15.行き過ぎた指導 <後編>

「慧、体験してもらおうとは行ったけれど、この様子じゃ"現実の"私達がいつ来るか分からないよね」


私は血にまみれた包丁を片手に言った。

目の前には顔面蒼白の男が一人、テーブルの上に倒れている。


「ああ…確かに。この間も、ヤッた後に来たもんな。一応、呼び出されはするらしい」

「…!…ごの!…おま…」

「"中身"もそのままだったよね」


男は胸元…いや、腹部?…兎に角、胴体の真ん中あたりに赤いシミを作って、言葉にならない何かを喚いているが…

私達は彼を無視して話を続ける。


「む…!ん…あああああ!」


ちょっと煩かったので、肩の付け根辺りに一刺しすると、男は息の続く限りの悲鳴を上げてもがき始める。

それも直ぐに終わると、男は顔面を汗と涙でしわくちゃにしながら私達を無言で睨むようになった。


「ああ。随分と性格変わってたよな」

「ねー…」


男を囲んで、私達は話の節々で男の体を切りつけたり…技術室にある"痛そうなもの"を使って男の反応を見たりして時間を潰す。


「出てくるとして、何処だろうな?」

「教室じゃない?私達もそうだったんだし」

「制服で?」

「多分…高校生だっけ。今の"現実"は」

「ああ」


淡々と言葉を交わす。

その節々で、男に対しての"実験"を行う手が動く。

死なない程度に、男が自由に動けない程度に痛めつけ続けていた。


「バッタリ出くわしたらどうする?」


男の脛に向けてジワジワとハンドドリルを突き刺していた私は、彼の言葉を聞いて動きを止める。


「そう言えば、そうだね」


不意を突かれたような感覚。

私が私から剥がされて、"現実"を見れなくなっても尚、現実の私は霧の中に引きづり込まれている。

何も知らない、自分のことを"僕"と呼ぶ彼女と顔を合わせてしまう可能性も0ではないのだ。


「探してみようか?」

「会ってどうするよ」

「さぁ…こんにちは、私です。とでも言う?」

「……訳の分からない状況になるくらいなら、顔合わせしない方が良いだろうな」


慧は呆れた顔をこちらに向けて言った。

私も、直ぐに呆けた表情を元に戻して、それから苦笑いを浮かべて見せる。


「…尚更、探した方が良いんじゃない?いつ出て行ってくれるかも分からないけど」

「ああ。俺らが霧の中に引きづり込んでない以上、何時ここにきて、何時出て行くかなんて分からないからな」

「もう近くまで来てたりしてね」

「それでバッタリ会ってしまえばそれまでさ。会わない方が良いだろうけど、絶対にダメと言うわけでもあるまい」


彼はそう言うと、手にしていた包丁を男の足に突き刺して手を話す。

暫く何も言えないでいた男だったが、久しぶりに悲鳴を轟かせた。


「真の悪い時に鳴くんだから」


私はそう言って口元に笑みを浮かべると、同じく手にしていた包丁をまだ傷一つない手のひらに突き刺して貫通させ、テーブルの木の天板まで刺し込んだ。

男の傷の多さに血の量を見れば、私達が出て行ったところで自由に動けるはずはないだろう。

きっと、後は放っておくだけで死んでくれる。


「一旦、外に出てみようよ。流石に、校舎の中に現れたとして、霧の深い外に出ようだなんて考えはしないはず」

「だな」


教室に付いている流し台で血だらけの手を拭う。

慧も、私の考えに異論は無かったらしい。

アッサリと同意してくれると、私と同じように血の付いた手を洗った。


「教室でて直ぐ、非常口があったよね」


男を放置した私達は、さっきまでやっていたことへの罪悪感を微塵も感じずに教室を出て行く。

教室を出て左へ…廊下を突き当たりまで行けば、霧の奥…目の前に非常口の扉が見えてくる。

慧が先行して、鍵を開けて非常口の扉を開けた。

深い霧に覆われた校庭へ足を踏み出す。


「学校林辺りか?」

「だね。そこなら、出て来ても分かるし」


扉を出てすぐ、短く言葉を交わした私達は校庭の横…道との境目を区切っている林の方へと駆けだす。

慧を先頭に、私はその数歩後を続いていった矢先。


「!」


背後、背後と言っても、恐らくは私の頭の上の方から音がした。

扉が開く音。

私の背中に、嫌な汗が流れ落ちる。


「…」

「…」


声は判別できないながらも、誰かの話し声が聞こえてくる。

小走りだった駆け足を、ちょっとペースの速いランニング程度にして、私は霧の中に紛れ込んだ。

足の速い慧に追いつき、そして林の中へと駆け込んだ。


「非常扉が開いた!」

「間一髪かよ」

「私の姿は見られたかも」

「どうする?」

「この林の中には来ないと思う。真っ直ぐ霧の中に突っ込んだから…」

「放っておけばあのオッサンが叫ぶかもな」

「じゃ、様子見ってことで」


林の中、霧の靄と葉に隠れた私達。

それでも、ちゃんと校舎のシルエットが見える位の位置には陣取っていた。

音もちゃんと聞こえる。

霧に包まれた、環境音が殆どしない街…私達さえ居なければ、喋らなければ、無音の世界なのだ。

そんな世界の中で、非常階段に出てきた人物の行動音はやけに目立った。


2人分の足音。

それが非常階段を降りてきて、やがて地上に降り立つ。

私達が開けた非常扉を開けて、中に入るまで、会話らしい会話は聞こえてこなかった。


「こりゃ誰か居たのは違いないな」


扉が開いて少し経ってから、ようやく声が聞こえてくる。

それは、私の横で驚いた顔を浮かべている幼馴染と同じ声をしていた。

私達は顔を合わせて、互いに嫌な笑みを浮かべる。

彼らが見つけたのは、きっと廊下に残った血痕だ。


「驚いて立ち去ってくれれば良いんだが」


慧が小声で呟く。

その願いは、数秒後に呆気なく打ち砕かれた。


「……!」


耳に響く私の声色での叫び声。


「何があった?」

「さぁ?あの男はそろそろ死ぬはずじゃ?」

「行ってみよう。生きてたとして、連中に話されたら」


慧の言葉に、私は雷に当たったかのようにハッとした表情を浮かべた。

そこからは、私達の間に言葉はいらない。

林を抜け出して、先程出てきた校舎の中へ…

非常階段を降りてきた2人の後を追いかけた。


きっと、行き先は技術室に違いない。

扉を開けて中に入り、入ってすぐの角を右に曲がって、技術室の方へと駆けていく。


「なっ…」


そこで私達が見た光景は、自分達の為の世界なのだろうかと言いたくなる光景だった。

そこに居たのは、間違いなく現実の"私達"。

この間まで、私や慧が裏側に潜り込んで、標的を探し出して、霧の中に引きづり込んでいた対象で間違いない。


「なにこれ?」

「知るかよ」


目の前に蹲った私と慧は、耳を塞いで呻き声を上げていた。

何かに耐えるような声…

やがて慧の方がパッタリと倒れて気を失い、それに続くように、後を追うように私が倒れて行く。


2人分の呻き声に支配されていた空間は、直ぐに静まり返った。

残ったのは、呆然と立ち尽くす私達に、死を間近に控えた男…そして私達。

5分の3は既にこの世界に意識は無いと言っていい。


私は、倒れて気を失った私に元に近づくと、そっと首元に手を当てた。

脈はある。

微かにだが、呼吸も…


「生きてる…みたいだけど」


そう言って慧の方へと向き直った。

彼も彼で、現実世界の自分の下にしゃがみ込み…同じように安否を確認する。


「訳が分からねぇ。俺らは呼んでないのにな」

「ええ…急に叫び声が聞こえたと思ったら、こんなのって。私達のせい?」

「だと思うのが良いんだろうけど、霧の中…この空間かもしれない。ま、放っておけば勝手に帰るだろう。現実に」


いち早く立ち上がった慧は、机の上に血みどろになって放置されていた男の顔を覗き込んで、ニヤリと気味の悪い笑みを浮かべる。

その顔を私の方に向けると、私を手招いた。


「しぶといぜ。まだ虫の息程度なら残ってやがる」


その言葉を聞いた私は、真っ白髪の"現実世界の"私を置いてテーブルの方へと向かった。

見ると、確かにまだ息をしている。


「なんかさ、今回の学校はちょっと変だね」


私はどう考えても致死量分の血を流しているであろう男を見下ろしながら言った。


「この間、そこの俺等から離されたって思ったらコレだもんな。ま、オッサンに関してはしぶといだけかもしれねぇが」

「勝手に入ってきて、勝手に気絶されるのよ?さっきみたいに動けるときにこの男に会ったとして…私達は人となりに、関わった時の末路を知ってるけど、そっちの私達はそうじゃない」

「というと?」

「うろつかれて、私達よりも先に見つけて、もし"相手"が襲ったら?」

「ああ…」


私の言葉に慧が渋い表情を浮かべる。

自分達の世界…だが、その世界のルールは全くと言っても良いほどに分からない。

最悪の想定だけは簡単に浮かんでしまったから、彼に話したが…それでも、私はこの霧の中の世界というものがどういう世界なのか、改めて分からなくなってきていた。


「私達は…一旦置いておいて、この世界に来る"犠牲者"の事もどうだって良い。ここで死んでも現実ではのうのうと生きてるんだし」


私は少しだけ痛み出した頭を押さえながら話し続けた。


「でも、あっちの"私達"は…?利用してたとはいえ、最早私達はあの子たちじゃない…なのに、この前もそうだったけれど、どうしてここに入って来たのか…」


そう言った私に、彼はポンと肩に手を当てる。

数回、優しく叩いてくれて、私は思考の海…荒波の中に居た気持ちを沈められた。


「落ち着け。確かにルールが変わったのには違いない」


何時もの声色で、慧は言った。


「そっちの俺らが何かに気づいたせいかもしれない。前からやってたことなんだがな」

「……」

「とりあえず、ココを出ようぜ。こんな血の匂いにする場所で推理なんざしたくないからな。どっかで落ち着いて話そう」


彼は落ち着いた口調で、それでいて頼もしく感じる。

私はコクリと頷いた。


「今はただ…最初に決めたことが出来てる今を喜べばいいのさ」

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