16嫁 獣娘ナミル(2) 事前準備
「おお! あれがこれから登る山か!」
ジャンと一緒に異世界にやってきたナミルは、空を仰いで呟いた。
視線の先には、雪の王冠を被った山が雄大にそびえている。
ここはその山の麓にある町。
さっき言っていた通り、ジャンはまずは商店で山登りの準備を整えるつもりらしい。
今はもう日が落ち始めてるから、夜間の登山になるかもしれない。
「ああ。富士山っていう、この国で一番大きい山だ」
「フジサンかー。中々にいい顔をした山なのだ。でも、ナミルのいたところの方がもっと背が高いゾ」
「ああ。あそこの山は8000メートルを超えてたよな。チキュウにも同じくらい高い山はあるんだけど、そういうのはさすがに日帰りで登るのは無理だから、今日はここにする」
「そうかー。わかったのだ。ところで、これからナミルたちは何のためにあの山に登るのだ? 山頂にすごい薬草でもあるのか?」
ナミルは素直にうなずいた。
「目的か……。そうだな、強いていえば、夜明け前に登頂して、日の出を拝むことが目的かな。この国の人たちは、山頂から日の出を見ることをありがたがるんだよ。だからそれに倣ならおうと思ってね」
「そうかー。日の出を見るためだけに山に登るなんてもの好きだなー」
ナミルがいくら体を動かすことが好きとは言っても、山を登ることには常に危険が付きまとうものだ。
普通は、それに見合うリターンがなければわざわざ登頂を目指したりしない。
今はジャンとツガイになって生活に余裕があるからいいけど、故郷の山にいた頃は絶対しない行動だった。
もちろん、何に価値を見出すかは人それぞれでいいのだけれど、日の出なら山の中腹からでも十分見えるのだし。
「そうだね。それだけこのチキュウが豊かだということだと思うよ――じゃあ、早速そこのスーパーで買い物をしようか」
「了解だゾ!」
ジャンと一緒に自動で開く扉をくぐって、店の中に入る。
この世界の店は、綺麗で、何だかいい匂いがする。
「まず何が欲しい?」
ジャンが入り口から籠を取って言う。
「そうだなー。絶対必要なのは、水と塩とメシだなー。さっき見た感じだと、雪がどっさりあありそうだから、水は最悪、火で雪を溶かしてもいいゾ。でも、もしモンスターの毒とかで土地が汚れているとヤバいから、よく知らない初めての山ではなるべくしない方がいいのだ」
「うんうん。じゃあ水は重いから最後に買うとして、食料は何がいい?」
「干し肉なのだ。塩気も摂れるし、かさばらないし、腹持ちもいいから。あっ、でも、ジャンはヒューマンだから、もうちょっと食いやすいものがいいゾ。干したコメを水で戻すとか」
獣人とヒューマンでは種族的に消化能力が違うことを、ナミルは経験上理解していた。
ナミルたちは、時たま金で雇われて他種族の山越えを助けることがあったが、ヒューマンは獣人たちより身体が繊細にできている。ナミルたち獣人なら子どもでも食べられるような肉でも噛み切れなかったり、ヒューマンは吐いてしまったりすることがよくあった。
もちろん、ナミルのつがいはそんな軟弱ではないだろうが、万が一ということもある。
「ああ。そうだな。でも、ここでは干したコメは売ってないから、俺は代わりに砂糖菓子を持っていくことにするよ。もちろん塩分も含んでいるやつを」
「お菓子か! 贅沢だなー。さすがジャンだなー」
ナミルは指を咥えてジャンを羨ましそうに見つめる。
砂糖菓子は、ナミルたちの世界ではまだまだ高級品だった。
後宮に入ってからは、おやつの時間(正しくはてぃーたいむというらしいが、ナミルは言いにくいのでその呼び方が好きではない)に、食べても良いことになっていた。
しかし、前に調子に乗って食べ過ぎた時、ヒンメルに『ナミル様には慎みというものを覚えて頂きます』と怒られて、食べる量を制限されてしまったのだ。
「チキュウで登山をする人にとっては当たり前だよ。みんな甘いものをもっていくんだ」
「そうなのか? じゃあナミルも買ってもいいか!?」
ナミルは目を輝かせて言った。
「もちろんいいぜ。お菓子コーナーはこっちだな」
ジャンは何列かに分かれた道の一本に入る。
そこには夢のような光景が広がっていた。
飴に、クッキーに、真ん中に穴の開いたケーキに、ありとあらゆるお菓子が所せましと並んでいる。
「おお! いいのか!? 本当に好きなのを選んでいいのか!?」
ナミルは目を輝かせて、視線をあっちこっちに泳がせた。
「登山に必要な分だけな。じゃあ、俺は、『アットホームパァパ』にするか」
ジャンはそう言って、籠に一袋のクッキーのようなものを入れる。
「ええっとなー。ナミルはなー。この茶色い飴となー、ぷにぷにしたやつとなー、サクサクっぽいやつとなー、穴のあいたケーキとなー」
「……ちょっと多くないか?」
「や、山では何が起こるか分からないから、食料は多めに確保しておいた方がいいんだゾ? 嘘じゃないゾ! 本当だゾ?」
「まあそれもそうか。そもそも、獣人は基礎代謝が高いから、カロリーの消費量も多いしな」
「うんうん。そうなのだ。キソタイシャがすごいから仕方ないのだ」
ナミルはジャンの言っていることの意味が半分も分からなかったが、適当に頷いた。
ナミルだって、ジャンのツガイになってしばらくたてば『クウキ』だって読めるようになるのだ。
「じゃあ食料も確保したし、後は水だけでいいか?」
「いいと思うゾ。普通のヒューマンなら、杖と明かりがあった方がいいけど、ジャンには必要ないのだ」
もちろん、ナミルにはそれらの装備はいらない。
ナミルは元より山岳地に適した身体で生まれてくる獣人だ。
夜目が利くから明かりは必要ない。
杖は、バランス感覚に秀でた獣人にとってはかえって邪魔となる。
靴も、今は棘ネズミの皮靴を履いてはいるが、仮に裸足になったとしても、足の裏には細かい起毛が生えて滑りにくくなっているし、相当な荒い地面にも耐えられる分厚い皮膚をもっている。
「ああ。確かに魔法を使えば余裕だけど、チキュウに来た時は、なるべくその土地のやり方に合わせることにしている。だから、光はこのヘッドライトで、杖はこのトレッキングポールを使うつもりだ」
ジャンはそう言って、頭に巻いたハチマキのようなものの先っぽについた筒をいじった。
白い光が灯っては消える。
「それで、そんな変な格好してるのか?」
「ああ。チキュウ産の登山用の装備だ」
ジャンの背負い袋には、二本の銀色の杖が備え付けられている。
ジャンほどのすごい魔法が使えれば、背負いカバンも明かりをつけるマジックアイテムも必要ない。
でも、わざわざ普通の人に合わせるところが、彼らしいと思った。
いつも、普通の人と同じようであるように心がけているから、彼はえらくない人や、お金持ちではない人の気持ちも分かるのだ。
「ははは! なんかタートルヘッドみたいな格好なのだ!」
背中とおでこが出っ張ってる沼地のモンスターを思い出し、ナミルは笑う。
「ふふっ。そういうお前はツルツルテンのスライムみたいだな」
ジャンも笑い返す。
今のナミルは、トロールの皮で頭から身体までをぴっちりと覆った姿だ。
使い込んだトロールの皮は、黒光りしてスライムのそれに似た光沢を放つのである。
「ああ、そういえば忘れてたのだ。そこらへんの木の葉をむしってトロールの皮の中にいれるのだ。トロールの皮の間を膨らませて空気を入れると暖かいのだ」
トロールの皮は、伸縮自在のすごく便利なアイテムだ。
ジャンが持っているような背負いバックの代わりにもなるし、うんと伸ばせば、テントにすら早変わりする。
トロールをしとめて自分の専用の皮を手に入れるのが、獣人が大人と認められる通過儀礼となっているくらい、馴染みのあるアイテムなのである。
「ああ、ダウンジャケットと同じ原理だな。でも、木の葉を勝手にむしると怒られるから、他のものを代わりにしないか?」
「おお。よくわからないけど、ナミルは暖かければ何でもいいゾ」
「じゃあ、水と一緒に緩衝材も買おう」
ジャンが籠にいっぱいにした商品をもって、店員の所に行ってお金を払う。
ツルツルでプチプチの一枚布。
『カンショウザイ』というのをトロールの皮の間に仕込んでから、お菓子と水もしまう。
軽いお菓子は下に、重い水は上に。
身体の『芯』と荷物のバランスを合わせることが、楽に荷物を運ぶコツだ。
ジャンも自分の背負いカバンに、商品をしまい込む。
「これで準備は万全だな」
「おー! でも、あの山のてっぺんにここから登ると、二日~三日はかかるゾ? ジャンは忙しいのに大丈夫なのだ?」
「はは、俺もさすがに何日も王宮を空にする訳にはいかないさ。実は、富士山は半分くらいの高さまではバスっていう車で行けるようになってるんだよ。そこからなら、半日くらいあれば普通に頂上までいける」
「そうなのかー。便利なのだ」
ナミルは、あの道をびゅんびゅん走ってる鉄の塊のことを思い浮かべて頷いた。
ジャンに連れられて何度かチキュウに来たことはあったから、目にする機会はあったが、乗るのは初めてだ。
まだ味わったことのない経験を楽しみにしながら、ナミルはジャンと一緒に店を出た。
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