10(テン)と10と10と千

光田寿

第一章「真昼に報じられるのはいや」


紫藤はるかさんに捧げる



 * *


 光田寿(みつだことぶき)


 * *


「そのアリバイとは何ですか」

「ウルサイわねえ。ホントニ。そんなにめかけが疑わしいのなら、妾の処女膜を調べて御覧なさいッて……ソウおっしゃい……失礼な……」

 ――――夢野久作ゆめのきゅうさく『いなか、の、じけん』より。


 * *


出典:フリー大百科「ウィキペディア」日本語版

(最終更新日:二◯一二年三月六日)より。


 村瀬愛(むらせ あい、一九九一年二月二八日 ― )は、日本の女性声優、歌手。高知県東平市出身。血液型はB型。身長152cm。大阪総合コンピュータ学院声優学科卒業。サボテン塾所属。母は同じく声優の村瀬あゆみ。

 代表作に『謎解け!フェル子さん』(貴貫きぬきフェル子)、『さささほ!』(古来伊太子こらいいたこ)、『ハードボイルド魔法少女☆ヘーキー』(魚田うおだフィリス)、『二ツ橋信条ふたつばししんじょうの怪談夜話』(静江しずえ)などがある。


【人物】

 愛称は「あいぽん」「あいタン」「あいちん」など。同じ事務所の板川秀子いたがわひでこからは「覇王はおう」と呼ばれている。

 家族構成は、父、母、チワワのアーチャー。尊敬している演者に、広川太一郎ひろかわたいちろう野沢那智のざわなち家弓家正かゆみいえまさ玄田哲章げんだてっしょう沢城さわしろみゆきを挙げている。(*『コエのおしごと2010年2月号』より)

 本人曰く、母はまだ尊敬できないとのこと[要出典]

 2008年8月12日、大阪マリンシアターで開催される『さささほ!』イベント出演のため、伊丹行きの日本航空152便に搭乗する予定だったが、直前の仕事である『ささラジ!』の収録が早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたため、日本航空152便墜落事故を免れた。同日の『さささほ!』のイベントでは、「いつも使ってる便だから……」と動揺を隠せず、この経験を機に、東京――大阪間の移動などは、全て新幹線、電車を利用するようになった。この時の心情は後に『声優アジャパーS』で語られている。

 『謎解け!フェル子さん』の現場では、ジョン・ディクスン・カーの小説に登場するフェル博士が好きになり、役に成り切ってしまい、いきなり叫びだすなどの奇行をしていた。そのため「あの子は天然なのか養殖なのかわからない」と共演者の金田飛鳥美かねだあすみに笑われた。落語好きで三遊亭好楽さんゆうていこうらくの大ファンであり、公演も観覧するほど(*『声優アジャパーS2011年3月号』より)


【経歴・特色】

 声優を目指したきっかけは、母、村瀬あゆみの影響。母を見て育ったため「演じる」というものに興味を持っていたと語る。

 しかし、その一方で幼い頃から、80年代前半、俳優としても活躍した母にコンプレックスを抱き「あぁはなりたくなくなかった」とも述べている。(*「謎喋れ!フェルらじ」第十一回より)

 高校時代は同級生から「アニメっぽい声」と言われて、自分の声が嫌いにもなっていた。しかし高校の先輩に「自分の未来なんだから自分で決めろ」と言われたことがきっかけで、自分の声を逆に生かそうと思い、声優を目指した。[要出典]

2007年『OVAアニメ版食人族』で声優デビュー。奇しくも母と同じOVAデビューだったのが少し可笑しかったらしい。(*「謎喋れ!フェルらじ」第二十回より)

2008年『さささほ!』でメインキャラクターの古来伊太子を演じ知名度を上げる。

2010年9月26日に開催された「ふれんちミュージック祭10」において、同じく声優の落果麻沙美おとまなみ棚宮沙織たなみやさおり不和田由紀ふわだゆきとともに、声優ユニット「フレンチキャスク」の結成を発表。以降、ユニットとしての音楽活動も行っている(所属レーベルはJoseph)。

(以上)


事務所公式サイトhttp***

本人公式ブログhttp***

ツイッターhttp***


―――――――


 二〇一二年一月十五日、午後一時二十分。アイドル声優、村瀬愛むらせあいのブログに男の影が写っていたのを一番最初に確認したのは、一人のネットを見ていた男だった。その人物はとある匿名掲示板に、

【僕等の】村瀬愛のブログに男っぽい影発見www【愛タソ】

という名の投稿スレッドを生み出した。最初は書き込みも少なく、伸びていなかった話題も、本人のブログを見る、他のネット世界の住人が多数現れた事により着々と書き込みは増える。ブログ写真をフォトショップで明暗加工して画像サイトにアップロードする者、事務所に『とつ』という名の電話をし、愛の当時のスケジュールを聞き出そうとする者などが現れ始めた。

 二日目ともなると、匿名掲示板のほとんどの場はその話題で持ちきりになり、レスポンスをまとめたブログも作られ始めた。やがて、ニュースサイトに取り上げられ、人気アイドル声優、村瀬愛の相手を特定する作業が『正義』の名の元に行われ始めた。

 大衆が、特定の人物一人に攻撃を開始するのは、凶器を手に入れた時では無い。大義名分を手に入れた時である。ゼロ年代以降の文化的性癖と言い換えても良いだろう。ブログ、mixi(ミクシィ)、ツイッター、FB(フェイスブック)、インスタグラムなどでも話題が拡散し、愛の公式ブログ、ツイッターは『正義』という名分のもと、炎上が起こった。

 しかし不自然だったのは、この時分、愛は高知の地方ラジオに顔出しで生出演していた事であった。

 

 * *


「はぁ、こんな連中はどこにでもいるもんやの」

 ディスプレイの向こうのネットニュースを眺めながら、高知は東平署捜査一班、河内邦光かわうちくにあき警部補は鼻毛を何本か抜いた。白くすっきりと整頓された、清潔感ある捜査班室。だが、河内の机の上には、昨今高知県内で起こっている、奇怪な猟奇殺人事件の資料が錯乱していた。県警の連中と共に頭を悩ませているというのに、アイドル声優のゴシップがそこまで気になるなど、ある意味でこの国は平和なのかもしれない。

「しかしまぁ、オタクの行動力は今も昔もすごいもんやわ。おニャン子の時の騒動を思い出すわな」

 と、答えたのを隣の席に座っていた野根淵亮太のねぶちりょうた巡査が聞きとめたらしい。

「ちょぉ、待ぁてください係長! そ、それは愛タンのニュースすか?」

 愛タンて……。こいつも、そっち系の一人だったのか。野根渕はこの班において、平成一桁、若手のホープと呼ばれている刑事である。

「そ、そうやが。お前アニメとか見るがか」

「い、いえ、アニメはあまり詳しく無いのですが、彼女、ほら、高知県のここ、東平市出身なんすよ。彼女が組んでいる『フレンチキャスク』ってユニットがあるんすけど、一度非番の日に、高知の地方イベントに出演しちゅぅとこを観にいったんです。そこで……」

 なるほど。そこですっかり入れ込んでしまったという事か。声優などという職業から、四十代後半、中年の河内には、どうしてもアニメや外国映画の吹き替えのイメージがあった。だが、昨今はこの様なハマり方もあるというわけだ。

「へっ。ちょっと顔だけがえ、演技もでけへんド素人がアイドル声優なんぞ、うたいよるからこんな事になっちょるがよ。オイラは臭いと思うちょるぞ」

 そこで口を挟んできたのは、こちらも河内の部下であり同期でもある、奥後知篤おくごちあつし巡査長だ。堀が深く、色黒の顔立ちに年齢には似合わない白髪の多さ。同期だというのに、えらく老けて見えるが、その風貌から、容疑者を尋問にかける場合、アメとムチなら、あえてムチの役割を選ぶ頑固者である。署内部には、ひそかに冗談が分からない頑固親父と囁かれている。故に、喋る土佐弁もどこか古臭い。

「何ですって、奥後知主任! 愛タンのどこが演技出来て無いってんですか」

「おい、お前らやめちょけ」

 河内が奥後知と野根淵を口で制する。だが、奥後知はこれまた独自の声優論があるのか、譲って聞かない。

「ええかい、野根淵よ。大体声優なんぞ言う職業はこの世にぇんや。オイラが見ちょった昔はなぁ、劇団の舞台俳優が、日活映画の端役はしやくや演劇を演じる傍らで、外画がいがやマンガに声をあてちょぃたんよ。だからあの時代の大御所は演技も声量も、今の素人声優とは全然違ちげぇんだよ。分かっちょるか? 舞台やるにゃぁ、腹から声出さんといかん。お前、昔の外画の吹き替えなんざ見た事ねぇやろが。俳優は声優で有り、声優は俳優じゃ。分かっちょんがか」

「あぁ、出た。声優イコール俳優の傍ら業論者。いいっすか、主任。時代と同時に変わるもんなんすよ。大体テレビゲームやて、インターネットに変わられたでしょう? 映画がメインカルチャーの時代が終わりやとは言いませんけど、九十年後半からゼロ年代以降、サブカルチャーが既にメインに置き換わったと言っても過言では無いわけすよ」

「だからこそ、衰退も早ぇーんやろが、このスカポンタン。あえてこう言わせてもらうけどなぁ、今の声優業界は飽和ほうわ状態やんけ。使い捨てもんなんよ、馬鹿野郎」

「違いますよ! それだけ声優という職業が世間に認知されたという事やないっすか。キャラソン意外の個人名義でCDを出したりするんやって表舞台で輝いてる証拠やないっすかぁ」

 二人の様子を見つつ、河内は考えた。ちょっと待てよ。野根淵が言うように、かつて表舞台の傍らで、裏方をやっていた職業が、現在は表舞台で活躍している。これは……ただ単順に一周、周ってきたという事では? いや、待て。それでは順繰りになってしまうではあるまいか? 頭で考えているうちに訳が分からなくなってきた河内に、捜査室の我が班にて一番の若い新人刑事、小池万喜こいけかずき巡査が頭痛薬と水を持ってきた。

「あぁ、あんがとさん。小池」

「いいえ、課長。上司と部下の間に挟まれて大変ですね」

 この男は場を取り繕うのが巧い。

「まぁ、慣れたけどもな。あの二人はあの二人でほっちょいていいきに。ほいてなぁ、今の手に持っちゅぅ事件やまの、暇つぶしにお前にも聞きたいわ。お前は今回のこういう炎上騒動どう思ちゅぅ?」

「僕ですか?」

「んーまぁなぁ、うちも小学生と幼稚園の娘、二人もかかえちょるきに……やれ『プリキュア』がどうしたの五月蝿うるさいがよ。まぁ、後学こうがくのためにな」

 照れくさくなりながらも、後輩に問いかける。小池は顔を輝かし、こちらを見、答えてきた。

「そうですね~~。まぁ、今回の愛ちゃんの件に関しましては、本人がブログで謝罪、事務所が声明文を出して、沈静化するとは思いますが、愛ちゃん主演のアニメと言えば、何と言っても『謎解け!フェル子さん』ですよね。いや、こう見えて僕、ミステリというジャンルが好きで、昔から『金田一少年』や『名探偵コナン』に目が無かったがですよ。あ、最近、横溝よこみぞナントカとか言う人原作の金田一って名前の映画見ましたけど、アレ完全にパクリですよね。著作権とか、いいがかな? まぁ、そいつは置いといて、『フェル子さん』なんですけど、やっぱり京都の有名なあのアニメーション会社がアニメ化しただけあって、いいんですよ。絶対に映像化不可能とも言われた、あの原作をあそこまでヌルヌル動かすんですから。作画枚数ハンパやないですよ。まず七十歳間近のおじいちゃんの語りで進んで行き、ラブコメ要素なんかを混ぜつつ、毎回毎回密室殺人を解いたり、過去にタイムスリップして別人物に乗り移ったりとか、最高なんですよねぇ! でもこの原案になっている人の、ジョン・ナントカーさんの外国文学は読みにくて途中で投げちゃいました。まぁ、『フェル子さんの著者絶賛!』の帯だけは取ってありますけども。あ、アニメの話に戻ると、次の『フェル子さん』二期! 演出が『動物探偵ヌー・アーチャー』の植島うえしまさんでしょう! 『さささほ!』OPでの俯瞰ふかんからのワンカット、そこからのロボットパンチ! 作画凝ってますよね。あとはライバルの番場戸ばんばこアンリ役で、まさかの、斎藤さいとうち――」

「あーー、ストップ。もうええ。ごめんもうええよ」

 汗をかき、言葉を切るのを忘れてしまったかのような小池の口を、手で制した。まさか、こんな事でスイッチが入る奴だとは思わなかった。躁気味そうぎみの、マニアほど普段は大人しいものである。だがその話題のスイッチが入れば、どこにそんな饒舌さがあったのかと喋りだす。

「え? いいんですか? 一応、三話の神社密室が神回かみかいで演出自体をトリックに……」

「あぁーー。いいって! うん、頭痛薬ありがとう。自分の仕事あるやろ。そっちしちょれ」

 手を振り小池を追い払う。河内はため息をついた。上司と部下の間に挟まれた、中間管理職は大変だと度々感じる。部下だけなら、少々厳しく言おうが何とか制する事が出来る。

 問題は彼直属の上司。まだ現場から戻ってきていないところを見ると、どこかの赤提灯でまた一杯やっているのかもしれない。何よりも酒と女と事件好きな男だからである、などと河内が夢想していると、聞こえてきたのは我が上司の、嫌な笑い声だった。

 がっがっがっがっ! 彼特有の喉を鳴らすような声である。事件と聞けばかならずこの声が聞ける。

「事件らぁ、起こったがかぁ! どいたんどいなぁ」

 でっぷりと太った体躯に、身長は百六十センチと低い。頭頂部は見事にハゲ上がり、肌色のその丸い山の上には大量の汗という名の雨粒が落ちている。ちなみに山頂後方部こうほうぶには、少々寂しくなった森林が残っている模様。頭とは逆にアゴの方は剛毛ジャングル地帯のような不精ヒゲが生え茂っている。そのせいかぱっと見れば怒り顔、逆さにすると泣き顔になる騙し絵のような顔。おそらくいつも怒っているわけではないが。

 話脱線。そう、この男こそが、河内の前で「事件! 事件! 変死体! フゥーーッ!」とはしゃぎまわっている直属の上司。甲ノ浦文雄かんのうら警部に他ならないのである。だが何故か東平署で一番の犯人逮捕率を持ち、若い頃には本庁からの引き抜きもあったとかいう噂を持つ。

「おぅ! 河内、事件かぇ」

「け、警部。いや、その……事件というか」

 言葉に詰まっている河内の後ろから、いつの間にか現れた奥後知がある言葉を発した。

「事件でさぁ警部。東京にいたはずの、あばずれアイドル声優が、どうやって高知のラジオ番組にVTR生出演できたか。このアリバイ崩せますか?」

 VTRという言い方も少々古いと思いながらも、同期の奥後知は愛を完全に『黒』と決めているらしい。最後、疑問系で聞いたのも事件好きの警部を乗らせるためであろう。甲ノ浦警部の目が細くなった後、カッと見開かれる。

「おぅぅ、アリバイ工作か。おっしゃぁ、ほいたらぁアリバイを崩してみちゃろか。うちの嫁も楽しみにしちゅぅらしいきにのぉ!」

 ――マジかよ。

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