ある侯爵令嬢の長くて短い学園生活

五色ひわ

プロローグ

第1話 別れと出会い

「バカヤローーーー!」


 玲美れみは海に向かって指輪を投げ捨てた。玲美の隣では、親友の光里ひかりがなんとも言えない顔で見守っている。別れたばかりの元カレに貰った指輪は、なんの感傷も示さずにチャプンと小さな音を立てて海に沈んでいった。


 玲美と元カレの哲郎てつろうは、高校二年の夏に哲郎の告白で付き合い始めて、今日でちょうど丸一年だった。それなのに……


「玲美ちゃん、大丈夫?」


 光里は自分が振られたかのような悲壮感たっぷりの顔をしている。


「大丈夫よ。二股なんてよくあることでしょ」


 玲美は自分に言い聞かせるように、はっきりと言って笑ってみせた。それでも、光里の顔は晴れない。


「大丈夫だってば。もうだいぶ前からうまくいってなかったし……」


「玲美ちゃん……」


 一体どうすればよかったのだろう。


 知らない女の肩を抱き寄せていた哲郎の顔を思い出して、玲美は唇を噛む。まさか一周年記念のデートの前に他の女と会っているだなんて、想像もしていなかった。


 これまでのお礼と少しギクシャクしている雰囲気の改善ができればと、はりきってお揃いのプレゼントを探しに行った自分が馬鹿みたいだ。買う前で本当に良かったと思う。もし買っていたなら、そのプレゼントまで海に投げ捨てなければならなかった。物によっては海に沈まなくて困ったかもしれない。


 玲美は、プカプカと浮かぶプレゼントを思い浮かべて思わずクスリと笑った。笑えているのだから私は大丈夫だと自分に言い聞かせる。


「新しい彼氏欲しいな。今度は大人で余裕のある男性がいい!」


 玲美は未練を断ち切るように、勢い良く海に背中を向けた。


 哲郎は同じ高校の同級生で、いつも学年トップを取っているような優秀な人だった。そんな哲郎に追いつきたくて、玲美はいつも必死だったように思う。


『玲美は駄目だな。もうちょっと頑張れよ』


 そう言って、哲郎はいつも勉強を教えてくれていた。しかし、高三になって玲美が哲郎以上の才能をみせると、あからさまに嫌そうな顔をしたのだ。今思えば、あれが二人の関係をギクシャクさせるきっかけだったのだろう。玲美は哲郎がそんなことで機嫌を悪くしているだなんて思いたくなくて、他の理由を必死で探し続けていたけれど……


「玲美ちゃんになら、素敵な彼氏がすぐにできるよ。私と違って可愛いもん」


 光里が海風にたなびく美しい黒髪を抑えながら、純粋な眼で玲美を見上げている。


「ありがとう」


 玲美はため息を飲み込んで光里を見つめた。少し目尻の下がった曇りのない瞳に腰まで伸ばした黒髪。同性の玲美から見ても庇護欲をそそる光里は、密かに男子に人気がある。しかし、残念な事に本人だけが気づいていない。


 今、左手で髪を耳にかけた仕草だって、ここにクラスの男子がいたら頬を染めていたはずだ。光里はクラスメイトにとって高嶺の花なのだ。


「光里は彼氏欲しくないの?」


「そんな、私なんかに彼氏ができるわけないでしょ」


 光里はもじもじしている。玲美から見ると可愛らしい仕草だが、本人に自覚はない。光里がそういったことに鈍感なのは趣味に力を入れすぎているからだと思う。


「本当に欲しいなら、すぐにできると思うわよ」


 彼氏が欲しいと光里が本気で思ったなら、教室で彼氏が欲しいと呟くだけでいい。玲美なんかより光里の方がすぐにできるだろう。


「私にはアイザック様がいるからいいの」


「また、アイザック様か……」


 光里は彼氏の話をするといつもそう言って話を反らす。光里には夢中になっている男性がいるのだ。ただ、その人と本当の意味で恋人になることはできない。


「玲美ちゃんもお会いすれば夢中になると思うよ。貸してあげるから、会ってみてよ」


 この会話もお決まりだ。軽い気持ちかどうかは分からないが、他人に貸してあげることのできてしまうアイザック様。その正体は乙女ゲーム『王子様との出会いは学園で……』のメインヒーロー、アイザック王太子殿下だ。


 いつもなら、「私はいいや」と玲美が断って終わる会話だが、今日は少し悩んでいた。哲郎と別れてしまったから、図書館で二人で会っていた時間がまるまる空いてしまう。何もしていないと哲郎の事を思い出してしまうのは確実だ。玲美はズキリと痛む胸を無視して顔をあげた。


「アイザック様に会ってみようかな?」


「えっ? え!? ほんと? 」


 光里が興奮気味に自分のバッグの中をガサゴソと探し始める。


「玲美ちゃん、ちょっとこれ持ってて」


 光里はポーチとバレッタを玲美に渡すと再びバッグの中を探し始めた。いつものことだが、光里のバッグの中の治安はあまり良くない。


「このバレッタいつも持ち歩いているよね」


 玲美は光里にしては少し派手なバレッタを眺めた。


「子供っぽいから、もう付けられないけどね。なんとなく、習慣で持ち歩いてるの」


「へー」


 確かに光里はいつもこのバレッタを持っているが、付けているところを見たことはなかった。大切な思い出でもあるのだろうか。


「あった!」


 光里は厳重に革袋で保護された『アイザック様』を取り出した。革袋には玲美とお揃いのキーホルダーが付いている。


「キーホルダー外さなきゃ」


 ふわふわとしたクリーム色のファーチャーム。結びつけてあるハートの模様のレースのリボンがポイントだ。


「そこに付けてたんだね。私はバッグに付けてるよ」


 玲美は自分のバッグに付いているパステルピンクのファーチャームを振ってみせた。玲美の一番のお気に入りだ。


「さり気なく、レースにハートが入っているところが可愛いよね」


 革袋からチャームを外した光里が嬉しそうにリボンを撫でた。お揃いのチャームを買おうと言ったのは珍しく光里の方だった。


「はい、アイザック様の水晶ね」


 光里が革袋ごとゲームの魔道具を玲美に手渡す。


「本当に借りてもいいの? 大切なものでしょ?」


「家に通常版があるから大丈夫。私はそっちのアイザック様に会うわ。これは特別版で、やり込んであるからレベルが高いの。新しくはじめるときにもレベルは引き継げるから楽にクリアできると思うよ。ゆっくり楽しんで」


「特別版?」


「名前だけで内容は通常版と同じだから気にしなくて大丈夫だよ」


 光里がそう言って笑うので、玲美は安心して『アイザック様』を受け取る。光里が「早く帰ってやってみて」と急かすので、玲美はすぐに自宅に移動した。

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