うつし鏡

小山雪哉

第1話

 穂乃果が普段通りの凛々しい顔で教室に入ってきたとき、菜月は二つの意味で安堵した。一つは、四月早々三日間も連絡なく休んでいた友人が、無事に姿を見せたこと。もう一つは、凛と心春こはるの二人に対して、対等の力関係を取り戻せたことだ。


「高校デビューの直前にお祖母ちゃんが亡くなるなんて、幸先悪いよね」

 穂乃果は大袈裟に溜息をついてみせる。昼休み、窓際の穂乃果の席を、菜月、凛、心春の三人が取り巻いていた。

「急に連絡が来なくなったから、事故にでも遭ったのかと思って心配したよ」

 菜月が言うと、心春は同意して頷いたが、凜は平然としたままだった。

「私はてっきり駆け落ちしたのかと思ってた。ほら、中学のときからウワサの先輩と」

「やめてよー。まだそんな歳じゃないから」

 もうすぐ十六歳じゃない、早く結婚しても良いことないから、と続ける二人を横目に、菜月は心春と目を合わせて苦笑する。こういった笑顔の裏で火花が散るような危ういやり取りには慣れていたが、忌引き開け早々に繰り広げられると、さすがに気まずい。

 K団地の幼馴染四人である。菜月と穂乃果が同じアパートに、凛と心春が向かいのアパートに住んでいた。保育園の頃は、四人で穏やかに遊んでいたように思うが、小学校に上がった頃には、穂乃果と凜の対立構造がなんとなく完成していた。

「菜月はちゃんと心配してメッセージくれたもんね」

 穂乃果に迫られ、菜月は「まあね」と曖昧に返事をする。

「ひどい、私らだって心配してたよね、心春」

「それは、もちろん……」

 凜に顔を覗き込まれ、心春は俯きがちに返答する。

 歪ながらも、これが四人の関係だった。穂乃果の腰巾着をする菜月、凛の腰巾着をする心春。気の強い二人には家来が必要で、気の弱い二人には、庇護者が必要なのだ。利害は一致している。

 

 そんな調子で雑談に興じていると、前の席から何かを叩きつける強烈な音がして、菜月は身をすくめた。刹那、教室が沈黙する。彼女は周囲の目など気にも留めず、椅子から立ち上がると、廊下に待っていたらしい友人に駆け寄った。

「あそこ騒音が酷いの。向こうの教室で話そう」

 歩き去っていく後ろ姿を見遣り、四人は顔を合わせた。

「なにあれ、ゆいっていつからあんなこと言う子になったの」

 吐き捨てるように穂乃果が言う。

 唯もK団地に住んでいた。しかし四人とはアパートが違い、またそりも合わなかったので、特に中学に入ってからは関わりを持っていなかった。

 ――確かにうるさかったけど。

 聞こえよがしに言われると良い気分ではない、と菜月は思う。

 話が途切れて重い空気になったところを、おもむろに穂乃果が立ち上がった。唯の座っていた椅子を引き出すと堂々と座り、机の左に掛けられた通学鞄に手を伸ばす。

「ちょっと、やめなって」

 菜月の制止も聞かず、鞄の中身が次々と机に出されていく。無意識に、菜月は壁になってその行為を隠そうと身体を寄せた。心春はおどおどと周囲を見回し、凜は不敵な笑みを浮かべて、投げ出される物を見つめている。

「たいして面白いものはないなぁ。気持ち悪いホラー小説くらい」

 他には、と言いながら手のひらサイズの布ポーチを開ける。すると穂乃果は眉を顰めた。

「やだ、何これ」

 三人は穂乃果の手元を覗き込む。それはごく普通の四角い手鏡に見えたが、よく見ると鏡面がマジックか何かで真っ黒に塗り潰されていた。

「それ黒鏡じゃない? 魔女が使うっていう」ここまでオカルトに侵されてるとはね、凜は感慨深げに呟く。「人でも呪い殺すつもりなのかな」

「違うよ」穂乃果は汚いものでも持つように鏡を摘み、ポーチに戻す。「黒鏡は過去とか未来を見渡すやつ。呪いはもっと普通の鏡でいいの」

「なんで呪う方法を知ってるの」

 怖いねー、と凜は心春の腕を掴む。

「噂、知らないの?」鞄を元通りにしまうと、穂乃果は三人を手振りで寄せた。「この高校でね、十年位前に流行ったんだって。誰が始めたかは分からないけど、とにかく嫌いな人を呪う方法が噂で広まったの」

 どんな方法、と凜が尋ねる。

「必要なのは鏡だけ。手鏡でもなんでもいい、鏡を相手の家に向けて、呪いたい相手を頭に思い浮かべながら、憎しみの言葉を呟くの」

 簡単でしょ、と穂乃果は言って菜月を横目で見る。菜月は肌が粟立つのを感じて俯いた。

「怖がらないでね。呪いをかけられても、別の人に返せば大丈夫なんだから。もちろん鏡を使って、同じ方法で。……まあすぐ廃れちゃったんだけどね。鏡の位置を正確に合わせないといけないから、一度鏡の光が届いているか確認する必要があるの。だからある程度家が近くないと出来ないってわけ」


 予鈴が鳴り、真っ昼間の不穏な会はお開きになった。しかし菜月は五限が始まってからも、異様な寒気に肩を震わせていた。菜月は怪談がめっぽう苦手なのだ。特に鏡など、家族共用の洗面所でさえ、夜は徹底して布を掛けているくらいだった。

 ――私を怖がらせて楽しんでるんだ。

 穂乃果と目が合ったが、悪びれる様子もなく小さく手を振ってくる。そんな彼女を憎らしく思うと同時に、何も言い返せず手を振り返す自分が情けなかった。

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