16.衝動の代償 <後編>

次に私が自分を取り戻したのは、外だった。

ボーリング場の外。

つまりは、だだっ広い駐車場。


周囲は相変わらず霧に覆われていて、私しかそこに居ない。

見えるのは、さっきまで中に居たはずのボーリング場の建物と…1台の車だけ。

黄色く、鼻先の長い、古めのスポーツカーが私の横に止まっていた。


「……」


私は、私の目の前の車に手を伸ばす。

手を伸ばして、私の身長ですら低く感じる屋根の当たり…運転席側の屋根の淵に手を当てて、グイっと車内を覗き込むような姿勢を取る。


パッと見の外観だけで分かっていたのだが…

私は中を覗き込むまでは分かりたくなかった。

ほんの少し青みがかった窓の奥、特徴的な縦傷が入れられたハンドルを見て、私は溜息を一つ付く。


フェアレディZ


その車は、そんな名前だったはずだ。

昔の車で、そこそこありふれたスポーツカー。

私が私だった時代…それこそ、今の現実を生きている私からすれば、珍しいと言っても過言ではない車。

冬になれば乗れないタイプの車。


私がそんな車を知っているのは、今目の前にある車の事を"よーく"知っている訳は単純だ。

"慧の父親"が乗っていた車だから。

それだけ。


「慧がいれば、喜ぶんだろうけどなぁ…」


私はその車の周囲を回って細部を見回しながら呟いた。

ナンバーも、彼の父が乗っていたものと同じ。

現実の"今回の世界"で私が、父から譲り受けていたそれとはちょっと違う。


私は1周、その車の周囲を歩き回ると、ポツリと駐車場の中に立ち尽くした。

とりあえず、さっきまでの私に何があったのかを思い出そう。


そう思い立った私は、まず真っ先に自分の体を見回した。

先程と変わらぬ、中学時代のブレザー。

違うのは、返り血で赤く染まっていないこと。


ボールを手に、男の血で真っ赤に染まっていた両手は、何もなかったかの如く。

手を顔に持ってきて、匂いを確認しても、血の匂い…独特な鉄臭いを感じない。

私はほんの少しだけ首を傾げると、ボーリング場の中に戻ろうと足を進めた。


さっきまで感じていた、生暖かい血の感覚も無く…

耳に反響していた男の悲鳴も思い出せそうにない。

気が遠くなっていった瞬間から、私に何があったのかは分からないが…

少なくとも、私に害があったわけではなさそうだ。


"誰が"私の中に居たのか?


そう考えれば、私を操れる人間など1人しか居ないはずだ。

"彼女"が私を動かしていたのであれば、腑に落ちる。


「……」


広い駐車場を歩いて、ようやくボーリング場の入り口前までやって来た。

不自然に開いている自動ドア…私はそこを潜り抜けて中に入る。

中に入って、何処を目指そうか?

そんなことは、特に頭になかったが…何となく、この空間の最初の場所に行こうと、自然と足が進んでいた。


タイルカーペットの上を歩き、白い霧に包まれた暗い空間を歩き進めていく。

男の死体を横目に見ながら、レーンの後ろを歩いて受付の方へ…

そこから、横に回って、何の変哲もない木の扉のノブに手を掛けて、クルっと回して奥に押す。


その先は……


「え?」


その先は、受付の裏側…事務所ではなかった。

その先は、私の部屋。

既に先客が1人…慧が呆けた表情でこちらを見返している。


「慧?」

「彩希か」


互いに状況を掴めていない状況。

さっきまでは慧の部屋に居たはずなのに、次は私の部屋…

先に部屋に居た彼にとっては、疑問の他にもほんの少しの気まずさもあるのだろう。

ほんの少し、私から視線を反らしていた。


「あー…」

「良い。今来たばかりとか何でしょ?」

「悪い。その通りだ」

「とりあえず、振り返ろうよ」


私は扉の向こう側…自分の部屋に入り込むと、扉を閉めて、再び開けてみる。

さっきの場所…ボーリング場には繋がらず、自分の家の廊下が見えた。


「慧には何処から入って来た様に見えたの?」

「普通に、家の中から。俺の部屋から出たっきり戻ってこないんでな」

「……それで私の家に?」

「体感で数時間ちょっと。待とうか迷ったがな。書置きを置いて出てきたんだ」

「そう」


私は慧の行動を聞いて、そう返すと、ベッドの上に腰かけて…それからコテンと横になる。

彼は部屋のド真ん中で突っ立ったまま、私の方を見ながら少しだけ困惑した様子の、その表情を変えることは無かった。


「私の方はさ、ちょっとおかしな事になってたんだけど」


横になると疲れがドッと湧いてくる。

そう言った後で、私は小さく欠伸を一つ…

目じりに浮かんだ涙を拭いながら、話を続けようと口を開く。


「慧のお父さんが乗ってた車を見てきたの」


一言目はインパクト重視で。

私の言葉を聞いた彼は、思った通り驚いた表情を浮かべて私の元に寄って来た。

近場にあった椅子を引っ張ってきて座ると、信じられないといった表情を浮かべて私の目を見つめてくる。


「嘘だろ?彩希の家にあるZじゃねぇよな?」

「ええ。間違わない。確か…ナンバーが選べない時代に130になるようにした車でしょ?」

「ああ…じゃぁ…」

「黄色い車体に、130のナンバー。ハンドルに入った、慧が爪で付けちゃった縦傷…証拠は十分じゃない?」


私の説明を聞いた慧は、驚いた表情を浮かべたまま、首を左右に振る。


「そもそも、私の家にアレがあるの慣れてないのよ」


私はそう言うと、ふーっと溜息をつく。


「分かったと思ったら、訳の分からない事になるのか」


慧はそう言うと、部屋の外に目を向けながら肩を竦めた。


「どうするよ?」

「どうするも何も、もう私達はここに居るしかないんじゃなかった?」

「聞き方が悪かったな。これ以上、ここで何をするよ?」

「……さぁ。今私の部屋を出ても、そこが私の家の中と限らない以上、何も出来ないんじゃないかな」


そう言って、体を横にしたまま慧の方に顔を向ける。


「次は慧の番かもね」

「俺の番?」

「何回かあったじゃない。どっちかが死んで、後追いっての」

「ああ…じゃ、彩希が消えてたのは…」

「そう。最後にあの車を見たのは意味が分からないけど、その前の出来事は偶にあった回の清算…ホラ、ボーリング場で…」

「そこまでで分かった」

「ありがと。でも、ちょっと整理させて」


私は慧の顔をじっと見つめながらそう言うと、彼はコクリと頷く。


「事の始めは慧の部屋から出た時。扉を開けて、ふとした瞬間にはもうボーリング場の中に居たの。ボーリング場の、受付の中ね」

「俺からは出て行った後に気配が消えたんだがな」

「まぁ、その差はあるでしょうね。で、ボーリング場に1人放り込まれた私は、また中学の時の格好でブラつくことになったと」

「ほう?」

「それで、ブラブラ散策してる間に、男が一人迷い込んできて…私はそれを始末して…実は、そこで一旦意識が飛んでるの」

「意識が?」

「そう。意識が」


慧は首を小さく傾げる。

私は淡々と、さっきの出来事を話続けようと口を開いた。


「気づいたら駐車場に居たの。そこで見たのが、あのZって訳」

「"今回"は影も形も無かったのにな」

「ええ。私ですら、パッと見だと"今回"は家にあったZだと思った」

「でも、調べたら俺の家のだったと」

「そう。一周前までのね」

「……」

「とりあえず、駐車場に居た私は、再びボーリング場に戻って…元居た場所、"スタート地点"の扉を開けてみたら…今に至るって訳」


サクッと簡潔に、これまでの経緯を話し終える。

その話の後は、私も慧も何とも言えない表情を浮かべていた。


「随分と不思議体験をして戻って来たもんだ」


少しの間の後で、慧が言った。

私は小さくニヤリと笑う。


「最初、この空間は俺らにとって都合の良い場所だったよな」

「ええ。"今回"は私も慧も表側に出られ無かったけれど、目についた"相手"を引きづり込めてた」

「それが勘付かれ出してから、俺らはいよいよこの世界から出られなくなってる訳だけど…」

「定期的に迷い込んでくる連中を順調に消して回れてる。それは唐突だけど、ある程度コントロールは出来ていたはずよ?何回か反撃を受けてる気がするけど…」

「覚えちゃいねーな。反撃何て受けたっけ?」

「さぁ、うろ覚え。だけど、兎に角、ココは私達にとって都合のいい世界ってことは間違いなかったわ」


そう言って、ようやく私はベッドから半身を起こす。


「それがもう一回白紙にされた訳だ」


慧は椅子に座ったまま、私に向かって言った。

コクリと頷いて肯定すると、肩を竦めて見せる。


「何がどうなってるの?」

「さぁ?」


堂々巡りの問い。

ココが何なのかという問い。

私達は、掴みかけていた答えを再び白紙に戻された。


「あと何人だっけ?」

「何人も居ないはずだ」

「もし、このまま全員をやったらどうなるの?」

「知るかよ」

「ここまで来て、最期がこれは嫌…」

「それは俺も同じだ」


不安が私達の間を支配する。

次のない…身の無い言葉を交わしていると、ふと慧が私の手を取った。


「?」


私は驚いて彼の顔を見返す。

彼はこんな状況で…さっきまでの会話の重さを感じさせない表情で、私を見つめていた。


「な、何?」


私は彼の行動が読めずに困惑する。

彼はそんな私を見てニヤリと笑うと、クイっと私を引っ張った。


「え?え…?」

「彩希、暗くなってる暇があったら動こうぜ」


彼は私にそう言うと、私の手を掴んだまま椅子から立ち上がる。

それは自然と私をベッドの上から立ち上がらせた…とも言える。


「元々、この空間は俺らの世界なはずだぜ。俺らに都合良く出来てるはずだ。もっと何かが出来るかも知れない」


慧は力のこもった声ながらも、どこか諭すような声色で私にそう言うと、私の顔を見つめてニヤリと笑った。


「何回目だか覚えちゃいねぇが、こうなりゃ最後まで突っ走って動いてみようぜ。1人じゃないんだ。何か見つけられるさ」

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