2.吹雪の中の喫茶店で <後編>

家の周りを除雪しても、次から次に降り積もる雪の勢いは衰える様子が無い。

母と一通り家の周り除雪した後は、早めに家の中に退散して自室に戻った。

パソコンを付けて、適当に棚の中から取ってきた映画のDVDを読み込ませる。

パッと画面が切り替わって、始まったのは古い洋画だった。


「……」


持ってきたコーヒーのカップを机に置いて…ボーっと画面を眺めるだけ。

映画の音とは別に、窓を叩く大粒の雪と風の音が耳に入ってくる。

僕は急にできた空き時間を有効活用出来るほど出来た人間じゃない。


「……」


だが、映画がまだ序盤という頃…僕は急に暇じゃなくなった。

部屋の椅子に座っている僕の周囲が霧に包まれていく。

3度目となると、最早焦るよりも今回は何が起きるのかが気になるようになってきた。


「ん?」


霧の中で僕が呟く。

何時もなら目線が映画館のスクリーン替わりで、僕は自分の意志と関係無しに動き出すはずだったのに、今回は違った。


右手を上げようとすると右手が上がる。

周囲に首を動かすと、首が動く。

僕は自分の体の操作を失っていなかった。


「え?どうして…」


僕は周囲の事を気にせずに呟く。

3度目、驚くこともないだろうと思っていた霧の中。

自分で動けるようになったとあれば話は別だ。

僕は心臓が早鐘を打つのを感じながら、周囲の光景に目を向けた。


ここは、どうやら何処かのお店の中らしい。

さっきまで働いていた喫茶店とよく似ていたが…それは雰囲気だけだった。

カウンター席があって、ボックス席があって…僕は適当な席に置かれていたメニュー表を取って開くと、ココが喫茶店であることを知る。


"喫茶メープル"


メニュー表に書かれていた店名にも身に覚えがない。

が…出しているものは僕の居る店とよく似ていた。

メニュー表を置くと、再び周囲を見回して歩き出す。

霧の中…今まではただの傍観者でしかなかったから、歩き回るのにも少し勇気が要る。


理由は簡単だ。

この霧が晴れる時、それは何処かに居るはずの他人を惨殺した後だから…

今は人の気配など一切感じない…でも、ここに居ないという保証もないわけだ。

僕は周囲を見回しながら、深い霧の中で暗中模索を続けながら、背中に嫌な汗を感じ出す。


僕がここを抜け出すために人を殺す気は無い…が、何時も殺されていた彼らが僕に襲い掛かって来たとしたら?

それが…彼らの脱出条件だったのだとしたら?

その時、もしも僕が殺されたとしたら…僕はどうなる?

もし…家で映画を見ていただけの僕が、こんなところで殺されたら…


考えれば考える程、泥沼に嵌っていく感覚。

僕はそんなに広くない店内を既に2,3周は回っていた。


時計を見ると、時計は2時半過ぎを示している。

霧を避けて店の窓の外を見ると、窓の外はさっきまで居た自宅の窓から見た景色と同じ吹雪模様。

空の暗さ的には、きっと夜なのだろう…そして、車も人も通っている気配が無いという事は深夜なはずだ。

窓からの雪明りのおかげで店内の景色が見えている状態…?いや、違う…雪明り以外にも、非常口を示す明かりや、何処で光っている電子機器のLEDのお蔭で、真っ暗な状態ではないだけらしい。


意味が分からない。

僕が居たのは昼過ぎの自宅…自室だったのに。

今は何時でここは何処で、なぜ僕がここに居るのだろう?


僕は店内から、カウンターの奥に足を踏み入れる。

あのまま店内に居ても、何となく良いことは無さそうだったから…

それにしても、霧の中…訳の分からない空間とはいえ、見ず知らずの店のカウンター奥に入るのも少し気が引ける。

そっと、恐る恐る奥に進んでいくと、バイト先のように厨房と従業員だけしか入れない部屋への扉があった。


「……」


厨房の方を覗き込むと、真っ先に目についたのが、食パンなどを切る大きな包丁。

僕は暫くの間それを眺めていたが、以前の傍観者でしかなかった頃に感じた嫌な感覚を思い出して首を振った。

何度も何度も切りつけている間に、切れ味が鈍くなり…やがては肌身をすりおろすようなあの感覚は、もう二度と味わいたくない。

僕はそう思いながら、もう一方の方向にある扉のノブに手をかけた。


「……」


少しだけノブを回すのを躊躇してしまう。

それでも、霧に包まれた店内や厨房をもう一度見回せば、何も進展が無さそうなのは明白だった。

それを何度も何度も、目で追って確認しては深呼吸を一つつく。

大人しく、動かずに店内の席で座っているのが正解に思えてくる中で…動かなければずっとこのまま霧の中に閉じ込められてしまうのではないかという感情が渦巻いていた。


何も起きませんように…!


そう願いながらドアノブを捻る。

すると、ドアの先からは明るい光が漏れ出てきた。

そのままドアを開けると、幾つかの扉と階段がある廊下に出る。

電気は付いていて、眩しさに一瞬目を瞑った。


僕は一番奥に見える階段と裏口の扉を見つつ、ゆっくりと廊下に足を踏み入れる。

奥に行くまで扉が2つ。

きっと何らかの部屋なのだろうが…頼むから何もで出て来て来ないでくれよと思いつつ、一歩一歩奥に足を動かし始めた。


木の床がゴト…ゴト…と一歩進むたびに鈍い音を出す。

僕はその音にすらビクビクしながら恐る恐る前に進んでいった。


ガタッ!


「!!」


廊下を半分ほど進んだ時。

すぐ目の前に迫った扉の奥から突如なった音に僕は心底驚愕する。

最早表情を取り繕う事は諦めた。

どんな顔をしているかは分からないが、僕は壁に飛びついてヘナヘナとしゃがみ込む。

全身が一気に震えだして、音がなった扉の方をじっと見つめていた。


バン!バン!バン!


「ヒィッ………」


何かを叩く音に、僕は涙目になりながら縮こまった。

その音はずっと鳴っている。

まるで僕が近くを通ったから鳴り出したかのように。

時が経つのも忘れ、廊下のド真ん中で震えてしゃがみ込んでいる間…その音は規則正しく鳴り続けた。


本当に、夢なら醒めて欲しい。

僕はガタガタと震えながらその音が鳴りやむのをじっと待つ。

心臓の鼓動と、震えと、極度の緊張…最早目の前の光景も、音も何もかもを感じ取るのが出来ない状況…

そんな中で、頭の中に浮かんだのは「助けて」の言葉だけ。

それも声に出ることが無く、僕は壊れたロボットの如く床にへたり込んで震えるだけだった。


「!」


次に聞こえてきたのは、何かが殴打された音。

感じたのは、何かが床に倒れた感触。

僕は目を思いっきり見開いて音が鳴った扉を見つめていた。

何か居るのは間違いない。

僕はその扉の向こう側に居る何かに、これ以上にない恐怖を覚えた。


扉の向こうの存在が音によって具現化されていく今。

僕は少しだけ頭を使う余裕を取り戻せた。

体は相変わらず震え、言葉も出せないから…頭を使って考えることが出来るようになっただけ"一番最悪な未来"を迎えた時の苦しみが増えたという事なのだが…


僕はじっと扉を見続ける。

静寂が戻って来た所で、再び鳴るのは誰かの足音。

その音は確実にこちらの方に近づいていた。


扉のノブが回される。


僕は目を閉じることも出来ずに、半泣きの顔で扉が開くのを見届けてしまった。

部屋の奥は暗い部屋で…そこに一層黒く見える人の影が1人分。

僕はその人影に色が付いて、黒い影でしかなかったそれがハッキリ見えた途端、フッと意識が遠くなった。


「……」


「!!」


ビクッと体を震わせる。

気が付くと、僕は椅子の上で…目の前にはパソコンのモニターから洋画が流れていた。


「夢…?」


僕は頭を押さえて周囲を見回す。

映画は結構進んだところで、窓の外は相変わらずの大雪。

パソコンの時計を見ると、今は1時34分であると示されていた。


「夢にしては、趣味の悪いものだね」


自室で独り言を呟きながら、僕は自分の体を見て回る。

あれだけ嫌な汗に濡れ、震えていた僕の身体は何処にもそんな痕跡が無かった。

私服のまま…汗一つかいていない。

それから周囲を見て回ると、スマホに何かの通知が来ている以外に変化は無かった。


「疲れてるのかな…?」


洋画を消して、パソコンをシャットダウンさせ…スマホを持った僕はベッドに寝転がる。

スマホを開いてみてみると、1月ほど前に会ったっきりの葵からメッセ―ジが届いていた。

それと…随分と珍しく、その1月前に会いそびれた幼馴染からの着信が1件…つい数分前の事だ。


僕は葵から来たメッセージに適当に返信すると、もう一方の不在着信をどうするか考える。

正直言って、今の精神状況で彼と話せる気がしない。

彼のことだから、きっと僕の声色一つで何かを察せてしまうのではないだろうか?

昔から、変な所で鋭い男だったから…


「……」


「……いや」


僕はじっと画面を睨み続け…やがて諦めたように折り返しの電話をかける事にする。

会わずに、極稀にメッセージをやり合う位だった最近の中で、電話してくるだなんて彼にも何かあったのかもしれない。

自分勝手な都合で着信を無視するのも、何も知らない彼には悪いことだと思えた。


「……あ、もしもし?」


数分前に来た着信の折り返しだったからか、2回のコールで繋がった。


「彩希か?」


電話越しに、暫く聞いていなかった顔なじみの声が聞こえてくる。


「そう。久しぶりだね」

「確かに、久しぶりだ」

「さっきはゴメンよ、少し寝ていたようでね…起きてみたら電話が来てるんだ。焦ったよ」

「ああ…大丈夫、バイトだと思ってたけど、そうじゃないんだな」

「うん。昼で店を閉めてね、今は家に居て暇してる。そっちは?」

「俺も似たようなもんだ。半ドンになって昼前には帰ってこれた。凄い雪だもんな」

「全くね……」


僕は適当な世間話に頃合いを付けようと、咳払いを一つつく。


「それで…何か用事があったかい?」


何時ものように、何時もの僕達の距離感で、何気なく尋ねた。


「あー…そうだな。用事があったっていえばその通りだ」


彼は歯切れ悪く答える。

大抵の物事をサッパリと片付け、物事をストレートに言い表すことの多い彼にしては珍しいことだった。


「悩み事?」

「そんなもんだ」


僕が適当に話の方向を振ってみると、彼は即答で肯定する。

僕は目を少し見開いた。


「珍しいね。それに電話でなんて」

「あ…ああ。電話ってのも、そう…あんまりやりたくないんだよ。かといって文でってのも…さ、それで、どっかで会えないかなって」


僕はキレが戻らない彼の声色を聞いて、眉を潜める。

偶に掛けてきたと思えば、随分と彼は悩んでいるらしい。

普段のクールな彼を知っているからこそ、僕は彼のことが心配になってきた。


「成る程?今日は…家が近いって言っても無謀だね。来週の平日、そっちの学校が終わったら会おうよ。確か部活やって無かったよね?僕のバイト上りの時間と被るだろうし、駅で落ち合ってさ」

「そっからは適当にって?

「そう。なるようになるでしょ?」

「ああ…助かる。急に悪いな…」


彼は徐々に元の声色に戻っていく。

僕は不思議に思いつつも、小さく口元を笑わせた。


「良いよ。それなら、来週のどこかで…都合のつく日に連絡してくれる?」

「分かった。多分、火曜か水曜だと思う。頼んだぜ」


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