第十四章 変身

第十四章 変身



 この島に最初期から行動をともにしていた少年がゲストに殺されたのだ。

 某国のゲストは窒息系のお遊びが好きで、その度が過ぎて少年を殺してしまった、と言うのが竜胆から聞かされた第一報だった。

 俺達の少年は島のどこかで秘密裏に埋葬されたという事だ。

 それらすべての事が終わってから、竜胆へ連絡が入ったという次第であり……俺達が質問する余地もなにもなかった。

 当然、ゲストは素知らぬ顔で別の業者から少年なり少女を追加注文していた。

 竜胆は「大切な商売道具だ!」と憤り、数億円規模の保証を得たと言って満足そうな顔をしていた。


 違う。


 俺達はそうした金銭保証で溜飲を下げてよいのか。


 違う。


 俺も健次郎も「間違っている」と額を突き合せて話し合った。

 最初から気づいていたはずなのに、認めようとしたなかった。


「この島は狂っている。すべてが狂っている」


 健次郎の主張に俺は全面的に賛成だった。

 ここは楽園かもしれないが、天国ではない。

 地獄の魔物が跋扈する楽園なのだ。

 俺達は悪魔に生き血を捧げる邪悪な存在であり、生贄となる子どもたちは世界各国からクリック一つで届けられる。どれほど美しく着飾り、どれほど豪奢にふるまっても、結局は悪魔に対する生贄の儀式の前夜祭に過ぎない。


 いつかは俺達全員が食われる。


 そして罰せられる。


 本当の神なる存在がいるのなら、間違いなく。


 この島の悪魔たちは、この世界に『神』はいないと考える者たちだった。

 この世界のなんらかの一角を支配するに至った人間が、この島で魔物となるからだ。



* *



 この島は異常だ。


 最初からそんなことはわかっていたことなのに、なにかが明確に失われてしまうまで俺たちはその事実を認めようとはしなかった。

 愚かにも、認めなかったのだ。

 好き放題に高価な品物が、将来性のある素体が、裕福で不自由ない生活が保障された楽園のような島は、警戒感をもって入島したはずの俺たちの精神まで蝕んでいた。

 失われてしまった少年は、将来性のあるかわいらしい子どもだった。

 国分寺駅の前で俺自身が声をかけた子で、父子家庭の少年だった。

 小学生のころからずっとサッカーをやっていたが、高校二年生を迎えるにあたって自分がレギュラーになれないことを知った。彼はサッカーで名の知れた高校に通っていて、自分がサッカーで成功することが父親への恩返しであり、特待生として大学へ行く唯一の道だと考えていると話した。

 深夜のファストフード店で彼は涙を流しながらそう語り、ハンバーガーを口にした。

 世の中には勉強ができなくても、夢に破れてしまっても、別の要素で輝ける可能性に満ちている。俺はそう言って彼にビニール袋を手渡した。中には簡易的なウィッグが入っていた。

 彼はいぶかしげに俺を見て、警戒感を込めた声で言った。


「バカにしてるの?」


 馬鹿にしていない。


 キミは自分でも理解していない自分の素養がある。俺はその道のプロだ。精神的にも肉体的にも、キミは可能性に満ちている。その可能性を引き出すことができる他人は、たぶんそう多くない。キミがサッカーで大成できないと感じたのは、キミを指導したコーチなり監督が、キミの素養を十分に理解しなかったためだ。


 俺はプロだ。


 だから、キミを導ける。


 俺は諳んじるように、彼へ告げた言葉を呟いた。耳に聞こえる自分の言葉も、たぶん文章化して読み上げる文字も……どこか、滑稽なヨタ話のように聞こえ、見えるのだろう。

 けれども、あのときの俺の勧誘は真に迫っていたのだ。

 傷つき、迷い、国分寺の駅前をさまよっていた彼の耳には、神託のように聞こえたのかもしれない。

 彼はビニール袋を手にしてトイレへ立ち、十数分後に戻ってきた。

 わずかに髪の毛を乱し、俺に突き返すようにビニール袋を返した。


 そして、言ったのだ。


「あんた、本当に俺をかわいい女にできんのかよ」


 俺は「できる」と断言した。


 女装趣味のない人間が、自らの女性的本質に気づかされた時にする目をしていた。

 自分の中に眠っている女性的な魅力は、自分の趣向や性癖にあった見え方をする。たぶん、彼はトイレの中でウィッグをかぶり、鏡に映る自分自身のおぼろげな女装姿に当惑したはずだ。

 見慣れた自分の顔がありながら、そこに異性に染まろうとしている『何者』かが存在しているのだ。それは変貌途中のあいまいな人物であり、男性でも女性でもない存在である。年頃の高校生が少年から大人へと変貌していくように、彼もまた自分の知りえないところで性別的な変貌の芽を目撃したのだ。

 悲しいことに性別的な変貌の芽を目撃できたとしても、それは決して自然に花が開くことはない。なぜなら、男性器は成人を迎える途中で自然に腐り落ちたりはしないのだから。

 彼は自らの変貌の芽を見つけ、そして可能性を理解した。

 その可能性をより高いもの、確実なものにするためには、専門家の力がいる。

 そう判断できる少年は賢い。

 俺はそうした心理的思考の進路を推測したうえで、彼を素体として認めた。

 そして彼は、この狂った島で竜胆の商売を軌道に乗せる黎明期を懸命に働き、支えた。たくさんの指名をもらい、美しい少女となり、健次郎の伝える技法を実践した。

 人気が出ないわけがない、と最初に変貌したときに俺は直感した。


 この少年は形容しがたいほどに美しい。


 四肢はサッカーで鍛え上げられているというのに、女性的な緩やかさがしっかりと残っていた。髪の毛も最初はウィッグで対応していたが、あえて地毛を伸ばすことによって自然な風合いが増したし、最近はウィッグなしでも客をとっていた。

 吸いつくような肌の質感は、女性を抱くというよりも乳児を抱く感触に近く、骨ばった男性的な武骨さを作為的に隠すことができる優秀な素体だった。



 その素体が、人知れず失われ、この島のどこかに秘密裏に埋められてしまったのだ。



 俺はその事実を理解するまで、ひどく時間がかかった。

 この商売がどういうたぐいのものかを忘れかけていた。

 こうした喪失感は健次郎も同様に感じていた。むしろ健次郎のほうがひどくショックを受けていた。

 俺は素体を男性から女性へとコーディネートするだけであるが、健次郎は実技を教える。男性が男性を相手にするときの嫌悪感を取り除いたり、また個々人の弱い部分を探り当てる極めて実践的な方法まで健次郎は教えていると聞いた。

 そんな健次郎であるから、彼が失われてしまったことにひどく狼狽していた。

 彼は手の使い方が下手だったとか、口を使うことに抵抗があったとか、数々の困難があったことを話した。

 俺はそれを聞きながら、夕暮れに染まる海の水平線をぼうっと眺めていた。


「すぐにお役御免になるのによォ……」


 健次郎はそう言って泣いていた。


 すぐにお役御免になる。


 セミみたいだな、と俺は思った。


 この家業を長く続けていて、あまりに当然のことに気づけなかった。

 少年たちはひと夏の思い出のように消える。

 それは実質的な消失ではなく、女性的な外見を保てなくなって消えていくという意味だ。

 健次郎もそうであるが、彼も若いころは素敵な素体だった。

 けれども、いまは完全な男性となり果て、どう手を尽くしても女性的な美しさを得ることは難しいだろう。

 いま竜胆が抱えている少年たちも同様だ。

 あと数か月、いや数週間もしたら、何名かは客には出せなくなる。

 骨格や筋肉が女性的な穏やかさを維持できず、男性の女装という領域に素体を引きずり込む。そうなってしまえば、彼らはゲストの求める美しい女性たちではなくなってしまう。

 この島に来て、そうした別れは幾度か経験した。

 多くはないが、ゼロではない。

 だからこそ、短期間のうちに終わるのだから……。


「殺すようなことはしなくっていいじゃないか」


 俺は強くそう思ったのだ。

 そんなことを理解せずに、あの大邸宅の中で日々狂乱するゲスト達が……無性に腹立たしく思えてきた。


「そろそろ、おしまいにしようか」


 ぽつりと俺は言った。

 健次郎は真っ赤にした目を上げて「えっ……」とつぶやいた。

 俺は健次郎に向き直り、続けた。


「俺たちの罪滅ぼしの時間が来たのかもしれない」


 健次郎はあいまいに顔をふるばっかりだった。

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