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第1話

 『間違えた』そう思った。今までの人生の中で最も最悪な間違え方をした、と。

「仕事終わったら時間くれ」

 真剣な目をしてそう言った東雲に、絶望すら感じた。どこで間違えたのかがわからない。

 最近の東雲の様子から、恋人が出来たのだと思っていたのに。変な切り口で会話を始めようとしたり、やたらとお菓子を渡してきたり、わざとらしくグラビア写真を見せてきて好きな女の子のタイプを教えてきたり。よっぽど、話を聞いて欲しかったんだろう、と。

 多分、凛としたクールな雰囲気の物静かな女性。甘いものが好きな可愛らしい一面もあるのだろう。東雲が最近やたらとお洒落なお菓子を持ってくるのはそういう事だと思っていた。

 そこまで気付いていながら、今まで話を聞こうとしなかったのは、俺が東雲を好きだったからだ。とはいえ、どうこうなろうという気は最初から無い。直接聞いたことは無かったが、東雲の恋愛対象は異性の筈だから。

 部署が移動になるまでの数年間、仕事の同僚としてただ隣にいられるだけでよかった。それが俺にとっての『恋愛』だ。好きな相手と結ばれる可能性はない。俺が好きになるのは、いつだってストレートの男性で、望みなんて一ミリもあるはずがない。

 本能的な欲求を紛らわす術を身につけたのはもう随分前の事だ。気持ちや本能が暴走しそうになった時は馴染みのバーに駆け込む。忙しすぎてそんな時間も作れない時には、ネット上のコミュニティで知り合った友人に話を聞いてもらい平常を保つ事もある。

 どちらも警察官としてはあまりよろしくない対応なのだろうが、俺が俺でいる為には、警察官でいる為には必要な事だった。

 そうやって吐き出してしまえば、次の日にはいつもどおり同僚の顔をして仕事が出来る。これが、大人になってから覚えた処世術だ。


 希望はないと分かっていても、恋人がいない相手を想う事だけは自由だと思う。だから、自分の気持ちにトドメを刺したくなくて、話を先延ばしにしようと足掻いた。でももう、これ以上引き伸ばせない事も分かっていた。

 だから聞いたのだ。赤信号に捕まって車を一時停止させたのと同時に、「彼女でも出来たのか?」と。改まって言われるより、会話のついででさらっと告げられた方が精神的にもましだと思って。

 あれ?と思ったのはその直後。「は?」と間の抜けた声を出した東雲が、ぽかんと変な顔で固まった時だ。聞いてほしかったんじゃないのか?と、思わず言葉を重ねてしまう程の間抜け面をさらしていた。

「最近、ずっとそわそわしてただろ。変な雑誌まで持ち出して」

 俺がそう言った直後、東雲は表情を変えた。事件もなく程よく緩んでいた車内の雰囲気が、一瞬のうちにピリついたものへと変わる。

 東雲の目の中に見えたのは、寂しさを紛らわす為に夜を共にした男達と同じ種類の……隠しきれない情の色。これから彼女の話をしようと言うやつが、他人に向ける瞳ではない。東雲の目が射抜いていたのは間違いなく、俺だった。

 この瞬間、俺は自分の間違いを悟った。最近こいつの様子がおかしかったのは恋人が出来たからではないのだと。

 こいつを狂わせてしまったのは多分、俺だ。ゲイである俺が。無意識にこいつを洗脳してしまったのだろう。でなければ、東雲が情の乗った目で俺を見る意味がわからない。

 好きだったから……辛そうにしている時、力になりたかった。好きだったから、優しくした。好きだったから、話を聞いて甘やかした。

 そんな俺の安易な行動が、一人の人間の人生を狂わせたのだ。


「仕事中」

 東雲が口を開いたのと同時に、あわててその言葉を遮って言う。タイミングよく信号が青に切り替わったのをいいことに、運転に集中するフリをした。

 自分で話を振った癖に何をいっているんだと、俺の中の冷静な部分が嘲笑う。

 仕事が終わったら……。執行猶予は数時間。どうすればいいのか。俺はどうするべきなのか。全然考えがまとまらなかった。



◆◆◆


 俺が自分の性を自覚したのは中学生の頃だ。女の子の話で盛り上がっている同級生の話についていけなかった。自分にはまだ早い話だったのかもしれない。まだ、恋愛に興味がないだけ。最初はそう思っていた。

 違うと気づいたのは、そう時間がたたないうちで。彼らの言う“ときめき”とやらに近い感情を、同性の友人に感じていると気付いた瞬間、血の気が引いた。

 それかどういう事なのか、気付けないほど子供ではなくて。けれど、割りきれるほど大人にもなれていなかった。

 俺だけじゃなく。周りの友人たちも全員が、だ。あの年頃の子供と言うのは、物事を知らないからこそ無邪気に人を差別する。男同士で仲良くふざけ合う友達が「お前らホモかよ」「きもちわりぃ」と囃し立てられるのなんて日常茶飯事で。言われる方も場を盛り上げる為にわざと至近距離まで近づいてふざけあっているだけの、ただの茶番劇。

 あのやり取りが怖かったのは、本当にホモだった俺だけだ。もし自分が言われたら?無意識に「気持ち悪い」と言われるような行動を取っていたら?そう思うと怖くて仕方なかった。

 そうやって、彼らの無邪気な言葉に怯えているうちに、友人達との距離はどんどん離れていった。


 必要最低限話はするけれど、どのグループにも属していない。必要以上に男子と関わらない。そんな位置が安心できた。ホモだとバレる事も怖かったがそれ以上に、うっかり誰かを好きになってしまうことが怖かった。

 急に付き合いの悪くなった俺に、友人達が影で何か言っていたのは知っている。学校みたいに閉鎖された空間にいる中で、コミュニティに参加していない生徒は浮くのだ。それでも、ホモとか変態とか、そういう言葉で罵られ軽蔑されるよりはましだった。


 それを考えれば、高校時代は楽だったと思う。放課後は“家庭の事情”でバイトしなければいけないと伝えれば、あとは学業に支障がない程度の人間関係を築いていればよかったから。クラスメイトに話しかけられなければ、休み時間の殆どは図書室で時間を潰す。そうすれば、嫌な話が耳にはいってくることもなかった。

 高校なんて社会に出るまでの通過点でしかない。案の定、就職を決めた俺と、大学に進学した同級生との接点は卒業と共になくなった。特に寂しさを感じることもない。ただ、冷めた自分を自覚しただけだった。


 警察官になろうと思ったのだって、盛大な夢や希望があってとか、崇高な志があってとか、そういう理由ではなくて。ただ単純に高卒でも、安定した収入が見込めるからだ。母子家庭という環境で育った俺は、散々苦労する母親を見てきた。だから、早く安定した生活を手に入れて母親を安心させたかったのだ。


 人間関係をサボってきたツケを感じたのは警察学校に入学した後だった。

 人と関わって生きるのは、人間として成長する為に必要な事だったのだと気づいた時にはもう遅かった。学生時代に年相応の適切な人間関係を築いてきた同期達は、ペラペラの外面を張り付けただけの俺とは人間としてのレベルが全然違っていた。そんな中で、なんとか上部だけでも取り繕えたのは馬鹿がつくほど真面目だと言われる性格と、読み漁っていた本の雑学や知識、そしてバイト経験が役に立ってくれたから。まさか、バイト三昧だった高校生活がこんな所で役に立つとは思わなかった。

 問題は、同じ教場に世話焼きな男がいたことだろうか。彼は、ことあるごとに人見知り気味な俺を気にかけてくれていた。俺が特別だったわけじゃない。皆に世話を焼くように、俺の事も気遣ってくれただけ。誰にでも優しく、明るい、人の真ん中にいるような男。

 彼を好きになるのに時間はかからなかった。学生時代ひたすら人を避け続けた事で、恋愛経験に乏しすぎたのが敗因のひとつだったと思う。

 衣食住を共にしなければならない男に叶うわけのない恋をする。こんなにも不毛な事があるだろうか。逃げることもできない、何か他の事で発散させる時間もない、そんな環境の中で。俺はただ絶対誰にもバレてはいけない気持ちを抱えて、半年以上先の卒業式を待つ事しかできない。警察学校卒業と共に泡と消えた俺の初恋は、ただただ辛く苦しく虚しいものでしかなかった。

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