8.祭りの最中の鳥居下で <後編>
僕と慧は気づいたら霧の中に居た。
またか…という反応を通り越して、最早何も反応すらしない。
ああ、そう言えば霧の中に居るんだな…程度。
父の知り合いがやっている居酒屋で語らっていたのはつい数分前の事なのだが…
この霧の中で思い返してみると、それは随分と前の出来事のように思えた。
「葵と一博が"最近隙が無いから決行するチャンスが無い"って言ってたなら、今日の僕達は隙だらけだったわけだ」
「ああ。アイツらが本当に…黒幕だったんならな!」
「生憎、僕達が受けるようなサプライズネタが無いと思うんだけど」
「俺等の隙が無いとは言ってないぞ?…その前の方に何を言ってたかは聞いてないから知らねぇが」
軽口を叩きつつも、僕達は先程の会話を思い浮かべる。
それは、慧が学校で不意に耳にした葵と一博の会話についての話だった。
「……ま、その一言だけで彼らを疑うのも嫌だし、信じたくもないけどね」
「全くだ。神妙な声だったのは違和感だがな」
「そういう時は大方ツマラナイ勘違いだったりするのさ。僕達がそれだけ精神的にキてるって証拠かも」
僕は霧の中に取り込まれて早々、頭に思い浮かんだ黒い考えを捨てようと敢えて大袈裟に言って気持ちを誤魔化す。
そして、今いる場所と僕達の格好を改めて見回した。
視界に映るのは、先程まで僕達が居た場所の風景。
鳥居に…甚平姿の慧…僕の身体に目を映してみると、今日着ていた浴衣が目に映る。
「ついさっきに巻き戻ったみたいだね」
そう言うと、慧も頷いて同意してくれる。
更に僕は身に着けているものを探ってみると、財布と携帯が取り出せた。
中身を見てみると、携帯は圏外であるものの…時刻は僕達が祭りの中を練り歩いていた時刻であることが分かり…財布の中の免許証を見てみると、ちゃんと"今日の僕"であることが分かった。
今年で17歳になる…1990年生まれの僕の顔が入っていて、名前もちゃんと空野彩希になっている。
「今が何時なのかは分からないけれど、今回の僕達は若返ってないらしい」
そう言って慧に免許証を見せる。
彼はそれを見て小さく頷くと、鳥居の奥へ目を向けた。
「じゃ、こっから先に行けば屋台が出てんのかな」
「どうだろう…違ってたら僕達の格好は何なんだって話になるけど」
「行ってみるか?」
「そうだね。そうしよう…街の方に出てくのは違う気がする」
鳥居の下で僕達は話を纏めると、どちらからでもなく、神社の方へと足を踏み入れる。
舗装されている道は、少し進めば良く踏み固められた土の道へと様変わりした。
「屋台があったとして、無人なのに人の気配がする…とかだったらどうする?」
「下手なホラーよりも怖いな。まぁ、有り得なくは無いだろうぜ」
「その時は…腕を借りるよ」
「どうぞお好きに」
道の真ん中を歩きながら言葉を交わす。
パァン!……
僕達が数十メートルを歩き終えた頃、鳥居の方から何かの破裂音が聞こえてきた。
「わ!」
僕は驚いて慧にしがみ付く。
想定外の音には彼も驚いたらしく、振り返っていたものの少し腰が引けていた。
「なんだ?今の」
「破裂したような音だよね?」
「あー…狐でも跳ね飛ばされたか?」
「人が落ちてきたのかも」
その場から動かずに僕達は互いの顔を見つめ合う。
少しの間、そのまま固まっていたが、やがて僕達は来た道を引き返すことにした。
鳥居の方に引き返して見えてきた光景に、僕達は改めて驚くことになる。
そこにあったのは人だった何かだったからだ。
「…感想、居る?」
「要らない」
余りに想定外。
死体は見慣れてしまった僕達とはいえ、墜落遺体がこうなるとは知らなかった。
普通であれば吐き気が来てもおかしくないだろうに…僕も慧もこの状況に1周周って妙な冷静さを繕う仮面を身に着けていた。
「……鳥居から落ちてこうなるか?」
「まさか。この高さでこうなるなら、世の中の自殺者の9割は自殺の方法間違えてるぜ」
「だよね。この上…何か通ったとか?」
「飛行機とか?…音は何もしてないよな」
慧はそう言って空を見上げる。
僕もつられて上を見たが、鳥居の高さには薄い霧が立ち込めていて、それ以上高くなると空がどうなっているのかすらも分からない。
「……どうする?慧。これを調べてみるかい?」
視線を戻した僕は彼にそう尋ねる。
こんな、ミンチというか…酷い有様になった遺体に手を付けるつもりは毛頭なかったが…
「冗談じゃないぜ」
彼が僕とほぼ同じ気持ちを言ってくれた事で、僕達は再び鳥居の先へと進むことにした。
「こんなのに巻き込まれて思うんだけど…どうして僕達なんだろうね?」
歩いている最中。
僕はポツリと言った。
「殺す側でもあったんだぜ。俺もだけど」
「そうだね。お蔭で現実では絶対にしてはいけない経験が出来たよ」
「常に殺す側なら、俺等が巻き込まれてるってよりも巻き込んだ側なんだが…」
「そうじゃないでしょ?オマケに第3者が居たことだし」
話しながら足を進めて行く僕達の視界に、やがて屋台が並ぶ光景が見えてくる。
想像通り、人気はあるのに人が一人もいない不思議で不気味な光景がそこに広がっていた。
僕は言っていた通り、彼の腕を掴む。
「説明できないのが怖いよね。誰かに操られてるみたいで」
「そいつを見つけ出しても何も訴えられないしな」
「今度、彼女を見つけたのなら話しかけてみようか?」
「人を殺した後でも平気な奴にか?」
「……日本人なら日本語は伝わるでしょ?」
「伝わってもその通りに意味を取ってくれる奴ならいいがな。そうじゃなくて、俺等がここで死んだらどうなる?」
彼はそこまで言ってハッとした表情を浮かべる。
僕は決して伊達や酔狂で話しかけてみる?と言ったわけでは無い事が分かったらしい。
「…あのオッサンもここで死んだのに生きてたもんな」
「だろう?全部は確認できていないけれど、確認した場合、霧の中で死んだ人は現実で生きてる。僕達も例外じゃない可能性は高いよね」
「百じゃないのが怖いがな」
「百に限りなく近いんじゃないかな…そうじゃないなら、地方のニュースになってるよ」
「まぁ…確かに」
彼は納得したような表情を浮かべる。
納得しつつも、まだ納得しきらないというか…納得したくないような感情も混じっているようだが…
「それにしても」
僕はそう言ってもう一度周囲を見回す。
僕が周囲の光景を見て口を開く前に、慧が口を開いた。
「霧が晴れないな。1人の死体が見つかれば、後は待ってりゃ終わるはずなのに」
「……だよね。まだ何かあるのかも…ボーリング場の時は、外に自分の車が置かれてるのに気づいてから晴れたんだ」
「ここで何を見つけろってんだ」
「さぁ…あの時だって、何で僕の車があったのかも分からないのに」
そう言いながら…霧の中、祭りの会場を歩いていく。
このまままっすぐ歩いて行けば、神社に繋がる長い階段が見えてくる頃だ。
「神社にしようか?それとも屋台の続きかな?」
階段が見えてきて、分岐点に差し掛かる。
右手側に行けば、屋台は無くなり、少し急で長い階段を登って神社へと繋がる道へ…
左手側に行けば、これまでと同じように左右に屋台が続く獣道へ繋がった。
「お参りでもするか?"霧の中に来たくないです"って」
「それも良いかも」
「いい加減、誰もいないのにやってそうな屋台を見るのが怖くなってよ」
「ああ…慧がそんなこと言うから、意識しない様にしてたのに」
僕はそう言って彼に体を寄せる。
意識しない様に、景色の一部だと言い聞かせていたのに、彼に言われて意識してしまうと、誰もいない屋台がズラリと並んだ光景は異様に見える。
僕達はそこから逃げる様に神社の方へと足を進め、長い階段を上がり始めた。
急ながらも、よく整備清掃が行き届いていて…それなりに登りやすく感じる。
慧が通っている学校や、近くにある中学校がここの階段を上り下りして体力を付けているというのも頷けた。
「何段あるんだろうこの階段」
「さぁ…」
階段を上がり始めて少し経つと、僕達は口も開かずに黙々と階段を上がることになる。
彼は甚平で動きやすそうな服装だったが、足元は下駄で…僕は浴衣に下駄なのだ。
何時もの格好であれば問題なく話しながら登れるのだろうが、慣れていない格好だと変に体力を使うせいなのか疲れやすかった。
「……」
「……」
この長い階段には途中で踊り場のようになっている場所がある。
そこには神社の掲示板?のようなものと休憩用のベンチがあるだけだったが、それなりの広さがあった。
「ん?」
何故そんなことを言ったか。
それは暫く足元を見ていた僕が、何気なく階段の上…あと数十段と迫ったこれからの目的地の方に顔を向けた時に見えた光景が関わっている。
「慧…上!」
僕は彼の手を引いて階段の端へ急いで退避した。
「なんだ?うお!」
彼は驚いた声を上げたがその直後にもっと驚いた表情を浮かべることになる。
階段の上…中腹の広場から何かが転がり落ちてきた。
「人だ!」
僕は落下してくる進路の外に出たことで、少しだけ落ち着いてその何かを観察できる。
落ちてきたそれは、間違いなく人間だった。
「彩希、上に誰かいるぜ」
僕の一段上で、僕を落ちてくるそれから護ってくれるような立場に立った慧が、"急な落下物"の出発地点を見上げながら教えてくれる。
僕が彼の視線に合わせて広場の方を見てみると、彼の言う通り誰かのシルエットが見えていた。
「……」
「……」
霧の中にはっきりと映り込むシルエット。
それを見ている横で、ゴロゴロと転がっていく人間に僕達は目も触れなかった。
何故なら…そのシルエットは、何処かで見た覚えがあったからだ。
浴衣を着ているであろう、スラリとした体躯のその人影。
僕達を見下ろしているのではなく、掲示板の方を見ているのだろうか?僕達から見て右側を向いていた。
だからこそわかる、独特な髪型のシルエット…それは、今の僕と全く同じ髪型をしていることを示している。
…そこから、そのシルエットの持ち主は、何時か公園で死体を見つけた時にすれ違った、セーラー服を着ている人物と同じではないか?という推察を得ることが出来た。
「話しかけてみようぜ」
彼は小声で僕にそう言うと、僕はコクリと頷いて見せる。
すると、彼は前に向き直って、今日一番の声量で階段の上に居る人影に声をかけた。
「おい、そこの人!今のはどういうことだ!」
霧の中に響く慧の声。
階段上に居た人はその声に気づいてこちらに向き直る。
それと同時に、少しだけ霧が晴れて…人影…彼女の顔がほんの少しだけ見えてきた。
「な……」
「え?…」
僕と慧は見えてきた顔の造りを見て言葉を失う。
そこに居たのは、真っ白い肌を持つ女だった。
真っ白い肌に黒い髪…奥二重のくっきりとした瞳は真っ赤に輝いている。
その顔は僕にとってはありふれた顔で、髪色が違えど毎日見かける顔だった。
「僕…?」
唖然とした表情で僕がそう呟く。
それを聞いてか聞かずか、階段の上で僕達を見下ろしていた彼女は晴れ行く霧の中で嘲笑うかのような表情を浮かべた。
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