドンナ、『柳アゲハ』さん。「生徒会の仕事があって、帰りが遅くなってしまって」と、彼女の笑顔は相変わらず柔らかい。――で、そんな彼女の笑顔に見惚れている間に――


「……僕と、話したいコト?」

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