椿の恋

nekuro

第1話  神様の悪戯



 虫女。それが私の愛称だ。

 本の虫という言葉から来たもので、実に私らしい、とつけた相手に感心した。

 学校で何時も暇があれば本を読んでいる。ただ、それはフリ。

 読むフリをするだけで、それは相手に対して壁となる。

 ただ、関わりたくないだけ。

 当然、学校で友達なんていない。これは私の性格とコミュニケーション能力の無さが原因。

 小学校から中学の現在に至るまで、友達とは縁がない。

 一日が終わると、決まって私はある場所へと向かう。

 廊下で出口のほうへ向かっていく生徒の流れに逆らうように校舎の奥へと足を運ぶ。

 喧噪は薄れ、次第に音が消える。

 目的の教室に辿り着く。

 扉を開けると、そこには長机と椅子と本棚のメンバーが揃っている。



「今日もよろしく」



 何時ものメンバーに挨拶をする。

 不必要なぐらい広いスペース。西日が強いので、窓のブラインドを静かに下ろす。

 あらかじめ目星のつけていた本を、棚から幾つか抜き出していく。

 それを手にしていつもの指定席へと腰掛ける。

 本を開けば、大抵赤い栞が挟まっている。私が勝手に挟んだものだ。

 でも怒られることはない。ここを使用する人間は一人しかいないのだから。

 ページをめくる音だけが静かに空しく室内に響く。


 この時間が私の至福。


 誰にも邪魔されることのない、たった一人の世界がここにある。




 ♦♦     ♦♦




 今日は雨が降っていた。


 昼からにわかに落ちていた雨粒は時間が経つにつれ、やがて流星のように降り注ぐ。

 授業を終えた生徒達が廊下から窓の外を頻りに見る。

 天からの贈り物に、生徒は口々に文句を募らせた。それに呼応するように激しさを増す。

 止む気配は一向に見えない。帰る時間までには止んでくれることを願うしかない。

 校舎奥の図書室へ来ると、違和感を覚えた。

 何時もと何か違う。教室の前に立つと、それは分かった。



 ――――開いてる。



 教室の扉が完全に閉まっておらず、半開きで止まっている。誰かが使用した形跡がそこにあった。

 部屋の中から音はしない。おそるおそる、教室の扉をズラして中を覗く。

 そこには確かな異物が混じっていた。

 机に突っ伏している男子生徒。きっと、雨が止むのを待つ時間の利用者なのだろう。

 反射的に溜息が出てしまう。でも、私もこの雨の中を帰るのは躊躇いがあった。

 幸い、男子生徒が利用している席は私の席とは離れている。

 静かに扉を閉めると、机に突っ伏している男子生徒の方へと近づいて顔を見た。


 黒髪のショートカット。整髪されてナチュナルな印象を受ける髪型。綺麗に整った目鼻の良さ。

 肌はとても白く、綺麗で繊細だった。

 細身の男の瞼は完全に閉じており、微かな寝息が聞こえてくる。


 どこのクラスの男子生徒だろう?


 その寝顔をまじまじと眺める。見れば見るほどその顔立ちはとても綺麗だった。

 突然、男の瞼が開いた。眼は完全に開いてはいないけれど、私のことを完全に捉えていた。

 不意を突かれた私の思考は完全に白く塗りつぶされて、次の言葉が出なかった。



「誰?」



 寝ぼけた声だった。

 体中の血が一気に駆け巡ったのが分かった。心臓が働きすぎて過労死してしまいそう。

 頬が焼けたように熱い。

 恥ずかしい。これじゃあまるで、私がこの男に興味があったみたいだ。



「ち、違います! そういうのじゃありません!」



 あ、違う。そうじゃない。

 思わず心の葛藤に対して叫んでしまった。男子生徒は訳も分からないから目を丸くしてる。

 どうしよう、ただでさえコミュニケーション能力ないのに、絶対変に思われた。

 恥ずかしくて、そのまま俯いて何も言えなくなった。



「柳。柳宗一やなぎそういち



 顔を上げる。男子生徒は突っ伏していた体を起こして、私の方を見ていた。

 眼がパッチリと開き、優し気な瞳がそこにあった。その顔は寝ていた時よりも、ずっとカッコよかった。



「やな、ぎ?」


「名前。僕の名前は柳宗一やなぎそういち。君は?」


「こみや・・・・・・小宮こみや椿つばきです」



 口が勝手に開いた。

 もっと色々考えることがあったはずなのに、自然と私は名前を口にしていた。

 小宮、と彼は私の名前を一度呟くと。



「じゃあ、小宮さん。僕、また寝ます」

「は?」



 それじゃあ、と手を振ると彼は再び机に突っ伏してしまった。

 一体何なんだろう、この人。

 深く考えても仕方ないので、この柳さんはいないものと考えよう。

 目星のつけた本を選んで、何時もの席へと腰を掛ける。

 この時間が私の至福。誰にも邪魔されない――筈なのに。

 時折聞こえる寝言が、雑音になって集中できない!

 これ以上此処にいても疲れるだけだ。

 開いた本を閉じ、元あった場所に本を戻す。幸せそうに寝ている柳さんをそのままにして出ていく。


 廊下に出ると、窓から見える景色に雲から明かりがさしこんでいた。

 あれだけ降っていた雨は、何もなかったように止まっていた。



「本当、不思議」



 あの時、雨が止んでいたらそのまま帰っていたのに。

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