第2話 方言

 「このおつげっこしったげのぎぃ!」

 夕食の介助中、突然佐々木さんが声をあげた。

 「はぁ?!何て?、何て言ったの?佐々木さん。」 佐々木さんは入所してまだ2週間だ。

 特養は地域の人が入居するもんだと思ってたけど、いざ働くとそんな事もない。田舎で一人暮らしだった年老いた両親を子供達が引き取ったり、若しくは自分達が住んでる近くの有料老人ホームやグループホーム、最近やたらめったら建ってるサ高住(サービス付高齢者向け住宅)に入居するケースも増えている。

 でも、心身のレベルが落ちたり費用的な問題から、その後特養入居申込をする人も少なくない。佐々木さんもその一人だ。秋田から千葉県の息子夫婦が住む市内の有料老人ホームに入所したが直ぐに骨折して入院。入院中に心身のレベルが低下しての事だったらしい。

 ハルキは何とか、佐々木さんの訴えを理解しようとするが、まったく理解できない。これは方言か?秋田弁?津軽弁?

周りの先輩達は忙しいのか、面倒に巻き込まれたくないのか、聞こえない振りをしているのか、こっちを見ない。

 「分がらねぁのが?むがづぐ」

ヤバイ、意味分かんない。ハルキは焦っていた。でもこんな時でも「ムカツク」だけは分かった。

結局、佐々木さんは諦めた様でその後は何も言わなかった。食事を半分残して、テーブルから離れようとした時、薬を持ってきた看護師長に、もう少し食べるように促されても首を横に振り、結局そのまま薬だけ飲んで居室に戻ってしまった。

「佐々木さん、何かあったの?」安西師長に聞かれたハルキは返す言葉が無かった。

仕事終わりに喫煙所に向かうと、既に業務を終えた先輩達が数人一服していた。意外に介護業界はイケテナイ奴が多くて真面目な奴が多い職場なのに喫煙率は高い。

「おつかれっす。」ハルキは挨拶しながら煙草に火をつけるとその輪には加わらず、少し離れた所でスマホをいじった。別にいじる必要もなかったが、この方が話し掛けられないと思ったからだ。

「さっき大変だったね。」ハルキの思惑に反して、三つ年上の佐藤が話し掛けてきた。気がついてたなら、さっき助けろよ。と思いながら、「先輩、大変でしたよ。佐々木さん、俺に何を言いたかったんですかね?」と尋ねた。

 佐藤は「残念ながら、俺にも何言ってるか分からなかったよ。多々君、ステーションにある文字盤使って見たら?」と言ってきた。残念って何だよ?偉そうに。しかも聞こえてたじゃん。とハルキは心の中で一人ツッコミをした。

文字盤とは、難聴者等に用いる五十音表と同じようなものだ。なるほど、少しはきっかけが掴めるかもしれない。そう思うと、普段は業務が終わると速攻帰宅するハルキだが、一服が終わると佐々木さんの居室を訪ねた。

「佐々木さん、さっきはごめん。これで教えてくれない?」

 佐々木さんは、ハルキの言うことに無関心な様子であったが、寝ていた身体を起こしながらベッド上に端座位になった。ハルキもベッドの端に座り、二人の間に文字盤を置いた。佐々木さんにペンを持ってもらい、ひらがなを指差してもらうよう説明をした。

 「佐々木さん、さっき何を言いたかったのか俺に教えて。いや、教えて下さい。」佐々木さんが、文字盤にペンを向けて何かを指し始めた。あ、い、さ、て。ペンが指すひらがなをハルキは声に出してみた。

 「あ、い、さ、て。何、あいさて。って」

佐々木さんに目を向けると笑っていた。

今度は、か、る、し。と順に指した。

 「か、る、し?」知っている言葉、単語にならない。こんな事を何度も繰り返したところで、ハルキのイライラは頂点に達していた。諦めてもう帰ろうと思った時、リュウが現れた。

 「煙草吸いに行ったら聞いたぞ、頑張ってるな。」リュウの登場は、ピンチにヒーローが参上するくらいのテンションでハルキは喜んだ。

 「リュウさん、ヤバイ。俺、もうどうしてよいか分かんなくて。」半べそ気味にハルキは言った。

 「ハル、場所変わって。佐々木さん、こんばんは。ちょっと俺と話してくれる?」そういうと、佐々木さんは笑みを浮かべながら頷いた。それから、「こんなのいらないね。」と、文字盤とペンを取り、車椅子の上に載せた。

 リュウは、少し大きな声で、かつ、いつもより低い声で、ゆっくりとしゃべり始めた。その内容は、入居して2週間だけど、ここの生活に慣れた?とか、夜は良く眠れるか?とか、心配な事はないか?等の雑談のようなものだった。5分ほどしてから、

 「今日の夕ご飯どうでした?」と具体的にご飯は硬くなかったか?とか、カレイの煮付けは味が薄くなかったとか?その都度、佐々木さんは首を縦に振ったり横に振ったりとしていた。ハルキはここで、リュウが意図的に、はい、いいえで答えやすい内容で質問している事に気がついた。

 「味噌汁、ぬるくなかった?」と聞いた時、佐々木さんの眉間のしわが、より深く目立った。首を横に振りながら、

 「おつげっこしったげのぎぃ」と言った。

「あっ、さっきの呪文。」ハルキはとっさに声に出してしまった。振り返ったリュウは、自分の唇の前で人差し指を立て、静かにとジェスチャーを送った。その後、佐々木さんの顔見ながら、おつげっこしったげのぎぃと復唱した。佐々木さんは、頷いた。リュウは「味噌汁は秋田では何って言うんですか?」と尋ねると、彼女は「おつげっこ」と答えた。すかさず、熱いは「しったげのぎぃ」かと聞くと、そうだと教えてくれた。

 ハルキが文字盤を介護ステーションの備品入れに片している横で、リュウは夜勤者に明日の朝食から、佐々木さんに出すお味噌汁は、少し冷ましてから出してもらうよう申し送りをしていた。

「多良君、良くやったね。文字盤使えたでしょ?」得意げに佐藤が話しかけてきたが、ハルキは直ぐには反応しなかった。何て言ったら良いのか分からなかったからだ。すると、「ちょっと難しいよ、(佐藤)民夫さん。佐々木さんの認知レベルだと。」リュウが言った。

「ごめ~ん。使えると思ったんだけど。」佐藤はリュウの肩を両手で揉みながら笑った。ちなみに佐藤はリュウの一つ上で年上だ。しかし、特養では比較的、生活相談員の方が格上的な立場の場合が多い。ただ、リュウの場合はそれだけではなく、職場内で一目置かれている存在であることから、微妙にへりくだる様な態度を取るのだろうとハルキは思った。

 ハルキとリュウは2人で喫煙所にいた。

「やっぱ、リュウさん流石っす。」ハルキはそう言うと煙草に火を付けた。

「流石なのは、お前じゃん。よく行ったな、仕事終わった後、佐々木さんとこ。それ聞いたから、大丈夫かと思って、俺行ったんだよ。気になったんだろう?何を伝えたかったんだろうって。そういう気持ち大事だよ、この仕事に。」

ハルキは興奮気味に、「あいつ等、あの時見て見ぬ振りして、俺の事シカトでしたよ。そのくせ、使えない文字盤の話してきて。」と言った。リュウは大きく煙草を吸い込むと、口を窄め、煙をいくつもの輪っかにしながら吐き出した。そして笑いながら、

「結果、良かったろう?俺達、部屋出る時、喜んでたじゃん、佐々木さん。それに、文字盤使える時は使えるよ。民夫さんも悪い人じゃないから・・・。基本、この仕事に就いてる人で、根っこの悪い人はいないよ。」と諭すように言った。ハルキは分かったような分からないような気分だったが、リュウが最後に「方言女子は可愛いけど、方言婆さんは大変だな。」と言ったので、その通りだと思い二人で笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る