第十章 強権

第十章 強権



 ひどく暑い夏の終わりに、竜胆は言った。


「手段は問わない。理想的な素体を確保しろ」


 事務所は北区から港区へ移り、雑居ビルからタワーマンションの一室へと移っていた。

 稼働店舗は系列店を含めて六十店舗を越え、都内の性風俗でも名の知れた集団となっていた。反社会勢力とのいざこざが極端に少ないのは、警察機構が竜胆の背後にはばっちりとついている。小学校の脇で性風俗の店をオープンしたいと申し出れば中央省庁から但し書きの特例が出た。条例は竜胆の希望通りに歪むし、開業資金は行政が運用する法人の孫会社から潤沢に流れてくる。


 東京都内で出店できない地域はない。


 暴力団や半グレ集団、中国・ベトナム系マフィアなど恐れるに足らない。

 つい数日前にも中国系マフィアに店舗運営で喧嘩を売られた。池袋のチャイナタウンに堂々と出店したせいだ。彼らの秩序を竜胆は踏みにじったわけだ。店舗責任者がひどいけがを負い、お店付きの男の子達はしばらく出勤できないほどに脅されてしまった。

 その二日後に、発砲事案を含む中国マフィアと警察の小競り合いが起き、民間人を巻き込む重大事件へと発展した。そのおかげで池袋の中国人街を仕切っていた反社会勢力が多く逮捕された。歴史的な警察の快挙だと騒ぐ一方で、強硬的な警察のやり方に非難の声も上がっている。


 だが、そんなものは俺にとってどうでもよかった。


 着目しなくてはいけないのは、竜胆の主張が通らなければ警察が動くのだ。

 竜胆は仇討ちを警察に依頼し、警察はためらわず発砲し、不法滞在の中国マフィアを捕えた。ひどく乱暴に。

 その事件を聞かされたとき、俺達は本当に引き返せないところにいるのだと理解した。

 強権的に、また私情に関与する警察機構に対する支払いはただ一つである。


「早く素体を確保しろ! 数が足りんのだ!」


 竜胆は苛立ったように立派な執務机を叩いた。

 俺は静かに頷き、部屋を後にする。

 警察幹部の接待には多くの未成年がいる。

 未成年がなぜ法で保護されているのか。

 それは彼らが肉体的にも精神的にも、そして魂と言う意味でも、腐り始めた大人たちを癒す力を本能的に持っているからだ。

 悪魔の儀式で赤子や幼児を生贄にするという話を聞いたことがある。その赤子や幼児の生き血を吸うのだ。


 なぜ、そのような理解しがたい行動を歴史上の人々はとったのか。


 最初はそう思ったが、いまは理解できるような気がする。

 赤子や幼児にそうした『癒し』があると信じられるように、未成年の肉体や魂にはそうした効能が『あるように思われる』のであろう。

 まさに俺は悪魔の所業に手を貸している。

 夜の街に繰り出し、人待ちをしている未成年を見つけては声をかける。

 原宿よりは渋谷へ、池袋よりは大塚へ、大森よりは大井町へ足を運んだ。

 子どもたちは独特の嗅覚と触覚をもって邪悪な大人たちが寄ってくる場所に佇んでいる。女性になり得る男の子を探し、俺は声をかける。


「お金が必要?」

「泊まるところはあるの?」

「ずっと待ってるじゃん。友達来ないの?」


 この三つの台詞のうち、どれかで子どもたちは顔を上げる。

 恐ろしいことだけれども、俺はどの台詞をチョイスすればよいのかを分かり始めていた。警察に駆け込まない、札束で心が揺れる、人肌を欲している……そう言った男の子達をしっかりと選別していく。

 配下の娘たちは五十人を超えていたが、それでも『循環』はある。

 健次郎が第一線を退いたように、娘となった男の子の多くは第一線から離れていく。

 男の子が女の子へと変貌する素質と、性的な接待に長く耐えられる素質は別物なのだ。大概は後者の素質がなく、つぶれてゆく。

 政治家や警察官僚は娘たちに大変な要求をするのだと健次郎が泣きながら訴えてきた。どうして人間はあんなひどいことを子どもたちに要求できるのか、と。

 自分が仕立てた子どもたちが、ひどい扱いを受けて帰ってくる。そのケアをしているのも健次郎であった。


 俺は無責任なのかもしれない。


 子どもたちをこの世界に引き込み、魅力的な姿に変身させて……あとはすべて健次郎に押し付けて、次の素体を探しに行く。

 健次郎はいま、自宅で療養している。

 精神的に滅入ってしまい、精神科医から処方される睡眠薬でかろうじて毎晩の睡眠を確保している。

 可愛らしい少女のような笑顔で出て行った子どもたちが、悲惨な泣き顔で帰ってくる。血を流しながら。

 傷口に軟膏を塗り、彼らを抱きしめて「また出来る?」と聞く。出来るわけがない。それを最もわかっているのが健次郎なのに、「また出来る?」と聞かなくてはいけない。俺達は彼らに頼るほかないのだ。


 客は多くを求める。


 しかし、選ばれし少年たちの数は限られている。


 多くが損耗し、消耗し、消えてゆく。


 健次郎が倒れ、ほかの指導員が選任される。


 性的な技量の指導は、ある程度の経験値があれば実施できる。つまり、健次郎の代わりはいくらでもいるのだ。


 一方で、俺のようなコーディネーターはいない。

 竜胆の本音は、俺以外にも男の子を女性へと変貌させるコーディネーターを抱えたいらしいのだが、思うような結果を出せる人材に巡り合えていない。

 それはコーディネートの面でもそうだが、素体を発見する術も同様だった。

 つまり、俺が素体を見つけ、それらをコーディネートし、指導員に引き渡す。

 この一連の作業を日夜継続しているのだ。


 休む暇もない。苦悩する暇もない。


 たぶん、立ち止まってしまえば……これまでの業が烈火の如く俺を焼き尽くすだろう。

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