梅雨の季節の公園で

7.梅雨の季節の公園で <前編>

ゴールデンウィークの一件も、僕達の間では徐々に風化していった6月の初旬。

梅雨入りが発表されて以来、どんよりとした日が続いていて、今日もそんな日のうちの1日だった。


「コーヒー。今日のは新しい豆で淹れてみたんだ」

「サンキュー」


僕は慧を家に呼んで、何時もの僕の部屋ではなく、第二の自室となりつつある車庫の中で駄弁るだけの休日を謳歌していた。

2人分のコーヒーを淹れてくると、古くもお洒落な意匠のガラステーブルの上にそれを置いた。

車とバイクが置かれたスペースの少し奥…工具類とか機械の類がズラリと並んでいる所の一角にある休憩スペース的な所…今日はココで雨音とラジオをBGM代わりに休日の午後を過ごす。


「子供の頃に見たまんまの格好に戻ったんだな」


コーヒーカップを手にした慧が、車庫の中に収まる黄色い車を見ながら言った。

僕はコクリと頷いて、ほんの小さく得意げな表情を浮かべる。


「ここもただの物置になってたんだから…父さんがZに乗らなくなってさ」


昔の車…父さんの思い出の車であるフェアレディZは、僕が遠い昔に見た時の出で立ちまんまの姿に修復されて車庫に収まっていた。

先月、店長の店に預けてからはトントン拍子に事が進み、あっという間に車検が取れて家に戻って来たのだ。

それからというもの、父さんが偶に通勤で使うようになっていたが…最近、梅雨の時期に入ってからは、まだ雨で乗りたくないとか言って車庫に止まったままになっている。


「良く直せたよな…スゲェよ」

「埃をかぶってもエンジンとかは掛かる状態にしてたし、多少は父さんの手が入ってるからね」

「それにしてもよ、弄れるだけで尊敬するぜ。俺なら先ず壊す未来しか浮かばない」


慧はそう言って手放しに僕を褒めてくれる。

褒められて悪い気はしなかったが、同時に少し気恥ずかしさも感じていた。


「18になったら僕が乗るから、その時は助手席に乗せてあげる」

「楽しみにしとくさ。…といっても、夏の間だけだな…この車に乗れるの」

「そうだね。ま、僕が18になったら何をしているかだなんて皆目見当も付かないから…この車を維持できるようになってればの話だけど」


僕はそう言って苦笑いを浮かべると、丁度雨脚が強まって来たらしく、車庫の屋根に大粒の雨粒が当たる音が聞こえてきた。


「強くなってきたね」

「ああ…早いところ、本題だけは済ませて楽になろうぜ」


慧はそう言って僕の目をじっと見つめてくる。

僕は小さく頷くと、手にしていたコーヒーカップをテーブルに戻した。


「この間の霧の中の話だよね」


怠惰な休日を彼と過ごすもう一つの…そして、今日のメインとなる理由。

それは、この間の爆発騒ぎの直後に僕が巻き込まれた霧の中の世界にまつわる話をすることだった。


「大丈夫なんだよな?調子は」

「ああ…最近ようやく眠れるようになって来たし、問題ないと思うよ」


少しの間はトラウマのようになり、悪夢に悩まされることが多かったから、彼には霧の中に取り込まれた事しか伝えていなかった。

当然、彼はあの場に居なかったし…別の場所で取り込まれた事もないとのこと。

つまり、以前のボーリング場と同じく、あの広場を舞台にする霧の中の世界に取り込まれたのは僕だけだったという事だ。


「ゴールデンウィーク中に4人で遊びに行った薬大海岸の広場が舞台だったんだ」


僕は落ち着いた口調で、ゆっくりとそう切り出した。

雨粒の音とラジオから流れる昭和のヒット曲を背景に…気持ちを落ち着かせながら、それでも彼に伝わるように明確な言葉を選ぶ。


「慧が僕を引っ張ってってくれた休憩所の前に立っていてね、僕はそこから霧の中を彷徨い歩いた」


慧は何も言わず、相槌のように小さく頷くだけ。


「適当に歩いてったら、駐車場に出てね。そこで1台の車を見つけた。あの形、昔のスカイラインだと思う…刑事ドラマに出てたやつ」

「あー……俺に言われてもピンと来ないが」

「そっか。古いスポーツカーがあったんだ。あの空間ではそれが最初の違和感だった」

「誰か乗ってたとか?」

「いや、近くに誰もいなかったけれど…ただ、ボンネットが熱かったから、僕が来る直前までエンジンは掛かっていたと思うんだ」


僕はあの光景の、最初に感じた違和感を思い浮かべながら話した。


「その車の運転席側の地面に変なシミがあって、それを辿って行ったら、死体に辿り着いた。死体を見つけて、暫くたったら霧の中から抜けられたんだけど…」

「だけど?」

「問題は霧の中で倒れていた人物なんだ。死体が問題…今更だけど」

「知ってる顔だったとか?」


慧はあてずっぽうと言うか、少し冗談を含めたような声色で言った。

僕が頷いて見せると、彼は目を見開いて驚いた表情を浮かべる。


「嘘だろ?」

「嘘を言ってどうするのさ。ああ、ただ…名前が違ったよ」

「……名前が?」

「そう。僕が働いてる喫茶店だとか、この前僕だけが取り込まれたボーリング場みたいにさ、人の名前が違ったんだ。免許証を見て確認した」

「因みに誰だったんだ?その死体は」


彼からの核心を尋ねる問いを受けて、僕は少し間を置く。

あの時、簡単な質問を受けただけなのに感じる嫌な感覚が全身を駆け巡った。


「あの警察官だ。僕と慧の所に来た、大柄な」

「ああ、あのデカいの…名前が何て言ったか覚えてないが…」

「亀石って名乗ってたよね」

「ああ…そうだ」


彼は僕が名前を言うと、思い出したように頷く。


「亀石って名乗ったのに、霧の中の彼は石黒って苗字だったんだ」

「……石黒?」

「そう。おかしいと思うだろう?…顔も格好も…格好は私服だったけど、当日の記憶が鮮明なうちに見た、その人の死に顔を見間違えることは無いと思うんだ。免許証の写真だって何回も見返した」


僕は捲し立てる様にそう言うと、慧が両手を上げて僕を落ち着かせる。


「ああ、ゴメン」

「いや、気にするな。誰が彩希の言うこと疑うかよ」


彼はそう言ってから、少し考え込むような素振りを見せる。


「名前が違うってことは…だ」


その考えは直ぐにまとまったようで、彼は声を少し潜めて顔を少し近づけてきた。


「…もしかして、これまで巻き込まれてきた場所にあった名前も何もかもがそうなのか?」

「…と、言うと?」

「この間の中学校の時に見た名簿だよ。あそこにあった名前、別人だって決めつけてたけれど…あれももしかしたら知ってる顔だらけなのかもな」

「ああ……」


僕は彼の考えを聞いて、スッとその考えが体の中に溶け込んでくるような感覚を受けた。


「確かめる術は…またあそこに取り込まれるのを祈るしか無いって事だが」

「霧の中に行くのは…本当に勘弁してほしいけどね…僕も、そのうち…」


僕はそう言うと、少し間を置いてから、目を少し大きく開く。

これを言ってしまえば、自分の中で何かが崩れるような感覚になったが…全幅の信頼を置ける彼をもっと深く信じることにして口を開いた。


「あー…その、何度も何度も巻き込まれていると、そのうち僕が僕であるままに人を手にかけそうでね。焦らされてるような感じが徐々に増してるんだ」


僕が素直な感情を吐露すると、慧は一瞬呆気にとられたかのような表情を浮かべた。

数秒間、僕達は言葉を発さない。

雨粒の音と、80年代のヒットナンバーが車庫を支配していた。


「それって…」

「無性に殺意が湧くんだ。あの警察官にも湧いていた。知らない人なはずなのに」


素直に、隠し立てをせず、彼に気持ちをぶつける。

自分の中の何かが壊れかける一歩手前とはこのことなのだろう。

僕は自虐的な笑みを浮かべて肩を竦めて見せた。


「霧の中に慣れすぎてる自分が怖いんだ。全く理由が思い当たらないのに…何故か恨みのような感情が湧いて出て来て、殺意が芽生える」

「……彩希…」


慧は僕の言葉を受けて、少しのショックを受けているようだったが…何故か彼は不思議と同意してくれそうな雰囲気を繕っていた。

感情を繕わないで「俺もだ」って言ってくれそうな雰囲気。

彼の表情からは、そんな感情が見え隠れしつつも…それ以上に僕の言ったことに対しての困惑が多分に入り混じっていた。


「実は、あの後、警察署にも行ったんだ。あの警察官がちゃんと生きているか確認に」

「え?」


僕は間を置いた後の言葉を聞くのが急に怖くなって、話を強引に推し進めていった。


「生きてたよ。ちゃんと…霧の中の出来事は現実に影響を及ぼさないって確証が得られちゃった」


そう言った途端。

車庫に付いた小さな窓から眩い閃光が照り付けて、同時に派手な轟音と小さな振動が体を貫いた。


「!」

「ヒャ!」


直後に車庫を照らしていた電気が落ちる。

僕は急な雷に驚いて、目の前の慧の腕を掴み取っていた。


「落ち着け停電だ」


彼は冷静に周囲を見回しながら言った。


「ああ…家に直撃したのかな?」

「近場だと思うが…どっかの電柱でもやられたんなら暫く電気無しだぜ」

「…困るな」


彼につられて冷静さを取り戻した僕はそう言ってから、また別の違和感に気が付いた。


「…これは」


僕の視界に入って来たもの…それは、見慣れたくないが見慣れてきた薄っすらとした霧だった。

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