第10話「いいでしょう。五人倒してみせます」

 翌日、水曜日の放課後。

 俺は将野先生に連れられて市立睡蓮高校の剣道部の面々と会った。

 練習場である体育館で胴着に着替えた総勢十五名の剣道部員。

 中学校のときは、三十人くらいの大所帯だったから少なく思える。


 角谷先輩と飛田先輩しか顔を知らないし、向こうもいきなり来た俺を歓迎する空気ではなかった。

 どう見ても厄介事を持ち込んだ疫病神のような目を向けている。


「ええっと。それじゃあね、高橋くん。自己紹介しなさい」


 将野先生が困った顔で俺に促してきた。

 俺はすっと頭を下げた。


「高橋歩です。今日から剣道部に入部しました。よろしく――」

「ちょっと待ってくださいよ。俺はこいつの入部は認められません」


 そう苦言を呈したのは、角谷先輩でも飛田先輩でもなく、見知らぬ生徒だった。

 多分俺より年上で、色が白くて糸目だった。賢いというよりずる賢そうな顔つきだった。


「月山。そういうことを言うんじゃない」

「角谷。俺は真面目に言っている。聞くところによると、こいつのせいで強豪校と戦わないといけないんだろう? なんで大勢の前で恥をかかないといけないんだ?」


 どうやら月山という名で三年生のようだ。

 将野先生は「き、君たちの気持ちはよく分かる……」と剣呑な場を収めようとする。


「だけどもう決まったことだ。だからこそ今から練習して――」

「俺たちが必死こいて練習したどころで、勝てる相手じゃないでしょう」


 あくまでも反対する月山先輩。

 さらに続けて言った。


「俺たちは全国大会を目指して戦っているわけじゃない。楽しむために剣道部に入部しているだけなんです」

「……それは、分かるが」

「それがスポーツ推薦で高校行くような奴らとまともに戦えるとは思えない」


 要は戦いたくないし、恥もかきたくないということか。

 なんて情けない……


「高橋くん、君、何か意見を――」

「ま、普通に戦ったら負けますね」


 将野先生が言い終わる前に、俺は言葉を発した。


「戦う前に負けを認めるような心では、負けるに決まっています」

「……なんだと?」

「だから弱小校と呼ばれているんですよ。あなたたちは」


 俺は月山先輩だけではなく、他の部員にも言い聞かせた。


「強くなりたいと思わないのなら、なんで剣道をやっているんですか?」

「だから、楽しみたいだけだよ」

「勝ったほうが楽しいに決まっているでしょう」


 俺の指摘に月山先輩は「一昔前のスポ根かよ」とぼやいた。


「はっきり言って、俺はそこまで強くなりたいとは思わない」

「…………」

「強くなりたいお前と楽しみたい俺。見解の相違だな」

「違います。あなたと俺の違いはそんなんじゃない」


 俺はばっさりと袈裟切りするように言ってやった。


「あなたの剣道は逃げや現状維持。俺の剣道は一途な向上心ですよ」

「……随分立派なことが言えるな。片腕がないくせに」


 言いにくいことをあっさりと言う。見守っていた部員たちは思わず月山先輩を見た。

 それに構わず、月山先輩は続けた。


「片腕のない剣士が、まともに戦えるとは思えない。お前の無謀な考えで、俺たちに恥をかかせるつもりか?」

「まあ、恥にもいろいろありますね」


 俺はおろおろする将野先生の横にいながら、無表情の角谷先輩と飛田先輩を見つつ、月山先輩に言う。


「戦うことを放棄して、楽しむためという題目に隠れて、努力もしない姿勢は恥そのものだと思いますよ」

「――っ!」

「少なくとも俺は、片腕になったとしても、戦うことはやめないし、障害という題目に隠れないし、強くなる努力は続けます」


 月山先輩は目に見えて怒った表情をした。

 その様子を見て飛田先輩は「おい高橋。てめえ先輩に向かってその口の利き方はねえだろ」と叱った。


「ちったあ先輩に敬意を払えよ」

「……すみませんでした」


 素直に謝ると、今度は角谷部長が「では、こういうのはどうだ?」と提案してきた。


「そんな大口を叩くなら、俺たち剣道部と戦ってみろ。そうだな、月山を大将にして五人出そう。もし五人倒したら、部員は文句言わずに従ってやる」


 力を示せというわけか。

 俺は頷いた。


「いいでしょう。五人倒してみせます」



◆◇◆◇



 五対一の勝負。

 それは圧倒的に俺が不利な勝負だった。

 相手は体力の温存など考えず、ただ必死になって俺から二本取らないといけない。

 加えて疲労もない万全な状態で臨める。


 ということはつまり、俺は速攻で五人倒さなければならない。

 しかし、相手の動きを見る限り、いけそうな気がしてきた。

 大将の月山先輩まで体力と気力は持てば良いが……


 先鋒の清水は気合十分らしく、面の外から俺を睨みつけていた。

 林と同じく現状維持派なんだろう。


「一本目――始め!」


 審判の角谷先輩の声で試合が始まった。


「やああああああ!」


 声をあげる清水に俺はどうも違和感を覚えた。

 ……まったくの隙だらけだった。

 板崎さんと正対しているときと大違いだ。


「…………」


 俺はわざと面に隙を作った。

 すると待ちかねたように清水は面を打ってくる。


「胴ぉおおおお!」


 その面が当たる前に、俺は清水の胴を打った。いわゆる抜き胴である。

 残心をして角谷先輩の「一本!」という声がかかった。

 どよめく部員たちだったが、俺にしてみれば簡単すぎた。

 何の歯ごたえもない。


 結局、次鋒の金井、中堅の火口、副将の木林を倒し、あっという間に大将まで来た。

 月山先輩の顔が引きつっている。


「…………」


 無言のまま、月山先輩がぎこちない動きで試合位置まで来たのを見る。

 そして――


「面あり! 勝負あり!」


 これまたあっさりと倒してしまった。


「くそ! 相手は片腕なのに……!」


 悔しがる月山先輩に「これで従ってくれますね」と言う。


「必死に竹刀振って、必死に稽古してくれれば、強豪校と言っても――」

「お、俺は、剣道部を退部する!」

「……えっ?」


 予想外の言葉に体育館が静まり返ってしまった。

 飛田先輩が「おい月山! 何言っているんだよ!」と止めた。


「後輩に命令されるくらいなら、やめたほうがマシだ! それに受験もある!」

「だからって――」

「みんなだってそうだろ!?」


 月山先輩が皆に向かって喚いた。


「みんな楽しみたいから剣道やっているんだろ!? それにつらい練習しても、勝てるわけないんだぞ!」


 見守っていた角谷先輩が「月山! やめろ!」と怒鳴った。


「てめえ一人でやめるなら、やめてもいいが、他の部員を連れる真似はすんな!」

「う、うるさい!」


 部員たちの動揺が広がる。

 月山先輩がキッと俺を睨んだ。


「お前のせいで……! 今まで楽しかったのに!」

「…………」

「とにかく、俺は抜ける! 精々、恥をかくんだな!」


 月山先輩がおろおろする将野先生の隣を通って、出て行ってしまった。

 部員たちがざわめく中、角谷先輩は「……面倒なことになったな」と言う。


「とりあえず、今日は解散だ。掃除が終わったら各自帰っていい」


 角谷先輩はそのまま月山先輩の後を追った。

 説得するつもりなんだろう。


「……あーあ。これどうなっちまうんだ?」


 飛田先輩が呆れたような声で言う。

 俺もまさかこんな展開になるとは思わなかった。



◆◇◆◇



「それで、結局どうなったの?」

「十五人いた部員が四人まで減った」


 日が変わって木曜日。

 俺は屋上で鈴木と話した。

 鈴木は肩を竦めて「その月山って先輩、結構人望あったんだね」とくすくす笑った。


「でも月山先輩の言っていることも分かるよ。趣味や合間時間で運動したいだけの人も一定数いるし」

「みんな、強くなりたいから稽古していると思ってた」


 鈴木は落ち込んでいる俺に「思い上がらないでよ」と厳しく言った。


「誰も彼も、自分と同じ考えだと思わないで」

「…………」

「そういうの傲慢って言うんだよ」


 説教されるのは当然だから受け入れよう。

 だが聞きたいことはそれではない。


「俺を入れて五人しかいない……どうするか……」

「その五人で頑張るしかないよ。五人だったら試合に出られるでしょ」

「そりゃそうだが」

「弱音吐かないの。さあ、頑張って」


 前向きというより、後が無いよと言っている鈴木。

 まあ背水の陣で臨むしかないと改めて思った。

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