10.霧に染まった日 <後編>

「……」


気が付く前の最後の光景は、霧が晴れた早朝の空だった筈だ。

雲一つない、太陽だけが眩しく輝く、涼しい夏の早朝の空。

眩い光に照らされたと思って目を閉じて、そこで僕の五感は一瞬途切れ…再び目を覚ませば、僕は霧の中に立っていた。


「彩希、タイミング最悪じゃねぇか?コレ」


傍に立っている幼馴染が僕に話しかけてくる。

僕はハッとした表情を浮かべながら彼の方へと向き直ると、コクリと首を縦に振った。


今いる場所は、懐かしの中学校。

何時かの霧の中と同じ、僕達が1年過ごした教室がスタート地点。

僕と慧は若返っていて、共に制服に身を包んでいた。


「最悪と言えば最悪だけれど、どうせ現実に戻れば少しも時間が経ってないことだってあるんだ。もしかしたら、葵達がボーっとしてる僕達をひっぱたいてくれるかもね」


僕は彼にそう言うと、霧の中に包まれた教室を見回し始めた。

時計に目をやると、3時13分を指しているという事が分かり…

霧を貫いてくる窓からの明かりを見る限りでは、丁度日も傾き始めた頃合いだという事が分かる。

僕達の制服が冬服であることから、少なくとも夏ではない事が察せられ…日めくりカレンダーを見てみると、霧の中の世界が10月24日であることが分かった。


教室の壁に貼られたプリント類や黒板に残された日直の名前には見覚えが無い。

カレンダーを見る限り、西暦は僕達が2年生を過ごした年であることは分かったのだが…教室の光景は、僕達が過ごしていた時とは大きく違いすぎていて、本当にココが僕の良く知る場所だったのかと思えてきた。


「さて、どうしようか?」

「死体を見つけてサッサとオサラバだ。どうせどっかに居るんだろう」

「同感で良かったよ。暗くもないし、探索も楽そうだ」


教室を一回りして、当時自分の席だった場所に戻って来た僕達は、そう言葉を交わすと早速廊下に出て行った。

霧の中の、人気の無い学校と言うのが不気味であることに変わりないが…霧の中の世界に慣れ切ってしまったことや、もっと不気味な暗い学校を探索した事もある僕達からすれば、余り気にならない。


「彩希は何処に行きたいんだ?」

「生徒会室が良い。理由は無いけれど」


廊下に出ても、僕達に打つ手は無いと言っていい。

何時も当てもなく歩き回って、何かを見つけるだけ…

慧も同じだろうから、行先を僕に聞いてきたというわけだ。

だから、僕は放課後に彼と一緒に向かっていた場所を挙げて、そっちの方へと足を踏み出した。


「この時間帯に向かう先って言ったら、ねぇ?」

「こんな状況で、それに4年は前の事なのにな。体は慣れてるもんだ」

「体は過去の僕達さ。そう思えば、僕も君も少し声が違うんだね」

「あー…あー…?俺もそんなに違うか?彩希は、まぁ…分かるが」

「自分の声だからでしょ。ちょっと少年っぽさが残ってるよ」


僕達は歩きなれた廊下を、階段を歩きながら言葉を交わす。

そこに緊張感らしい緊張感は一切無かった。


「しかし、何だって今なんだろうな」


階段を降りて1階に着いた時、慧がふと声を潜めて言った。

僕は少し考えてから、肩を竦めて返す。

答えは持ち合わせていなかった。


「タイミングが良すぎると思ったけれど、葵も一博も見えてたし…」

「じゃ、アイツらは関係ないってか?」

「さぁ?…ただ、僕と慧が起きてあの公園に居るって知れたのは、僕達からの電話を受けたからの筈だ」

「…分かったからこそってのもあるか」


階段を降りて、生徒玄関を越えて…少し細い廊下を歩いていく。

僕達の会話に答えが無いまま、生徒会室の扉の前までやって来た。


「何となく来たかっただけなんだけど、中のソファで一旦落ち着こうか」


途切れた会話を無理に続けようとしないで、僕は彼にそう言って小さな笑みを見せる。

そして生徒会室の扉に手をかけて開き、中に足を踏み入れた。


「変わらねぇ―」


中に入った後、慧はそう言って彼が良く座っていた場所まで歩いていく。

僕はその手前側…ちょっと上質なソファに腰かけてふーっと溜息を一つ付いた。


「ココが現場じゃないのは分かったね」

「ああ…」


互いに椅子に腰かけての、ちょっとした休息。

僕と彼が霧の中で気づく前から、体はあそこで突っ立ってでも居たのだろうか?

座って体を休めてみると、思った以上に僕の足が疲れを訴えていたのが感じられた。

体の疲れがボーっと体から抜けて行くような感覚…


「案外、疲れてたんだね」

「…公園まで、それなりに距離あるからな」

「その疲れ?…今の僕達は若いんだよ?」

「あー…なら、俺らは階段降りて少し歩くだけでこの疲れ具合か?」

「それも変だけど、そっちの方が自然だね」

「気づく前に、何かやってたってか?…」

「さぁ…」


通い慣れた生徒会室。

霧に包まれているとはいえ、周囲には僕と彼以外居ないとはいえ、懐かしさを感じられる光景。

僕と彼は座ったまま、体にたまった疲れが少しでも何処かに消えるまで、次の行動を起こすつもりは無かった。


「ああああああああああああああああああああああああああ!」


「!」

「なんだ今の」


突然響いてきた叫び声が、僕達を霧の中へと引き戻す。

呑気にしていたが、ここは霧の中…誰かが必ず死を迎える世界。

僕達はビクッと体を震わせて直ぐに立ち上がると、声が聞こえてきた方に体を向けた。


「外?」

「校庭の方だ。学校林かも」

「随分な叫び声だったね」

「行くか?」


僕は彼の傍まで歩み寄って、気づけば彼の横に居た。

懐かしさに浸ってる場合ではなく、現実に引き戻された僕は少し体を震わせながら窓の外に目を向ける。

生徒会室から見える窓の外には、良く運動部の生徒がランニングする姿が見えた。

そこは生徒玄関から、校庭につながる通路になっているのだ。


「…いや、慧!あれ!」


窓の外に目を向けていた僕は、霧の向こう側に見えた何かを見止めて彼の気を引く。

慧が弾かれたように窓の外に顔を向けると、窓の外に見えた人影…そのシルエットが左から右に駆け抜けて行った。


「スカートだった」


霧に包まれて良く見えなかったが…

そのシルエットは女子生徒だろう。

制服を着ているらしく…その姿はピクトグラムのようだったが、間違いないと思う。


「走ってたよね」

「生徒玄関に来るか?」

「来たらどうする?」


断末魔の叫び声に、その方角から走って来た人影。

これまでの経験から、僕達以外にも霧の中に取り込まれた"女子生徒"が居ることは明らかで…彼女は人を手にかけている。

その情報が揃っていれば、今窓の外に見えた人影が、今まで僕達が遠目に見えていた彼女であることは間違い無いと思っても仕方が無いはずだ。



そして、そんな彼女と僕達が鉢合わせになったとしたら?


その問いの答えは、僕も慧も持ち合わせていない。

僕達は言葉を失って、黙ったまま物音に聞き耳を立て始めた。


「……」


…少し離れたところで物音がした。

僕は彼に一歩近寄る。


少し後にバタン!と大きな音。

僕達は2人ともビクッと体を震わせる。

ガラスの割れたような音も聞こえてきたから、生徒玄関の何処かで何かがあったと考えて間違いなさそうだ。


そして、しばしの静寂。

僕達は金縛りにあったかのように動けないでいた。


「足音だ」


声を発せたのは慧の方。

彼の声から少し遅れて、コツコツと独特な足音が外から聞こえてくる。

ジッと生徒会室の扉の方に目を向けると、生徒会室の扉は完全に閉まっておらず、少し半開きになっていた。


「……」


僕は彼の腕を突いてそれを知らせる。

彼がそれに気づいて僕と目を合わせると、渋い表情を浮かべて何か言いたげな様子のまま黙っていた。

なんにせよ、もし足音の主がここに入ってこれば…僕達は逃げ場が無いという事になる。

冷静に、絶望的な事実を理解した僕は、彼の腕を掴んで離さなかった。


霧の中に一人分の足音が響く。


僕と慧は立ち竦んだまま、その音がこちらに近づいてくるのを黙って聞いているしかなかった。

そして、ついにその足音は生徒会室の前で消える。

僕達は何も出来ずに、その扉のノブが動く様子を目で捉えているしかなかった。


「……」

「……」


ノブが動き、それからゆっくりとした動きで扉が開かれる。

僕達を包み込む霧がもっと濃くなった。


「ようやく話せる時が来たみたい」


霧と共に現れた…そんな表現がピッタリだろう。

霧を纏いながら現れたシルエットに実体が付く。

現れた人物は、この学校の制服を来た女子生徒で…背も体躯も僕と同じ…髪型も、色こそ黒だが、特徴的な髪型は全く同じだった。


制服を着た女子生徒と言えば、この景色の中に居ても違和感は無いだろう。

ただ、彼女の利き手であろう右手に握られたナイフと…その手や腕…首筋や頬に伝わる第三者の返り血を見てしまえば…どうだろう?

次の標的が僕達であったとしても何もおかしくは無いはずだ。


「さっきのアレで最後だったのよ。"私"が狩るべき人は」


何とも言えない恐怖と共に彼女を見る僕達。

それを意に介さず話す彼女…その声色は何処かで聞いたことがある。

更に言ってしまえば、その顔には十分見覚えがあるものだった。


「空野彩希に影林慧」


彼女が僕達の名前を言う。

僕達はそれを聞いてピクっと眉を反応させた。


「どうして貴方達は15歳の壁を破れたのかが不思議でしょうがない」


反応はすれど、何も言い返すことが無い僕達を他所に、彼女は口を開いて話し始めた。


「何も無い世界だった」


「平和で、何も起きず、貴方達はのうのうと暮らしていた」


「ああ…彩希、貴女は高校を辞めてたっけ。でも、"大した怪我もせず"今を生きているんでしょう?」


「後遺症も残らずに」


ポツリポツリと告げられる言葉。

感情が籠っていない言葉は、この空間で聞くには随分と不気味で…それでいて、不快感を感じるものだ。

僕は少しだけ眉を潜めると、ようやく体のコントロールが自分に戻って来た感覚を感じられた。


「……そういう貴女は誰なの?貴女が僕達を毎回毎回ここに呼び出した張本人かな」


ようやく発せた言葉。

そこには少しの不快感と苛立ちが混じっていた。


「さぁ…」


対峙する彼女は余裕な態度を崩さずにお道化る。

嘲笑うかのような笑みを浮かべて僕のことを見ていた。


「当ててみれば?…空野彩希ちゃん?」


そう言って彼女は左手を上に上げる。

そして、パチン!と指を弾いた。


「な!」

「!!!!!!」


直後、生徒会室の窓ガラスが全て砕け散る。

急な轟音に僕達は目を見開き、背後を振り返って惨状をチラリと見た後に彼女の方へと振り返った。


「アッハハハハハハハハハハ!」


壊れた様に笑う彼女がそこに居た。

俄に信じがたい事が起きているのをヒシヒシと感じると同時に、ココから逃げ出さなければ…という考えが頭によぎる。


「彼が仕事を果たすまでは取っておいてあげる」


笑いが止み、嘲る笑みを顔に張り直した彼女は、右手に持つナイフの切っ先を僕達に向けた。


「イレギュラーな世界の最期は、私達が看取る。貴方達は霧の中に消えてもらわないとね」

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