18嫁 獣娘ナミル(4)或る女

「どうしてって、お前が倒れていたからだゾ! そんな装備で山を登っちゃダメなのだ! 死ぬゾ!」




「それでよかったのよ。私はここに死ににきたんだから」




 ナミルが覗き込むと、女はぶっきらぼうに言って視線をそらした。




「死ぬって? 自分でか? なんでだ?」




「あなたに関係ないでしょ」




 そう言ってナミルを冷たく突き放す女の表情は、戦場で散っていた仲間たちのそれに似ていた。




「関係ないけど、知りたいのだ!」




 チキュウにはまだまだ戦争が絶えないらしいが、このニホンという国はとても平和だと聞いている。




 平和な世界の女が、どうしてそんな表情をしなければならないのか、ナミルには純粋に疑問だった。




「……」




「お腹が減っているのか? な、なら、ナミルのお菓子を分けてあげるゾ。と、特別なんだゾ?」




 ナミルの言葉を無視した女に、質問を繰り返す。




 楽しみにしていたお菓子を分けてあげるのは本当は嫌だが、ナミルはジャンのツガイである。




 誰にでも優しいジャンのように、ツガイであるナミルも誰にでも優しくすることを心がけているのだ。




「いらないわよ」




「じゃあ、住むところがないのか? 安全な住み家を追われてここに来たのだ?」




 水場が近く、気候も温暖ないい場所は、力の強い者が住む。




 身体の弱いヒューマンがこんな所に薄着でやってくる理由といえば、それくらいしか思いつかなかった。




「いくら私でも住所くらいあるわよ。馬鹿にしてるの?」




 女は不機嫌な声で言って、ナミルをにらみつけてくる。




「してないゾ。うーん。そうだ! わかったソ! お前は、山の怒りを鎮めるために、この山に生贄に捧げられに来たのだな! ナミルもなー。昔なー、クジにはずれてドラゴンの生贄にされそうになってなー。ジャンがドラゴンを倒して助けてくれなかったらなー。今頃骨になってたのだ!」




 あの時、まだナミルは三歳だった。




 ヒューマンに比べればすごく成長の早い獣人とはいえ、三歳はまだトゲネズミよりも雑魚な、山で最弱の生物である。




 片やドラゴンといえば、種族的にこの世に並ぶ者はない最強の生物だ。




 逃げたかった。




 でも、逃げれば仲間に殺される。




 もちろん、そのままでいてもドラゴンに殺される。




 ただ死を待つだけだったナミルの前に現れた少年――それがジャンだった。




 ナミルは年上とはいえ、ヒューマンとしてはまだ子供。




 獣人基準でいえば小柄も小柄の雑魚のはず。なのに、ジャンはドラゴンと渡り合うどころか、凌駕してみせた。




 あの時の彼のかっこよさを表現する言葉を、ナミルは持たない。




 しかし、あの瞬間、ナミルはジャンのツガイになると決めた。




 まだ発情期がくるような年齢ではなかったけれど、理屈ではない、純然たる本能が、彼以外にありえないと告げていた。




「……この子何を言ってるの? ドラゴンとか頭大丈夫?」




 ナミルと話していてもしょうがないと思ったのか、女はジャンの方に言葉を投げかける。




「ナミルは今、日本語を勉強中なので、上手くニュアンスが伝わってなかったらすみません。ちなみに、ドラゴンとはチャイニーズマフィアのことですよ」




「そ、そうなのだー。アノトキハタイヘンダッタノダ」




 ナミルはジャンの言葉に頷いた。




 そうだった。




 ナミルたちがこの世界で異世界人であることは秘密だった。




 しかも、この世界には獣人はいないらしいから、バレたら大変なことになるかもしれない。




 もちろん、ナミルの見た目は、ジャンの魔法によって偽装されているから、普通のヒューマンに見えているはずだけど、それでもこの世界にいないモンスターの話をしたらだめじゃないか。




 まあ、それにしても――




「じゃあ、お前は、腹も減ってないし、住み家もあるし、誰かに生贄にされそうになってる訳でもないのだ? それなのに自分で死ぬと言ってるのだ?」




 安全で、食べる者があって、住み家があれば、ナミルはそれだけで十分幸せだと思う。




 もちろん、今はそれ以上の天国のような環境にいるのだけれど、ジャンのツガイになる前の自分だったら、女の境遇で十分に満足できたことだろう。




「そうよ。悪い? アフリカでは一秒に三人が死んでいるのに、とかお決まりの説教でもする?」




「あふりかは知らないけど、別に悪くないのだ。でも、大体わかったからもういいのだ。つまり、お前はバカなのだな!」




 ナミルはうんうんと頷いて、そう結論づける。




 好きに使える時間があるのに、それをわざわざ暗くてつまらないことに費やすなんて、馬鹿そのものだ。




「アフリカも知らない人間に馬鹿呼ばわりされるなんて、私も終わったもんだわ」




「だって、理由もないのに死のうとしている人間を他にどう言ったらいいのかナミルには分からないのだ」




「理由なら……あるわよ」




「そうなのか?」




「結婚式当日に、新郎に浮気相手が三人いて、一人は私の親友で、もう一人は同僚でしかも妊娠してて、最後の一人は私の妹だって判明したのよ!」




「おー」




「どう、驚いた? あなたたちカップルか夫婦かなにかでしょう。縁起が悪いから私に関わらない方がいいわよ」




「――それはめでたいな!」




「は?」




「家族が一気に増えておめでたいのだ!」




 ナミルは女に笑顔で拍手を送った。

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