第2話 帰らぬ人

 ラドクリフを迷宮に送ると、エリンは再び外に出て仕事を始めた。

 秋のこの時期、仕事はいくらでもある。

 もちろん、迷宮管理人としては、迷宮の管理が一番の仕事ではあるが、迷宮の外での仕事も少なくないのだ。

 それに今日は客人もいる。ラドクリフは迷宮に入っているから、戻ってくるまで相手をする必要はないが、ラドクリフの馬は、十分に休ませる必要がある。

 飼い葉を食わせ、水を飲ませなければいけない。

 馬の蹄が聞こえて、厩舎から出ると、坂道を荷馬車で上ってきた。

 村の商人であるゲオルグだ。素朴な好青年で、一人迷宮のそばに住んでいるエリンを気遣ってくれている。

 定期的に食料や必要な物を売りに来てくれるので、エリンは迷宮を離れなくてもいい。迷宮管理人の外出は認められていないわけでないが、極力、迷宮のそばにいることが推奨されている。エリン自身も食料をできるだけ自給自足できるように心がけているが、すべてをまかなうことはできない。

「エリンさん、お客さんが来たって聞いたのだけど」

 エリンの姿を認めたゲオルグはにこやかに話しかけてきた。

「いつも助かります。ゲオルグさん」

 エリンは頭を下げる。

 客人が来ていることをトムから聞いて、定期便とは別に臨時で来てくれたのだろう。

 今日の客は泊らないと言っているが、通常の客はここで一泊していくことがほとんどだ。当然、客が泊まれば食料がその分必要となる。

「今日は、トマトがたくさん採れましたよ」

 ゲオルグが荷車に乗っているかごを指さした。

「では、それと、お肉を少しいただくわ」

「ありがとうございます」

 ゲオルグはにこやかに笑い、それから首を傾げた。

「あの騎士さま、どういうかたなのでしょう?」

「どういうとは?」

 この迷宮に騎士が来ることは珍しいことではない。ゲオルグだって知っているはずだ。そんなふうに聞かれる意味がわからない。

「今朝がた、村はずれの川のそばで野営をされておりましたのを、トムが見つけたのです。不思議なところで野営をされる方だなあと」

「野営?」

 エリンは首を傾げた。

 しっかり役職を聞いたわけではないが、まぎれもなく王命で迷宮にやってきたラドクリフだ。宿泊代がないということはありえない。

 それに村まできていたのなら、多少夜が更けたとしても、この迷宮までは目と鼻の先だ。疲れていたのならなおさら、野営よりベッドの上で休んだ方がいいに決まっている。

 村の宿屋ならいざ知らず、迷宮の管理小屋は、国家の施設だ。客がくれば、たとえそれが真夜中でも、管理人は招き入れることが決まっているのに。

「エリート騎士さまなので、何か考えがあるのでしょうね」

 エリンは全く想像がつかないが、修行とか鍛錬とか、そういう意味があるのかもしれない。ひょっとしたら、他人がいる空間で眠れないとか。

「荷物、台所まで運びますね」

「ありがとう。助かるわ」

 親切なゲオルグは、いつも荷物を台所まで運んでくれる。

 ほぼ一人暮らしのエリンにはとてもありがたい。

 ゲオルグの親切の中に若干の下心があることには気づいているけれど、今の関係を踏み越えるようなことをしてこない限り、エリンは気づかないふりを決め込むことにしている。向けられる好意を利用していることは多少申し訳なくは思っているものの、男性に言い寄られることに辟易してこの迷宮に来たエリンにとって、恋愛はまだ煩わしいのだ。

 それに、ゲオルグは悪い人間ではないが、残念ながらエリンの好みではない.

 エリンは自分でも呆れるほど面食いだ。顔だけならば、今回の客であるラドクリフはかなり好みである。

 もっとも、だからといって彼とどうこうなるつもりもない。『歌うキノコ』を手に入れたら彼はすぐにでもここを去ってしまうのだから。

「何かあったらいつでも呼んでください。飛んできますので」

「頼りにしているわ」

 ゲオルグの言葉にエリンは微笑む。

 実際に何かあったところで、ここから村までは連絡しようがない。助けを呼ぼうにもエリンしかいないのだから。

 それに閑職とはいえ、エリンは国でも有数の魔術師である。いざという時が来ても、ゲオルグよりエリンの方がはるかに強い。

 だが、そこを指摘したところで誰も得をしないことをエリンは知っている。

「それでは、また」

「ええ。よろしくね」

 ゲオルグを見送ると、エリンは裏の畑の世話を始めた。



 日が傾き始めたので、エリンは迷宮の管理小屋に戻った。

 厩舎を覗くと、まだ馬はそこにいた。ラドクリフはまだ戻ってきていないらしい。

「とりあえず、ご飯は食べていくかしら?」

 先を急ぐにしろ、食事に間に合えば、食べていくこともあるだろう。

 エリンは料理を始めた。

 トマトを入れた煮込み料理は、エリンの得意料理である。王都の料理屋のような凝った料理は出せないが、素材を生かした料理ならとびきりの味になる。そもそも野菜の味そのものは田舎の方がいい。

 ラドクリフは変わり者のようだけれど、こんな時間まで迷宮を探索していたら腹が減るだろう。

 迷宮の管理人として、来客はもてなさなければならない。

 やがて、ぐつぐつと鍋が煮立ち始め、良い香りが部屋に広がった。

「意外と苦戦しているのかしら?」

 夕刻には出立するものと思っていたのに、ラドクリフは戻ってこない。

 まさかモンスターに苦戦しているのだろうか。

 暗くなってきたので、部屋に灯をともしながら、エリンは首をひねる。

 王命を受けるような騎士だ。『歌うキノコ』はそれほど希少というわけでもないし、強いわけでもない。

「馬を置いて、徒歩で帰るなんてあるわけないし」

 トマトの煮込みはすっかり煮えて、いつでも食べられるようになっていた。窓の外を見れば、既に星が瞬き始めている。

「さすがにおかしいかな」

 夜は更けていく。

 待ちきれずに先に一人で食事を済ませ、後片付けを終えたエリンは、首を傾げた。

 どんなに弱い兵隊でも、第二層まで行って帰ってくるまでこんなに時間がかかることはないだろう。

 しかし、たとえ立派な騎士でも、なんらかの事故で立ち往生になる可能性はゼロではない。

「うーん。探査の魔術をやってみたほうがいいのかしらねえ」

 探査の魔術は手間がかかる。迷宮は複雑で、かなり正確な位置を割り出す必要があるからだ。

 考えようによっては、目的地が第二層である以上、探査の魔術の準備をするより、直接迎えに行った方が早いかもしれない。

 ただ、すれ違っても面倒だ。入れ違いで先にラドクリフが戻って来てしまったらと思うと、やはり先に位置を確認しておいた方が効率がいい。

「しょうがないわね。とりあえず、久しぶりに探査の魔術を使ってみますか」

 エリンは実験室に戻り魔法陣を描いた。

 目を閉じて、ラドクリフに渡した魔石の位置を探す。

「いない?」

 向かったはずの第二層にはいない。エリンは探査の網を広げていく。深い。かなり深く、広く網を広げる。

「見つけた!」

 魔石の反応を見つけたエリンは眉根を寄せた。

「どうして、第十層にいるの?」

 まさか、『歌うキノコ』の採取はフェイクだったのだろうか?

 彼は王命でここにやってきた。ひょっとしたら迷宮管理人に秘密で何か採取をするように密命を浴びているのかもしれない。そうとしか考えられない。

「それなら余計なお世話だけど。でも何かトラブルの可能性もゼロではないし、やっぱり放置はできないかな」

 エリンは大きくため息をつくと、迷宮に降りる準備を始めることにした。

 



 

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