第9話  前夜

 待ち遠しい。

 学校の講習を受けながら、教室の壁にかけてある時計を見る。

 今日の授業も残り僅か。数分後には会う彼の事を思うと、自然と頬が緩む。

 こんなにも心が弾んだ時は今まで一度もなかった。

 人間、変われるものなんだ、としみじみ感じた。

 窓の外に目をやると、厚い雲が空を覆っていた。

 今にも雪か雨でも降ってきそうな勢いで、私の心とは裏腹に空の気持ちは沈んでいた。


「今日はこれまで!」


 担任の威勢の良い声と共に、授業が終わる。

 他の生徒が教室でざわめきだすが、それを気にせず私は携帯を取り出す。

 着信のチェックだ。

 携帯に着信は……無い。

 ひとまず胸を撫でおろす。

 学校で着信があると、それは図書室に向かう事が出来ないという連絡だからだ。


 あれ以来、何度か図書室に来れない時があった。

 その時は連絡を必ずよこしてもらえる。

 ただ、自分が思っている以上に私は我が儘な事を痛感した。

 図書室で会えない時は、夜に何かと理由をつけて連絡をしてしまう。

 彼は何事も気さくに応えてくれるが、実際、嫌がっているかもしれない。

 でも仕方がない。

 彼の声を聴くと、安心してしまうからだ。


「依存症……なのかな」


 ポツリと声が出る。

 ただ、治せる薬はないだろうと、自分で完結する。

 とりあえず今日は彼と直接会える。

 逸る気持ちを押さえながら、鞄に教科書の類を詰め込んでいると。


「ねぇねぇ、そろそろクリスマスだよね」


 近くで話している女子達の会話が耳に飛び込んでくる。

 聞く気はないけど、女子達は一向に聴かせようと音量を上げて話してくる。


「さとみは、もうクリスマスの予定あるの?」

「私は、彼と放課後デートでーす」

「ええ! うそ。いいなぁ!」


 和気藹々とした雰囲気で女子の会話が弾んでいた。


 ――――クリスマス、か。


 確かに言われてみればもうすぐクリスマスの時期。

 ただ、うちの学校は終業式が他より遅いので、クリスマスイブの時点ではまだ冬休みに入っていないので、まだ登校しなければならない。


 ――――柳君、どうするんだろクリスマス。


 誘う? と考えが浮かんだけれど、首を振った。

 流石に以前より積極的になってきた自分だけれど、流石にそこまでは無理。

 とりあえず、考えるのを止めて図書室へ向かう事にした。


 変な悩みが増えてしまった。

 彼の方から誘ってもらえるなら、一番良いのだけれど、そんな気配は感じない。

 一応イメージはしてみるものの。


 ”小宮さん、僕とクリスマス、素敵な夜を一緒に過ごさない?”


 そして私の手を掴んで、グイっと引き寄せる……感じ。

 う~ん……無い、無い。

 まぁ、その、ちょっと話題を振ってみようかな。

 そこまで期待はしてないけど、もしかしたら――っ。

 ゴン! と扉に顔をぶつける。


「――――っう!」


 鼻を擦って痛みを和らげる。

 考え事に夢中になりすぎて、着いた事に全然気づかなかった。

 気を取り直し、扉の前に立つ。目の前には半開きのドア。

 それを見ると、自然と笑みが出てしまう。


「柳君、待った?」


 中に入って彼の姿を確認する。

 そこに、きちんと彼の姿はあった。けど、気になることもあった。

 彼は机の上に手帳のようなものを出して、何か執筆していた。

 こげ茶の表紙に、どこか年季の入っている。

 声に反応した柳君は、書いていた手帳を閉じて直ぐに鞄の中にしまった。


「や、やあ小宮さん! 今日は早かったね」


 初めて見る焦りの色の顔。

 なんだろう? 気になる。


「今の手帳?」

「もしかして……中見えてた?」

「ううん。中は見えなかったけど……どうしたの?」

「えっと、スケジュールの確認をしてたんだ」


 スケジュールの確認。それってつまり、クリスマスの予定?

 そうか! 言われてみれば、柳君の予定が既に埋まっている可能性がある。

 迂闊だった。

 最近までクリスマスの行事なんて何も関係ないと思っていたから。そんな事微塵も思っていなかった。


 何時も通り彼の隣に私は座る。

 彼は何事も無かったかのように本を見ている。

 それに対して、私はずっとクリスマスの予定を考えていた。


「小宮さん、今日はどうしたの?」

「え! 何?」

「いや、何時もなら本を読んでるのに、今日はボーっとしてるから」


 言われるまで全然気づかなかった。

 私は本を取る事すらせず、ただ席に座って考えていた。

 慌てて本棚から持ってくるものの、クリスマスの事が頭から離れず集中できない。

 そんな私の変化を感じたのか。


「小宮さん、何かあった?」


 彼から話しかけられる。

 真剣な眼差しを私に向ける。その、あまり見ない表情に自分の頬が紅潮するのが分かる。


「いや、その……」

「何かあるなら言って。僕、小宮さんの力になりたい」


 何かあるんだけど、言えないの!

 私の気持ちを察して欲しいけど、何も感じてくれない。

 胸のわだかまりが更に強くなる。


「もうすぐ、冬休みだよね……」

「うん、そうだね」

「その前に、何かイベントとか無かった?」

「学校で? いや、別に無かったけど」


 もどかしい。

 何でちょっと考えれば気づいてくれそうなのに、気づかないのか。


「だからその、く……くり」

「くり?」


 クリスマス、と言いかけて、電子音が鳴り響く。

 彼は鞄の中から携帯を取り出し、それに出る。


「もしもし」

『よぉ、柳。俺だよ、俺』


 男の人の声。

 親し気に話しているところから、彼の友人だろう。

 電話の会話が私の所まで聞こえてくる。


『あのさ、二十四日にクリスマスパーティー開くんだけど、良かったら来ないか?』

「クリスマスパーティー?」


 信じられないタイミングだった。

 今すぐにでもその電話を取りたい衝動に駆られるが、抑え込む。

 祈るような気持ちで彼を見守る。


『そうそう。ここだけの話、結構可愛い子も来るぞ。お前も来ればパーティーが盛り上がるだろうし、是非来てくれないか』


 電話から下品な声。

 どうやら、会話から推察すると、大きなパーティーみたい。可愛い女の子も来るとなれば、彼がそれを断る理由もない。


「そうか。それは楽しそうだな」


 彼の声が弾む。一瞬、彼の目線がこっちを見た気がした。


『だろ? だからさ――』

「でも悪い。クリスマスは用事が入る予定になってるんだ」

『入る予定?』

「まだ相手に聞いてないけど、クリスマス”も”一緒に過ごしたい人がいるんだ」

『なんだよ……もし、ダメだったら連絡くれよ』

「ああ、分かってる」


 電話を彼が切る。

 全て会話が聞こえていたけど、聞こえてないフリをする。

 本を広げて、何事も無かったかのように私は装う。

 まだ、分からない。彼の口から聴くまでは。


 何時彼が声をかけてくるか、緊張で心臓が止まりそう。


「小宮さん」

「は、はい! わ、私は別に用事なんて……」

「本、逆さまだよ」


 指摘されて、初めて気づく。

 慌てて直すが、もう遅かった。私の行動を見て彼の口元が緩む。


「柳君は相当意地悪ですね……」

「小宮さんの慌てる姿が面白くて」

「他に言う事はありませんか?」

「今度のクリスマス、小宮さんは予定ある?」






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