第3話 噂話

 ここ何日か、モリナーリ工房内は浮ついている。


 ドミニクとガーゴがヴェヌスセキュリティを訪れて以来、ヴェヌスにめちゃくちゃ美人の女の子が入った、という話はたちまち工房内に広まった。ガーゴは別に話題に出さなかったから、噂元はドミニクだ。


 大した用もないのに、何かと理由をかこつけてヴェヌスに行こうとするメカニックが急増した。

 アーベルは、仕事を言いつけようとする整備士がちゃんと工房内にいるか確認しないとならなくなった。


 あまりの事態に堪忍袋の緒が切れた工房長は、整備士たちを集めてカミナリを落とし、同時にヴェヌスに抗議を入れた(別にナージャが悪いわけではなく、ヴェヌス側にできることは何もなかったので、ただの世間話にしかならなかったらしい)。

 そのお陰か整備士たちのサボタージュは収まったが、定期的にあるヴェヌスへの納品のメンバーを巡って争いが起こったり、熱はまだまだ冷めてはいなかった。



 浮ついているメカニックたちを遠目に、ポーラがふくれっ面をしていた。

 彼女はモリナーリの女性スタッフの中で最も若く(先輩だがガーゴより2つ年下らしい)、これまで工房内でマスコットのように可愛がられていた。実際可愛い。


 それが急に周囲が手の平を返してヨソの会社の誰ともしれない女を追いかけ回しだしたのだ。何度か話したが、仔猫のように恥ずかしがり屋のポーラのことだから、自分に注目が集まらなくなり面白くない、ということではないだろう。きっと彼女はメカニックの誰かに恋をしているのだ。


 ポーラに質問されたガーゴは正直に話した。

「どんな人か知ってる?」

「うん」

「どんな人?」

「美人」

「ふーん」

「スタイル抜群」

「ふーん」


 ポーラも可愛いよ、とお愛想を言うべきだったのかもしれないが、何だか柄じゃない気がして言えないでいた。もし言ったとしたら、彼女は自分に振り向いてくれただろうか?




 噂話というのは信憑性がない分、多様な情報が盛り込まれていて取捨選択の技が問われると思う。

 工房内に広まるナージャの噂もさまざまに尾ひれが付いているからだ。


 彼女は武道の達人だという。何でも、入社3日目に行われた格闘技の訓練で、男性の先輩たちを全員投げ飛ばしてしまったのだそうだ。まるで道場破りのようだ。誰かが調べたところでは、学生時代に第5アルテラ国民体育大会のジュージツ競技の、軽中量級で優勝しているというのは聞いた(だから体重はもう知れ渡ってしまっている)。出身は第5アルテラなのか。あんなに美人だから、言い寄る先輩が多いのは容易に想像がつくが、「実力で」お断りしているらしい。それ、大丈夫なのか。居づらくならないのか。


 あくまで噂だ。どこまで本当なのかわからない。




 工房には様々なタイプ形状・用途のロードリフターが整備に持ち込まれるが、そのすべてが「ヴェスタドライブ」という汎用熱機関で駆動している。


 岩石を砕いて砂にし、不純物を取り除き、GR触媒という、テラチウムなるレアメタルを中心に組成された特殊な触媒(これがエネルギー革命のキモらしい)を添加すると砂の中にケイ酸塩として存在していた水素と酸素が反応して高い熱エネルギーを生み出すようになる。この熱価を熱電素子で電力に変換させる一連のシステムがヴェスタドライブだ。

 岩や砂なんて自然界にはいくらでもあるので(惑星は岩でできている)、いつでもどこでも熱エネルギーを得られるようになったことで、危険な熱核反応や低効率の熱サイクルに頼る必要がなくなり、人類はどこにでも「マイエンジン」を持って行くことが可能になったのだ。


 そこらの砂がエネルギー源なんて、嘘みたいな話だ(どこかの国には葉っぱをお金に換えて人を騙すタヌキの妖怪がいるらしい)が、事の起こりはこういうことだ。

 今から120年ほど前のある日、砂場遊びをしていた女の子が、突然発生した高熱で火傷を負うという事件が発生した。当初原因不明のオカルトと思われていたその事故は、後の検証により、女の子が砂山に埋めた石に含まれた特殊なレアメタルが触媒となって化学反応が起こっていたことが突き止められた。

 この現象は最初にこれに遭遇した女の子の名を取り、今日では「ジェラルディン・ロス反応」と呼ばれている。学者かエンジニアを志す者なら、必ずこのエネルギー史に残る革命的なエピソードを学ぶ。


 このヴェスタドライブの素敵なところは、外部から酸素も水素も全く必要としない点だ。だから大気圏内でも外でも同じ動力源が使えるという訳だ(もちろん推進剤は必要だ)。


 唯一の欠点は、ジェラルディン・ロス反応は副産物として僅かながら有毒ガスを発生する。シアン化テラチウムというこの有毒物質のせいでヴェスタドライブの実用化には時間を要したが、反応からシアン化テラチウムを完全に分離した上で特殊合金に吸蔵させる技術が確立されたことでヴェスタドライブは急速に普及することになった。


 今日ではリフターにとどまらず、動力を用いて動く乗り物ほぼ全てにヴェスタドライブが搭載されている。近所のお婆ちゃんが乗っているシルバーカーにだって、拳骨サイズのヴェスタドライブが載っている。そんなのでもキロワットクラスの電力を発生するのだから有り難いものだ。



 ヴェスタドライブと操縦者が乗るコクピットをフレームで結合して、ロードリフターの基本形ができている。

 その周囲に様々なパーツを用途に合わせて組み付けて目的別のリフターが完成する。その組み合わせは無限だ。

 だからメインフレームには汎用ジョイントが設置されていて、そこにアームやら車輪やら専門機器やらを取り付けるのだが、互換性を保つ為の変換ジョイントというものも存在する。


 今日のガーゴは、変換ジョイントの仕上げ処理を任されていた。

 自動加工機で切削加工されたパーツの細部の仕上げをして不良品を選り分ける作業だ。

 倉庫内の作業場で、パレット一杯に入った削り出しのパーツを一つひとつ、手作業で磨いて取り分ける作業を、ガーゴは黙々とこなす。



 遠くのほうで先輩メカニックたちが騒いでいる。

「おい、例の娘だ!」

「マジか!」

「見に行くぞ!バカ、そんなの後だ!」


 さっき、大型車が停まったような音がしたのは、それか。

 ヴェヌスさんが来たのか。何の用件だろう。


 俺も見に行きたいなあ。でも、新人が仕事放ったらかす訳にはいかないしな。

 後で何言われるか。


 ガーゴは悶々としたが、ここで手を休めると、定時に仕事が終わらない。

 雑念を振り払って、ひたすら手を動かしてパーツ磨きに熱中した。


 作業に集中し、時間を感じないくらいに没頭していたガーゴだったが、

 急に人の気配を感じ、ふと目を上げると、そこにナージャがいた。

 前と同じだ。


「ハイ」

「やあ」

 今日の彼女は制服姿だった。出動があったのだろうか。

 ネイビーブルーのパンツスタイルの制服がとても凛々しい。


「また会ったね」

「そうだね」


 前屈みでガーゴの手元をのぞき込む。

「何してるの?それ」

「部品の仕上げをしてる」

「ふうん」


「リフターの部品?それ」

「そう」

 事細かに説明する必要はないだろう。


 ガーゴは初めて彼女に問いかけた。

「警備員なんだろ?」

「そうよ」

「君も、リフターに乗るの?」

「ええ。……でも、免許がまだなの」

「そっか」

 リフター免許は特殊免許だから、普通の人は持っていない。彼女もそうだろう。

 これから受験勉強することになるわけだ。



「その部品、あたしのリフターに付くかもしれないよね?」

「そうだね」

「……ふぅむ」

 ナージャは何だか含んだような声を漏らした。

 何を考えたのだろう?



 ナージャ!戻るぞと同僚さんの声が向こうから聞こえた。

 またね、とナージャは戻って行く。



 モーター音を響かせてヴェヌスのトレーラーが帰って行った後、ガーゴは先輩メカニックたちに取り囲まれた。


「おめえ!彼女と知り合いなのか!!」

「し、知り合いだなんて、ちょっと話しただけです!」

「抜け駆けは許さんぞ!」

「誤解です!」


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