第1話 1-1

 一人住まいのアパートで競馬中継を見ようとテレビの前に座していると、ドアがノックされた。まだメインレースまでは時間があるからいいようなものの、誰だこんなタイミングでと、いささか不機嫌になる。

 玄関に向かうと既にドアは開いており、大きな丸眼鏡を掛けた男がこちら側を覗いていた。若干小柄で、頼りなげな体格に色白の肌をしている。

「あ、田村市彦たむらいちひこさんですね。P大学一年生の」

 いきなりそう言った。高いが、耳障りではない声だ。

「そうだけど、あなた誰?」

江住えすみと申します。これ、名刺です」

 マジシャンがカードを扱うときのように、流麗な手つきで名刺を取り出し、渡してきた。ありふれた白い紙の名刺に、江住末雄すえおと刷ってある。肩書きはスキップ社商品販売員……。

「訪問販売のセールスマン? 何か売りつけるつもりなら、人を見る目を――」

「まあまあ、端からそう邪険になさらず、どのような商品か説明をお聞きになってからでも」

「しかし、余計な物を買うお金がそもそもないんだ。ご覧の通り、決してご立派でないアパートに、親の仕送りとバイトで暮らしている学生の身分なんでね」

 我ながら芝居がかって、室内を見渡す仕種をした。こういう手合いは早く追っ払うに限る。だったら、さっさと「いりません、帰ってください」と言えばいいのだが。この時点で相手のペースに嵌まっていたのかもしれない。

「お金ならもうじき、それなりのまとまった額が入りますよ」

 江住は意味ありげに言った。訳が分からない。首を傾げる僕に相手はにこやかに続ける。

「おや。競馬をなさるのに、勘が鈍い」

 競馬は、大学に入ってから知り合った友達に誘われて、大きなレースだけ買うようになった。験担ぎというか、決まった数字の馬券を購入するだけで、馬や騎手その他に関してはまるで詳しくない。

「競馬で当てたと言うんですか? おかしいな。これまで買った分は、欠かさずチェックしているけれども、二回目に本命がちがちのを当てたきりで」

「そうではありません。今日これから的中するのです」

「? さっぱり分からん」

 頭のおかしい人なのかと思い始めた。すると江住は僕の心を読んだかのように、「大丈夫、私は正常ですよ。論より証拠、実体験してもらうのがよいと考え時間を合わせて飛んできたつもりでしたが、少々早かったようで」とぺらぺら喋りながら、上がり込んできた。

「ちょ、ちょっと」

「レース、始まりますよ。いつものように、6-7を買っておられるんでしょう?」

「あ、ああ」

 六月七日、好きだった異性の誕生日にかけたものだ。そんな馬券の買い方をしていると知っているのは誰もいないはずだが。

「一〇四万九千円ぐらいが返ってくるはずですよ」

「入れば、ね」

 倍率を思い出しつつ、そう答えた。

「間違いなく6-7が来ます。何故、確信を持って言えるかというと、私にとって過去のことだからです」

 相変わらず続く意味不明の話にいい加減腹が立ち、怒鳴りつけてやろうかとした。その矢先、メインレースがスタート。出かかった言葉を飲み込み、テレビの方を向く。横目で江住の様子を窺うと、自信たっぷりな微笑を浮かべていた。

 そして――。

「……ほんとに来ちゃったよ」


 事態をよく理解できないまま、僕はとりあえず、江住氏にお茶を出していた。

 本人が主張するところによると彼は未来人で、二十四世紀半ばから来た。“スキップ”なるテクノロジーが二十四世紀初頭に、その原理の端緒が見付かり、以後、様々な発明がなされた。その関連商品を売り歩くセールスマンだという。

「――こうして私が過去の時代に来られるのも、スキップ技術のおかげなんです」

「えーと」

 僕は半信半疑のまま、確認の質問をしようとした。大人であれば口にするのが多少憚られることを。

「スキップというのはつまり、その、タイムマシンのようなもの……なんですか?」

「そういう理解で、何ら問題ありません」

 我が意を得たりと、大きく頷く江住氏。

「補足するならば田村さんにお買い上げいただこうと、この度お持ちしたのは、条件付きタイムマシン、限定的タイムマシンとでも呼べましょうか」

 話しながら、懐から超小型アタッシュケースのような物を取り出す江住氏。さらにそれを開けて、中から一枚のカードを手に取った。サイズはトランプ大で、デザインや色はどこかで見た覚えが……。

 はたと気付き、僕はつい、指差して叫んでいた。

「何それ。UNOのスキップじゃないか!」

「はい。同じスキップなので、メーカーとして洒落っ気を出して、似たデザインになっております。混乱を避けるため、商品名はSカードとしていますが」

 彼はカードを裏返した。裏――大きくSと書かれた側が表だとして――には、細かい字で何やらびっしり書き込まれている。多分、説明書き、注意事項の類だろう。

「使い方や注意事項などは、ここに日本語で書いてあります。説明責任からお伺いしますが、一つ一つ読み上げましょうか? それとも、主な点のみをお伝えし、細部はあとでご自身で読まれますか?」

「じゃあ、とりあえず、主な点を聞かせてほしい」

 江住氏が帰るまでに、全部読むくらいの時間はあると踏み、僕は後者を選択した。

「分かりました。まず、正式な商品名はSカード・スタンダードです。名称からご推察できると思いますが、様々な機能が付いた上位製品があります。しかし今回、田村様にお売りできるのは、このタイプのみになっております。何故かと申しますと、大変失礼ながら田村様の資産――」

「分かった分かった。ついでだから、先に価格を聞いておきたい。いくら?」

「五十万円になります」

 息を飲む。生まれてこの方、そんな高価な物を僕個人のお金で購入した経験はまだない。

「これでもお安くしています。と言いますのも、スキップ関連商品に定価というものはなく、人柄と資産その他諸々を調査した上で、適正と思われる価格を算出、提示させていただくシステムとなっていますので」

「し、しか、しかし、五十万が僕にとって適正か?」

「最前、百万円あまりの臨時収入があったことをお忘れなく。その半分以下のご請求なのですから、良心的であるとさえ自負しております」

 図々しいというか、傲慢というか。

 でも……本当に時間旅行を可能にする代物であれば、五十万円でも安い、という考え方がありなのは確かだ。ひとまず、支払う意思のあることを示すと、僕は翻意して、説明書きを読みたいと望んだ。万が一にも、この品物の欠点を隠されたまま丸め込まれてはかなわない。それに、もし本当に江住氏が未来から来たのなら、一瞬でこの場から消え失せることも可能なのではないか。そんな想像が働いたのだ。

「かまいませんよ。じっくりと読んでください。ご不明な点があれば、遠慮なく質問してくださって結構です」


1.本品の使用者欄に名前を当人が記入することで、使用者が決定される。使

 用できるのは、名前の当人のみとする。使用者変更はいかなる形でも不可


2.本品の使用は、希望する行き先と時間を明確に思い浮かべながら、「スキ

 ップ」と発声し、本品を足下に放ることでなる(本品は移動した先に着いて

 行きます)


3.本品の移動可能範囲は、使用者ごとに条件が付く。つまり、使用者の現に

 存在する時点より未来、過去の方向にかかわらず、使用者が生存している時

 間に限る。これを超えて使用した場合、使用者の生命に関わる


4.本品により移動した先での滞在時間は、三時間を上限とする。これを超え

 て滞在した場合、弊社は使用者の身体の安全及び元の時点への帰還を保証し

 ない


5.本品により移動後、元の時点に戻るに際しては、直行に限る(換言すれば、

 寄り道をしてはならない。これに反した場合、元の時点に戻れません)。帰

 路に関しては、「Rスキップ」と発声して本品を足下に放るだけでなる


6.本品は使用限度を六回とする(使用後は、単なるカードと同等になります)


7.Sカード製品全般並びにスキップ技術について、いかなる形でも口外して

 はならない。これに反した場合、使用停止及び本品の返品に加え、相応の賠

 償を請求する権利を弊社は有する


8.同じ時空へ重ねて行かれることは、なるべくお避けください。これに反し

 た場合、弊社は全ての安全を保証しかねます


9.万が一、本品に不具合が生じた場合、本品を手にしたまま、下記の連絡先

 へお知らせください



 続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る