第42話 番外編-2

「兼彦のところは?」

「八つと七つ、だったよな?」

 兼彦叔父さんは自信がないのか、叔母さんに聞いた。叔母さんが「いやね、ちゃんと覚えててよ」とすぐに反応し、同時に何かを叩いたような音がした。

「貴子のところはまだ小さいよな」

「ええ。簡単なお使いくらいならできると思うけれど」

「簡単ではないからな」

「兄さん、まさか子供に行かせる気かい?」

 兼彦叔父さんの声はちょっとびっくりしたような響きを含んでいた。

「安全性が高いのは子供だ。五十年後に跳んで、新しい治療法が見付かっていたなら、それをしっかりメモして戻って来る。洋介の年齢、小五なら何とかなる」

「いやそりゃ確かにそうだろうけど。仮に洋介君を行かせるとしたって、六十一歳の時点で健在かどうかは分からんぜ。がんの家系だって言うんなら」

「そこを含めて可能性が多少でも高いのは洋介だろう」

「三時間で?」

「手で書き写す訳じゃない。コピーすれば短時間で済む。いや、五十年先の未来なら、もっと便利になっているに違いない」

「……洋介君を未来にやることに、お義姉さんは賛成なのかい?」

「私はどちらとも決めていない。決めるとしたら、洋介自身によく話して聞かせて、理解できたようならその上で判断させる」

「うーん。あの子は勉強できる方だし、話の内容は分かるだろうがそもそも、今どきの子供ってこんなの信じるかね?」

「こんなのって、Sカードのこと?」

「もちろん」

「いかにも子供向けのアイテムっぽいが、信じないと思う理由はあるのか」

 声がお父さんに変わった。僕は知らない間に息を詰めて聞いているのに気付く。

「はっきり言えば、すれているからな。洋介君に限ったことじゃなしに、小学五、六年生にもなれば子供だましのおもちゃだと思って、こういう物は試しもせずにそっぽを向くかも」

「だったらそこは、一度試させるしかないな。安全な過去に戻って――そうだ、難病のことを伝えるメモでも持たせて、お母さんに――あの子からすればおばあちゃんに、渡すように言えば一石二鳥だ」

「合理的だな、兄貴は。自分の子供に関わることでも、よくドライでいられる」

「俺達の母さんに関わることでもあるんでな。リスクを承知で提案している。実は、俺と妻と二人だけで決めて実行しようかと思っていたくらいだ。皆に相談したのは、もっといい手があるかもしれないと、踏みとどまったからに過ぎない。こうして何時間も話し合って、お母さんを救うよりよい方法は出て来ないじゃないか」

「生きているお母さんに拘るのも分かるよ。でも、不確定な方法を試すのはどうなのかなあ。闇雲に未来に跳ぶくらいなら、亡くなったお父さんを生き返らせることの方が現実的だっていう気がする」

 死んだおじいちゃんを生き返らせる……それが“現実的”だなんて。おかしな表現に思わず笑ってしまいそうになる。口を両手で押さえて、どうにか我慢した。

「がんが悪化する前に戻って、現代の最新医療を受けさせれば少なくとも延命はできるだろうな。完治だって夢じゃない。だけど、現時点でこの世にいない者を、過去に遡って生き返らせるのはその後の俺達の人生も全然変わってくる。こうして話し合っている記憶も失うだろうし、もしかすると普段の暮らしにも影響が出ているかもな。中途半端な延命だと、俺達親族の誰かの負担が増えることも考えられる」

「う、それは」

「さらにだ。俺の親父を助けたら、次は妻の両親も助けたくなる。亡くなってしばらく経つ三人全員が、“あのとき”死んでいなくて、今生きていたら暮らし向きががらっと変わるのは間違いない。嫌な言い方をするが、貴子の結婚がもっと先になっていたかもしれない。そうなると子作りのタイミングも違ってくる。つまり、今いる育実いくみちゃんとは別の子供が生まれるという考え方ができる訳だ」

「そんな。嫌よ、私。あの子を手放すなんて」

「考えようだがな。仮に過去に介入して、人生が変わったとしても、今の我々が経験してきた人生の記憶は残らない。新しく生まれた子が育実ちゃんになるだけ」

「だめよ、絶対に。記憶に残らないっていうだけで、もう耐えられない」

「だろ? 未来に跳ぶのは確かにリスクがあるが、過去に跳ぶのだってリスクゼロじゃない。ある意味、未来へ行くよりも大きな変化がもたらされ得るんだ。俺の望みは、できる限りこれまでの人生を守って、その上でお母さんの病気を治したい、これだけだ」

「……しょうがないな。今なら多数決を採っても負けるだろうし」

 兼彦叔父さんの口調がさばさばしたものになった。

「けど、洋介君には誰が伝えるんだ? 俺、そういう役はごめんだよ。同じ場にいるのだってお断りだ」

「安心してくれ。当然、俺と妻とで説明する。判断はあくまでも洋介に預ける」

「……洋介君が断ったときは?」

「そのときは……しょうがないから俺が行くか」

 気取った苦笑いを浮かべるお父さんの顔を、頭の中に思い浮かべるのは簡単だった。

 僕は自分の寝室を出て、大人達の話し合いの場に向かった。


 みんなの話を途中から聞いていたと明かした僕に、みんなは最初、驚いていた。けどすぐにそんな余裕はないと気付いて、今後のための話に移ったんだ。

 まず、Sカードという時間旅行のできるアイテムについて、お父さん達から説明を受け、さらに僕自身もカードにある細かい字をじっくり読み込んだ。

 また、おばあちゃんの容態と、未来に行ってどういう風にすれば治療法を知ることができるかについてもしっかり聞いた。もちろん、治療法がその未来の時点で見付かっていればの話だけれども。

「カードを使うのに注意しなくちゃいけないことがたくさんあるのは、おまえも読んで分かったと思う。その中でも、未来に行くときは特に注意が必要だということも」

 僕は「うん」と頷き、続けて言った。

「五十年後に行くのはかまわない。六十歳ちょっと過ぎでしょ。僕、そんなに早く死んでないよ、多分」

「絶対とは言えないんだぞ」

 あれだけ僕を未来に行かせるのに積極的だった父さんが、僕を前にすると逆に引き留めようとするかのように、慎重になっている。

「そんなことを言うんだったら、明日に行くのだって、十分後に行くのだって絶対とは言い切れないよ。交通事故に遭うかもしれないし、雷や地震で死んでいるかもしれない。割り切らなきゃ」

 僕の寿命がいくつなのかは知りようがない、だから考えても仕方がない。寿命の他にも、スキップして付いた場所が大火事や自然災害に見舞われていたら死んでしまうし、家に到着するつもりが五十年後には取り壊されて道路になっていたら、車に轢かれる恐れだってある。どうしようもないことはいっぱいある。未来に向かうのはそれだけ大変で、思い切りが必要なんだ。

「それよりも行く場所が重要なんじゃない?」

「あ、ああ。そうだな。外国の大学に行くのがいいんだろうが、さすがにおまえの語学力では通じない。そうなると、この分野で日本の最先端の大学か。そこの図書館なんかいいんじゃないか」

「おばあちゃんを診てもらっているお医者さんの病院は? お医者さんは五十年後、生きてるか死んでるか分からないけど、病院は多分残るんじゃないかって。公立だし、大きいし」

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