第3話 災難から逃れたと思ったが

「自分の姿が耐えがたいようだな」


 フードの人物が語り掛ける。当たり前だ。耐えられるわけがない。多分僕は死んだんだ。そしてこれが第二の人生かと思うと先は暗い。


「おまえの求める姿に変えてやろうか?」

 思いもよらないことをフードの人物は言った。


「出来るのか?!出来るなら頼む!こんなのは耐えられない!」

「よかろう」


 話がうまいな、と頭の片隅で思ったし、今までの僕ならば安易に人の誘いに乗るようなことはない。


 だが今の状況は異常だった。さきほどの鏡の芸当を見てもこのフードの人物は何か得体のしれない力があるようだ。それに状況はこれ以上悪くなりようがない。

 フードの人物はそっと僕の『腕』に触れた。固い針のような毛で覆われた『腕』に。


「では。集中しろ。そして自分の求める姿を思い浮かべるが良い。詳細に。指の先から尻尾の先まで」


 言われるままに頭に思い浮かべる。

 浮かべるのはもちろん、生前の自分の姿。

 尻尾はないけれど頭のてっぺんからつま先まで、どんな細かいところまでも思い浮かべられる。


 ああ、僕はなかなかのイケメンだよな…。病気もなく、ちゃんと筋トレもしていたから最高の肉体だったんだ…。あの姿を…。


 腕に触れられたあたりから、ひんやりとしたものが伝わってくる。

 冷たい。体が凍ってしまいそうだ。感覚が消えていく。僕はたまらず目を閉じた。


「終わった」


 その声を聴いて目を開いた。目の前にフードの人物がいる。さきほどは上から見ていたフードの人物の顔がはっきりと見える。


 肌が青白く、印象的な美しい瞳が金色に爛々と輝いている。白、いや銀の長い髪。ちょっと日本ではあまり見ない血統のようだ。そして女…?


 そして気が付くのは、目線がその女と同じになっていること。

 巨大な体は消え、そこにいたのはその女と同じサイズの『人間』の僕。


 手を見る。ああ見慣れた両手。司法試験で必死に筆記した愛する我が両腕。

 服もちゃんと着ている。記憶に残る最後に着ていた服。ストライプ柄の生地で仕立てたイタリアブランドのスーツに、淡いパープルのシャツ、サスペンダーもちゃんとある。高給ブランドにこだわったキレイに磨かれた革靴も。

 確認できないが、顔もきっと僕の記憶通りのイケメンなことだろう。


「僕だ!」


 声を上げた。

 その声は『泡の出る音』じゃなかった。自分の声だった。


「ああ、君のおかげだ。ありがとう!助かった。どうしていいのか分からなかったんだ」


 礼を言ったつもりだが、女は不機嫌そうな表情だった。


「馴れ馴れしい。おまえは私の下僕。下僕のささやかな望みをかなえてやったのだ。敬意を払ってもらおう」


 ヤバい。この女はヤバい。下僕とか何とか。頭がどうかしてるんだ。

 自分の本来の姿を取り戻してみれば、今までのアレは幻か何かだったようにも思える。

 この女が僕に変な幻を見せて、いいように操ろうとしているんだ。


 今はとにかく逃げなければ。

 ヤバい女は危ない。そういえば僕をナイフで刺したのもヤバい女だった。


 僕は直ちに踵を返し、その女に背を向け走りだした。

 女の足なら追いつけないだろう。

 逃げて、助けを探そう。



 それからどれだけ走ったことか。走った後も歩み続けた。

 薄明るい洞窟の中を、ただ歩き続けた。


 ここから出なくては。

 先に光が見えた。


 眩しい。目がくらむ。あそこが出口だ。


 光の元に出た。

 まぶしい…そういうレベルじゃない。


 なんだこの光は。痛い。全身を刺すように痛い。

 目を開けていられない。


 痛い痛い痛い痛い


 これは日光じゃないのか?

 刺された皮膚がどうなっているのか自分で確認できない。


 しかし熱い。これは全身をヤケドしている。


 僕は無我夢中で洞窟の中に戻った。出来るだけ光から離れなければ。


 ああ、痛い。

 自分の腕を見ると、皮膚がドロリと剥けている。

 剥けた皮膚の間から、『中身』が見える。黒い? 毛の生えた『中身』


 そうかと思うと、その皮膚の傷はどんどん広がり、全身の皮膚が裂けた。


 違う。自分の身体が巨大になっている。

 そして皮膚を引き裂いて『中身』が出ようとしているんだ。


 すっかり皮膚は裂け、気が付くと痛みも消えていた。

 そこにいた僕は、先ほどの黒い巨大な怪物の姿になっていた。


「ぷしゅるるる…」


 ああダメだ。声も出ない。


 先ほどの女を探せば、また人間の姿に戻してもらえるかも知れない。

 そう考え、走ってきた道を戻ることにした。


 今度はこの怪物の身体。

 八本の足で歩いたことなんてない。

 と、思ったが、意外なことに前に進もうと思うと自然と8本の足は器用に前に交互に動き前に進むことが出来た。


 本能というやつだろうか。

 自分の意志で尻尾も動く。

 特に動かそうと考えているわけではないが、自然に動く感じだ。


 ほんの数分歩き続けると、先ほどの女は身じろぎもせず同じ場所に立っていた。

 体の大きさが違うため移動速度が速いようだ、随分時間がかからない。


「あの…」

 声にならない声で、女に声を掛けた。

 実際には『ぷしゅるるる』としか音は出ていないが、この女はなぜか自分の声が聞き取れる。


「もう一度、人間の姿に戻して下さい」


 女はこちらを一瞥すると冷ややかな声で言う。

「逃げたのだな?」


「逃げたというか、その、ちょっと走ってみたかっただけで…」


「言い訳は要らない。やはり調教を行わなければならないようだ」


 調教? されるの? 僕が?


「あ…えーと。とりあえずなんか失礼したみたいだし謝るよ。ごめん」


 女は僕を見つめた。金色の美しい瞳だ。

 一瞬見惚れた次の瞬間、この巨大な身体が何かものすごい力にひっぱられていた。


 ずるずるずる…

 引きずられていく。どこに行くのか。

 引きずっているのはこの女なのだろうか。えらい力持ちだな。


 やがて見えてきたのは、この巨大な図体が余裕でくぐれるほどの大きな格子状の扉。

 扉が開き、強引に奥に押し込まれた。

 そして扉は外から閉められる。


 中には何もない。ただの空間。


 これは…牢屋?


 閉じ込められた?

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