5.出会いの季節の店内で <後編>

「……結局はこうなるか」


僕は体中に嫌な汗をかきながら、目の前の光景を見て呟いた。

ここは、さっきまで笑顔で居られた場所。

僕が普段バイトをしているボーリング場。

窓からは白い光が漏れ出て来ているから、夜ではないはずだが…それでも霧に包まれて、電気のついていない店内は廃墟のように暗い。

慧は傍におらず、僕が気づいた時には行き成りクライマックスの光景が目の前にあった。


僕は息を切らしながら目の前に倒れている男だった物の亡骸をじっと見降ろしている。

彼の顔は最早原型を留めないほどに殴打されている様だったが、何があったのかは周囲に散乱していた複数のボーリングの球についた血が雄弁に物語っていた。

そのボーリングの球を握っていたのは誰なのかは、僕の右手に微かに付いている自分のではない血と体中の汗と疲労感が十分な証拠になっている。


記憶が正しければ、"現実世界"ではとっくに日も暮れた後の時間で…僕は特に何もなく家に帰り、夕食を食べてお風呂に入り、就寝前の数時間を満喫している時間なはずだった。

ラジオを付けて、自分で淹れたコーヒーを飲みながら、積んだまま読んでいなかった小説を読んでいたはずだ。


「疲れはため込むものじゃないね」


僕は目の前の光景をあまり見ないようにしながら、意識的に冷静な声色を使って毒づくと、現場から足早に立ち去って女子トイレの方へと向かっていく。

体中の汗はどうにもならないだろうが、右手に付いた不快な感触のする血だけは洗い流しておきたかった。


バクバクと周囲に居れば鼓動すら伝わるのでは無いかと思えるほどに鳴っている心臓。

僕は左手で胸を抑えながら、血の付いた手で女子トイレのドアを開けて、適当な洗面台の前に立つと無心で水を出して右手を洗い流す。


鏡に写る自分の姿を見ない様に、じっと手元を見ながら血を洗い流し終えると、僕は直ぐにトイレから出て行く。

何時も見飽きる程に見ている建物の中に入るはずなのに、僕はまるで初めて訪れて勝手も分からないでいる客のように周囲を見回して周り、死体からはなるべく遠い位置にある適当なレーンの後方にある待機所のベンチに腰かけた。


ベンチの前にはUFOをイメージしたような筐体に収められた少し特異なデザインの機器が置かれており、そこに埋め込まれたブラウン管のモニターは、レーン上に下げられたモニターと同じようにゲームスコアを表示してくれるものだ。

スイッチ類は、ゲームを続けるか否かとかの操作用…普段も見ていて、先程は使う側として触れていた機器が、電源もついていないで打ち捨てられたような感じで埃を被っている。


僕は頭を抱えてベンチに座ったまま蹲り、体の震えを抑えながら次にどうするべきかを考え始めた。

何度も何度も迷い込んだ霧の中…空間自体には慣れてしまったが、死体をみる事には慣れていないし、何より"また"自分が手を下してしまったという事実と…何処か晴れやかな感情を持っていた僕が居るという事実には耐えられない。

磁石のように反発する本心と理性の間で、僕は自分の殻に籠ったまま暫く動かなかった。


「……」


その間、周囲は物音ひとつせず…僕が動くのを待っているように無音を貫いている。

どうやらこの世界に取り込まれたのは僕一人らしい。

体感で5分…10分…15分と待ってみても、何かが起きる気配はこれっぽっちも無かった。


「動かないと…」


時間の経過とともに、徐々に強張っていた体がほぐれて行くのを実感していた僕は、敢えて独り言を呟いて顔を上げる。

白い光に照らされた、霧の中の世界。

僕は周囲を何度も見まわしてから、ゆっくりとベンチから立ち上がった。


「…ここが何処なのか…だよね」


フラフラと、意識しないでいると気が遠のきそうな立ち眩みを感じながら…僕はゆっくりと普段の仕事場の方へと歩いていく。

死体を見つけて、とっくにこの霧を抜け出す条件も整っているはずなのに、解放されない理由を見つけ出すために…そしてココも、現実とよく似ているだけの別物の世界なのかを確認するために、僕は頭を働かせ始めた。


ボーリングのレーンを幾つも通り過ぎ、職員が働く事務所の方まで戻ってくる。

壁の一面が大きくくり抜かれていて、そこは受付にもなっている事務所。

そこは男が惨殺された現場に程近く、血の匂いが微かに鼻について顔を顰めた。


僕はスタッフオンリーと書かれた扉のノブに手を掛けて、普段から鍵の掛かっていない扉を開けて中に入る。

霧は何処までも一定の濃さでかかっていて、僕は不気味な光景に足がすくみそうになりながらも、目的のために足を止めずに前に進んでいった。


中学校の時と違って今居る建物は職場だから、何処にどういった種類の書類が置かれているか等を調べるのは容易い。


僕は普段立っている受付の方へと歩いていき、レジの置かれているテーブルの下あたりに並べられたファイルを一つ取ってテーブルに上げた。

ファイルの中身は、施設案内の為の資料が綴じられている。

僕はそこに書かれた住所と施設名を探し出すと、何となく思っていた通りの結果を得られて、小さく数回頷いた。


「汐月狛杖3丁目11-1…オウルボウル狛杖…」


資料に書かれていた施設概要の部分を読み上げた僕は、小さく首を傾げる。

住所は間違いなかったが、店名は聞いたこともなかった。

どうやら喫茶店の時と同じ現象が起きていると…頭の中で理解する。


「…他に手掛かりは…?何かあるか」


僕はファイルを閉じて元の位置に戻すと、そう呟いて周囲を見回した。

まだ何か、この空間の、霧の中の世界を知ることが出来るヒントは無いかと目を動かす。


「あ……」


そして見つけた。


時計の下…日めくりのカレンダーを見た時、僕はコレだと直感した。

カレンダーのかかっている所まで歩いて行って、カレンダーを捲ったりして、そして僕は何処か納得が行ったように頷く。


2003年4月12日月曜日。

それが、日めくりカレンダーが示していた今日の日付だった。

その上にある時計を見て、外の明るさと照らし合わせれば、今は14時13分。


僕が生きている現実の時間は、そこから更に4年ほど進んでいるのだ。

今日は2007年4月14日土曜日のはずだ。


「……」


僕は不可解な時を示しているカレンダーを前にして言葉を失った。

この建物が…僕が働くボーリング場の名前が変わったなんてことは起きていないから、昔の名前はコレだったというわけでもない。

何故か僕は別の名前を名乗るボーリング場で目を覚まして、今は僕がまだ中学生だった時代に巻き戻っている。


僕は理解できない事実に背筋がゾッと凍り付いた。

そして、周囲を見回して…ふと窓ガラスに映り込んだ自分の顔を見て更に凍り付く。


「……」


視線の端に入っても気にかけなかったし、意識もしない様にしていたが、今の僕は中学時代のブレザーに身を包んでいて、今朝見た自分の顔よりも数年幼い顔たちをしていたからだ。

慧と中学校に取り込まれたときだけだと思っていたが…どうやらそうじゃないらしい。

今こうして地に足を付けている僕も、中学時代の僕だ。


「ハハ…悪い冗談は止してくれってね」


僕は窓に写り込んだ自分に向けてそう言うと、フラフラと数歩下がってパッと振り返る。

もしかしたら、中学校に取り込まれたあの時以外の全てが、こうやって中学時代の僕になって彷徨い歩いていたのでは?と頭によぎる。


もしそうだったら…?


人を殺していた僕も中学時代の僕だという事だ。

僕に人を殺めた記憶などあるわけないのだが……

霧の中での出来事なのだから、だからどうしたという話だが…

これは大きな発見ではないだろうか?


「…深追いする?…僕らしくもなくさ」


僕は考えが一気に頭の中に駆け巡って、軽い頭痛を感じる様になる。

頭に手を当てて、それでも湧き上がってくる探求心が徐々に恐怖心を上書いていく感覚に身を包まれた。


フラフラとはしていたが、僕は再び歩き始めて…事務所を出て行く。

一度、新しい手掛かりを見つけてしまえば、まだ何かあるんじゃないかと思えて仕方が無かった。


「あの男が何なのか…それとも、中を見て回った方が良いかな」


何かに酔ったような、恐怖心が一周回って麻痺してきたような浮ついた感覚。

気になることが前面に出てきすぎていて、それを客観的に見ている自分はドン引いていても、それを辞めさせようだなんて思わない。


僕は見慣れた景色の中に、唯一の異常として存在する死体の方に再び近づいていく。

血の匂いと、死臭?のようなものが鼻について、吐き気に顔を歪めたが、それでも怯まずに近寄った。


「運転免許証位は持っているでしょう」


男に近づいて行ってしゃがみ込み…衣服を弄りはじめる。

血だらけの頭と違って、首から下は普通の成人男性と変わりない。

僕はジーパンのポケットに入っていた財布と携帯を抜き取った。


財布の中に入っていたのは、幾ばくかの心許ない金額のお金に、運転免許証だけ…

免許証にある写真に映る男の顔に見覚えは無いし、名前に聞き覚えがあるわけでもない。

35歳だというこの男、身なりやくたびれた顔つき、今の所持金から察して、今僕が知りえる情報では、そこまで良い暮らしをしているようには見えなかった。


次に携帯を確認し始める。

電波が立っているはずも無いだろうと思っていたが、その通りで…圏外になるはずもないボーリング場の中だというのに、携帯は電波を捉えていないようだ。

僕はそれを見て、不思議な安心感を覚えつつ、操作できる範囲で男の携帯を弄っていく。

見たかったのは電話帳に、メールの履歴だ。


「…居るんだね。こういう男」


中を見て行くと、僕は男の本性が少し垣間見れたような印象を受ける。

気味悪げに毒づいて、苦笑いを浮かべた。


男の電話帳に載っていたのは、誰かもわからない人間の名前だらけだったが…

メールの履歴を見て男が真面な人生を歩んでいないという事は何となく理解できた。

夜の仕事だろうか?…はたまた無職か、何かツテがあるのか…

携帯に残っていたメールには、これを持って警察に行けば十中八九捕まえてくれそうな内容がズラリと並んでいた。


…どこそこの女が良かったとか、すれ違った子が誰なのか…とか

そんな内容のメールが並んでいて…時折短い動画や画像のやり取りも見受けられる。

最初に開いた画像が見覚えのある制服が割かれた姿だったから、僕はそれ以降のファイルを見ていないが…

気分が悪くなったことだけは確かだ。


「……恨みは買いやすい人間だった…と」


携帯と財布を亡骸の傍に投げ捨てた僕は、そう言って死骸に踵を返す。

一人だけで取り込まれた霧の中…男の死体と、僕がやってきたことを除けば…徐々に居心地が良いように思えてきた。

……前者二つが僕の気持ちを揺るがしていて、未だに足は小刻みに震えているが…それでも、何も出来ずに蹲っていた時よりは大分落ちつけている。

心の平穏とは程遠いが、それでも最近の張り詰めっ放しだった時よりは随分と楽だった。


「出よう…」


僕は出口の方へと歩き出す。


これ以上、ボーリング場を彷徨っていても、得られるものは無さそうだったから…

だから、これまでは試さなかった"建物の外"に出るとどうなるのだろう?という疑問を晴らしたかったのだ。


ゆっくりと、出口に向けて足を進めて行く。

外に近づいて行っても、僕に纏わりつく霧の濃さは変わらない…それは、これまでに経験した世界と変わらなかった。


ついに自動ドアを潜り抜ける。

中学校に取り込まれた時以来の外…あの時は非常階段を降りただけだったが、こうやって、ちゃんと建物の出口から外に出たのはこれが初めてとなった。


「……変わらない、か」


何も変化が起きない事に、僕は少し残念がりながら呟く。

霧に包まれた街…駐車場ですら少しボヤケて見える視界の悪さ…僕はじっと目を凝らして、周囲の景色を見回した。


何か変わったことは無いか?

何か僕に関わることは無いか?


霧の中で、僕は答えになるかも分からない事を求めている。

何も見つからなければ、何時までも霧の中に閉じ込められそうだ。


「……ああ」


そして僕の目はようやく何かを見つけ出した。

駐車場の隅に見える1台の車。

見慣れた流線型の車体…黄色いそれを見止めた時、僕の視界は急に眩い光に包まれる。


「正解…か」


僕は眩しさに目を閉じながら、小さくそう呟いた。

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