第4話 天空草の守り人たち

 はるか昔から王の下に数十人の領主がおかれ、農業と畜産、それから天空草の花の収穫や加工品の精製が行われてきた王国。国が成長して土地が広がるにつれ、それを治めるために領主の数も増えていったけれど、建国当初からある古い家もみな健在で、揺るぎない忠誠心とともに国を守り続けている。


 王国の北西、世界の北に位置する森の王国との国境に続く落葉樹の森の前に広がる土地はフォンティオール領だ。代々サフィラス家が治めてきた。最も古い家系。サフィラスは記録に残る最初から天空草とともにあった。その扱いに特化した一族だ。そして、天空草の花の精かと見紛うような美しい者が多いことでも有名だった。

 現領主には、キャメオン、リーディル、アドランという三つ子の息子とロディーヌという一人の娘がいた。彼らは噂に違わず美しい兄妹で、その姿が天空草の花の中に揺れる姿を見かけるたび、領民たちはフォンティオール領の豊かな未来を感じずにはいられなかった。


 ある朝、四人は窓から流れ込んでくる甘い香りの中、いつにも増して幸せな気分で目覚めた。天気は良く、最盛期の花々は昨日よりもさらに美しい青に輝いている。兄妹はどこか遠くへ出かけたい気分になった。仲の良い兄妹は何をするにもいつも一緒だ。


「そうだよ! 泉だよ! 癒しの泉へ行こう!」


 キャメオンの提案に全員が頷いた。思いはみな同じだったのだ。こんな季節だからこそ、より深い青に包まれたい。空よりも花よりも深い青、とびきりの青を感じたい、そう思ったのだ。世界に名の知れた「癒しの泉」はまさにそんな願いを叶えてくれる場所だ。

 領地内、国境の森に近いその泉へは子どもの足では歩いて二時間はかかる。けれど花の収穫が始まり、人々が朝日とともに活動を始めるこの時期、同じように早起きした兄妹には時間はたっぷりあった。

 手早く朝食を取り終えた四人は先を競って家を飛び出した。忙しい両親はすでに仕事に出ていたため、彼らはなにも言わず出発してしまったけれど、昼食までに戻れば問題ないだろうと考えた。


 爽やかな青空の下、天空草の花の甘く芳しい香りがどこまでも広がっていく。青い王国の民である彼らにとって、この青があふれる季節は特別だ。体中に力がみなぎり気分は高揚し、思いもかけないような大きなものに結びついていくような感覚に酔いしれてしまう。今もまた、兄妹は手を繋ぎ、歌いながら歩き出した。みな、意味もなく笑ってしまいそうなくらい気持ちが高ぶっていた。


「ワクワクするな」

「ああ、冒険の始まりだ」

「泉の青はきっと澄みきっているだろうなあ」


 三つ子たちは口々に言い合った。今日はそんな中でも、なんだかとてつもなく特別な日なのだと彼らは思っていたのだ。子どもだけの遠出。それも行き先は特別な青の中。兄妹たちは輝かんばかりの笑顔だった。その様子はまさに人々が想像する花の精のようで、それこそ画家なら絵に描きたいと思っただろう。

 幸せという意味を言葉でうまく説明できなくても、今心に満ちているものがそうなのだと四人は感じていた。すぐそばに求める温もりがあって、互いの気持ちが手に取るようにわかって、美しい青の中で、いつもの時間が今日はことさら愛おしく感じられた。


 兄妹はよく似ていた。さらに三つ子の兄たちは同じ顔をしていた。光り輝く髪と青く澄んだ瞳。キュッと摘んだような鼻、頬に散るそばかすさえも同じ場所、同じ数に見えた。彼らを見分けることは至難の業だ。寸分たがわぬ綺麗な三つの顔、それはもはや魔法のようにしか見えなかった。

 けれど妹のロディーヌには違って見えるのだ。彼女が兄たちを見間違うことは決してなかった。なぜわかるのかと両親に聞かれたロディーヌは、その心の色が違うからだと大真面目な顔で答えた。それは誰にも見えないものだったけれど、誰もが納得した。なぜなら、彼女が言うように兄たちの性格はまったくと言っていいほど異なっていたからだ。補い合うように、三つ子たちは三人で一つだったのだ。


 爽やかな風が吹き抜ける道でキャメオンが声を張り上げた。


「この柵の一番向こうへ最初についた人が、次のお茶の時間には、新しくもらったクッキーを一番たくさん食べることができるっていうのはどうだ?」


 柵に腰掛けたリーディルは呆れた顔で答える。


「キャメオン、まったく夢がないよね。今は指先に止まらせた蝶について話す時間の方が素敵に決まっているじゃないか」


 そんなリーディルに構うことなく、アドランが柵のそばで体をほぐしながら「やるならいつでも言ってくれ、準備はできてる。クッキーなんかじゃない、大事なのはこの勝負に誰が勝つかってことだ」とつぶやいた。


 三者三様で、顔を突き合わせて相談したわけでもないのに、ある瞬間、三人は同時に走り出した。けれど最後には、頬を真っ赤にして追いかけてきた妹にそのゴールを譲るのだ。そのさりげなさは驚くほどだった。

 ごく自然に彼らはスピードを落とし、いかにも力尽きたと言わんばかりの仕草を見せて妹を前へと押し出す。そしてギリギリのラインで彼女を追走し、盛大に残念な顔をして彼女の勝利を宣言するのだ。

 大いなる茶番は、けれど決してそうは見えない。思いがけず一番になれたのだと思う妹は頬を紅潮させて兄たちの前に立った。両手を腰に当て、「クッキーはたくさんあるからみんなが好きなだけ食べてよいことにする!」と女王様のように言えば、「おおっ、勝者は余裕だなあ」兄たちはそう言いながら幼い妹の優しさに笑顔を見せた。


 そんな風に四人で歩けば、遠い道もあっという間だ。時には柵を挟んで羊とにらみ合ったり、世界を渡る青い蝶、エピステッラたちと戯れて踊ったりしながら、やがて泉に辿りついた頃には全員がうっすらと汗ばんでいた。

 聖域の手前には別の大きな泉が広がっている。それは誰もが自由に使っていい水源だ。そこもまた、美しい水面に青い空を映して輝いていた。


「お水飲みたい!」

「うん、美味しいのをたくさんお飲み」


 ねだる妹に、リーディルは胸のポケットから小さな木製のカップを出して水を汲んでやった。泉が点在するこの国では、誰もが自分のカップを持ち歩いている。ロディーヌだって持ってはいたが、自分の方が少し大きめだから思う存分飲めるだろうと、繊細なリーディルは考えたのだ。

 ロディーヌは喉を鳴らして冷たい水を飲んだ。二杯三杯と飲み、兄たちを驚かせた。だったら僕のを使えばよかったと、一番大きなカップを持っていたアドランが気づき、だったら三つ並べて使えばよかったんだとキャメオンが残念そうに言った。満足そうに眼を細めるロディーヌの傍らでリーディルは苦笑する。

 四人は泉の小さな岩山から湧き出す水を堪能した後、顔も洗った。それから靴を脱いで足を洗い、仲良く泉の縁に腰掛けて、ひんやりとした水の中に八本の足を浸した。森を抜ける風の音は心地よく、泉は不思議と甘い香りを放っていた。


「あ~、気持ちいいなあ」


 キャメオンのつぶやきにみんなが頷いた。アドランが水に足を浸したまま、ごろりと寝転がる。ロディーヌもすぐに真似をした。キャメオンが、リーディルが次々と横になる。

 柔らかな苔の上に寝転がれば、高く澄んだ空が見えた。顔を横に向ければ、少し先には青い花たちが揺れている。彼らを囲む世界は青に埋め尽くされていた。すべての形がいつかしか青の煌めきの中に溶け込んで一つになる。世界は青の中にあるのだとリーディルは思った。いや、世界は青そのものなのだと、そう思った。

 そんな中を、エピステッラが五線譜の上の音符のように飛び交っている。青の中を飛ぶ青い蝶は、青でありながらも輝く光のようで、決して背景に埋もれることはない。それどころか花の色をさらに輝かせ、己自身の色もより奥深いものとして重ね合わせていくのだ。まさに青の奇跡だ。


「綺麗ねえ。とっても綺麗」


 うっとりとロディーヌが呟けばキャメオンが答えた。


「ああ、ぼくらの国は例えようもなく美しい。青はぼくらの命なんだ」


 幾千もの青が揺れる楽園。蝶たちが描く滑らかな軌跡を四人は飽きることなく見つめた。まるで自分たちもエピステッラになったかのような気分だった。青を瞳に映す四人の瞳ももちろん美しい青だ。特にロディーヌの青は、泉よりも空よりも、天空草の花よりも飛び交う蝶よりも、濃く鮮やかだった。

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