第 4 話 お忍び家庭訪問

 今回の訪問には、冬野君も同行する事となった。


 名付け前の形容し難い者達を見る事が出来ない彼には、今まで基本お留守番をお願いしていた。もし、形容し難い者が攻撃的であった場合、姿が見えない彼は大変危険だからだ。


 多くの場合、彼らは大人しく、人間に不利益を齎す事象を起こしていたとしても、こちらが対話を試みれば素直に応じる。彼らは危険な存在ではなく、共存が可能な存在だ。人に依っては、形容し難い者とは精霊を指していると表す。形容し難いのはその姿形のみであると。


 しかし、人に名付けられる前に自我が芽生え、自ら己の名付けをした者は暴走しがちだ。それがどう言った理由で起きるのかは不明だが、曰く、社会性を知る者が名付ける名には、自ずと社会の内で生きる事を前提とした性質が付与されるが、先の場合にはそれがないので、歯止めが効かず、欲望のままに荒れ狂う、と言う事だ。


 唯の名付けで性質が左右される位には、不安定な存在なのだ。名付けられなければ、一部を除く人の目に映る事もない。しかし、それが弱さを意味するとは限らない。


 私は比較的穏便なやり取りしかした事がないが、中には多くを殺め、冠水の町にある監獄に捕らえられている者もいると言う。


 だが、今回は絵里さんの動向が気掛かりであるので、見る目を増やした方が良いだろうと思ったのだ。呪いという、目に見えない事象が発生しているそちらは私が対応する他ないが、明確な対象は時計だけであると初めから分かっていれば、ある程度の目処はつく。しかし、対人間に於いては別である。


 彼は細かい所に良く気が付くのだ。それに何度助けられたか分からない。


 美月さんは、絵里さんと私達が遭遇したら、絵里さんが私達を追い返すだろうと考え、鉢合わせしない様にセッティングしてくれるとの事だが、私としては彼女の様子を見てみたい。


 呪いという言葉のせいで、これは形容し難い者か幽霊によるケースだとばかり思っているが、そうではない可能性も勿論ある。思い込みであったり、病気、外的要因、様々な可能性はまだある。幽霊の正体見たり枯れ尾花と言う言葉もある。


 さて、最寄駅に到着し、そこからバスに揺られ十分程、降車して歩く事五分程だろうか。目的地は閑静な住宅街にあり、呪い等とは無縁そうなごく普通の一軒家であった。


「なんか、思ってたよりも普通ですね。もっとおどろおどろしい雰囲気かと思っていました」

「そんな物だよ。家の中って外から分かんないからね。でも、土地のエネルギーの流れの上にこの家は建っている様だ」

「じゃあ、そこから何かが入り込んだ可能性もありますね。あ、こちらに歩いて来る、あの制服の子が佐原美月さんでしょうか」

「本当だ」


 冬野君の視線の先を見ると、こないだと同じ制服を着た美月さんがこちらに気付き、手を振りながら近付いてきた。恐らく、学校帰りなのだろう。


「すいません、お待たせしてしまいましたか?」

「いえ、我々も丁度今到着した所です」


 彼女の足が止まったのを見てから、彼を指差した。彼女は素直に指の先を見た。


「初めに紹介しますね。彼は私の助手の冬野君です」

「初めまして、僕は冬野と申します。宜しくお願いします」

「初めまして。私は佐原美月です。今日は宜しくお願いします」


 二人がお互いに会釈をする。若い子が礼儀正しいと、無性に嬉しくなるのは何故だろう。


「今日はお母様は?」

「家にいます。あ、祖母の家じゃなくて、私達が普段暮らしてる方の家に。歩いて十五分位かな。無理矢理今日は外出禁止って事にしたので、こっちには来ないと思います」

「成程」


 強引な手ではあるが、家族同士なら通用する物なのだろうか。取り敢えず、当面は家の調査に集中出来そうだ。


「では、こちらに」


 美月さんが門の前に自転車を停める。そして、小さな門を開き、中へと私達を誘う。


 玄関の周りは綺麗にされているが、人の出入りが少ないからか雑草が周りを囲む様に茂っている。丈はそれ程高くないから、手入れは定期的に行っているのだろう。


「失礼します。」と口の中で呟きながら、敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間、ぞわぞわとした悪寒が背筋を走った。


 それは肌の表面を覆っていき、次第に刺す様な感覚へと変わっていった。美月さんの後を歩きながら後ろを振り返ると、冬野君が不思議そうな顔で私を見た。まるでこの世の物と思えない、この独特な異質なる感覚を感じていない。やはり、これは形容し難い者が関わっていると見て違いなさそうだ。


 かちゃりと玄関扉を開き、美月さんが中に入る。私も恐る恐る中へ入った。


 中は殺風景であった。遺品整理で片付けられているとは知っていたが、物は全くなく、そのまま次の住人に引き渡せる様な状態だった。


 玄関入って手前右に上へ繋がる階段があり、左手側には恐らくリビングへの扉がある。廊下の奥にあるのはトイレとバスルームだろうか。


「何もないですね」

「誰も使わないから売りに出すらしくて、今はもう何にもありません」

「あそこは?」

「あそこはトイレです。隣が洗面所とバスルーム。この左はリビングとキッチン。二階の二部屋は物置で、元々は子供部屋だったらしいです」


 冬野君の問いに、美月さんが指差しをしながら案内をしてくれる。


 一階の玄関からすぐ左の戸を開けると、リビングに行き当たった。家具の一つもない部屋はやけに広く感じられた。だけど、そこで行われていた営みの形跡が微かに残っている。そして、それが何かと混ざって、酷く澱んでいる。


「こっちが、和室です」


 リビングとの間にある間仕切りを端に寄せると、奥には古い畳の敷かれた和室があった。広さは八畳と床の間。


 この部屋が一番澱んでいる。リビングで感じた澱みは、和室から流れ出た物なのだろう。


「それで、あれが例の時計です」


 彼女が指差した先。


 振り子が揺れていた。


 それはカチコチと音を鳴らしながら動き続けていた。


 シンプルな造りである。上部に数字の書かれた盤が三箇所の小さなネジと、真ん中に嵌められた針によって固定されている。


 その下部には硝子の蓋が、開閉出来る様に蝶番で取り付けられていた。その中には先が丸い、金属の振り子が仕舞われている。


 所謂アンティーク時計と呼ばれる物だろう。味のある年の取り方をしていたが、振り子は規則正しく左右に揺れており、針もちゃんと時間通りに動いている。


 私はそれを見て、疑問を覚えた。


「ちょっと失礼します」


 時計に少し顔を近付けてみる。何か怪しい仕掛けが隠されている事もない。てっきり、この時計に全ての原因があるとばかり思っていたが、其処にいたという気配はあれど、本体がいない。いないが、違和感の様なものがある。言語化出来ないレベルの違和感だ。強いて言うなら、本体が残したとは思えない程の、微量なとても薄い痕跡と言えば良いだろうか。


「無食さん、其処に?」

「今の所、いなさそうだ」

「いる、とはなんですか?何がいるんですか?」

「ええっと、今回の時計の呪いの、呪いを引き起こしてる原因が時計の中にいるかの確認です。無食さんにしか見えないんです」

「幽霊みたいなものでしょうか」

「そういうご認識で大丈夫だと思います。僕も見えないので、実際の所は分からないのですけど」


 振り返ると、二人が立ったまま話している。興味津々で時計を見ているが、どこか不安げだ。この澱んだ和室に長居するのも良くなかろう。


「お二人共、一旦こちらに」


 彼らをリビングに誘導する。素直に彼らはリビングへと向かう。


「お二人にお訊きしますが、この家でも部屋でも、何か違和感とか不思議な事とかないでしょうか。感覚的なもので構いません」


 私の問い掛けに、二人は目を合わせる。

 冬野君が直ぐに口を開いた。


「何だか落ち着きません。人の家だし、伽藍としてるのもありますけど、それとは別に、此処に居座るなって気配みたいなのを感じます。はっきり感じたのは和室に入ってからです。今も感じます」

「わ、私は逆に此処に居たいなぁと思います。でも、ずっと誰かに見守られている様な感覚もあって、ちょっと気持ち悪いです」

「分かります。僕も見られている感覚があります。見守ると言うより睨まれてる様な」

「でも、以前母を迎えに来た時は、単純に居心地が悪かったです。何で、今はあまり感じないのかな」

「なるほど」


 私は和室の時計の前に立ち、時計に目を向ける。二人は二人なりにおかしな点を洗っている様だ。


 彼らも感じていた。私も睨め付ける様な視線を家に入る前から感じていた。不機嫌な人間の側に居るみたいに、じわじわとこちらの元気が削がれていく様な負のエネルギー。


 それは何処から発せられた視線なのだろう。


 振り子が揺れている。


 それではない。恐らくは。


 澱みは確かに和室からだった。また、美月さんが最初に来た時と、今来た時とで受ける印象が異なるのも気になる。


 私は、賀田さんから聞いた時計の話を、必死に思い返していた。形見の品。壊れて破棄される。ところが十年後にそれが突然和室に現れる。やはり、キーポイントは時計としか思えない。


「幾つか気になる事はあるんですが、見た限り、時計の中には何もいませんでした。それは今いないだけなのか、決まった時に現れるのかどうか。それと」


 と話し始めた所で、玄関の方から扉の開く音が聞こえて来た。玄関とリビングは近いので、靴を脱ぐ音すら聞こえてくる。


「え、お母さん?」


 と呟いて、彼女は駆け足で玄関へと向かう。私達はこっそりとしながら、廊下側に向かった。扉の手前で一旦止まり、様子を見る。


「お母さん、家に居てねって言ったじゃん!」

「それより誰をこの家に上げてるの。此処は家族以外は入っちゃいけないんだよ。一体誰なの」

「何それ」

「探偵です。お邪魔しております」


 玄関に並んだ見知らぬ靴を見れば、どう足掻いてもバレるだろうと、玄関に出た。乱入者の正体は、声からして絵里さんだった。


 絵里さんはの状態は想像以上に酷かった。土気色の痩せた頬、窪んだ光の無い目、全身も痩せている。何より纏う周りの空気が重い。生命力が奪われる様だ。その様は、賀田さんに似ていたが、賀田さんよりも軽いと思われた。


「もしかして、探偵さん?一度お断りしたじゃないですか」

「私がもう一回確かめて欲しいとお願いしたの。お父さんともちゃんと話して決めたよ」

「なんでお母さんに言わないの」

「言ったら絶対反対するから」

「そんな事ないわよ」

「みんなね、お母さんが心配なの。様子おかしいし、気味が悪いって言ってた家にずっと居たり、おかしいよ。会話もしなくなっちゃったしさ。大好物のお菓子買ってたの忘れるし。顔色も悪いし、どんどん痩せていくし、怖いの。お母さんに何かあったらって思うと怖いのよ。それだけ」

「美月……」


 娘の言葉に、絵里さんは少し考え込むような仕草をした。思い当たる物があるのだろう。


 睫毛が伏せられて、黒曜石の様な瞳に影が落ちる。


 私達は口を挟まずにいた。


「お母さん、変だった?」

「変だよ、元気もないし」

「そう。そうね。そうだったかも知れない」


 絵里さんは吸った息をゆっくりと吐き出した。それを二回繰り返した。


 その後に、私達を見た。


「貴方はお電話でお話した方かしら」

「それは私です。無食と申します」

「もう一人の方は……」

「助手の冬野です」

「そう。そうなのね」


 ふうと息を吐いた彼女を覆う空気が、少し薄まった気がした。同時に、彼女に冷静さが戻った気がした。こちらを見る瞳に光が反射している。


「どうして此処にいらしたの?」

「賀田さんと美月さんから、時計の呪いを解いて欲しいと依頼されました。その為に、現物の時計を見に来ました」

「呪いはありましたか?」

「まだ断定は出来ません。ですが、この家に何かしらの異常が起きているのは確かです。ですので」


 私は絵里さんの前に立って、深々とお辞儀をした。


「調査のご協力をお願いしたく存じます」

「…………分かりました」

「えっ」


 なんて事ない風に答えられて、思わず頭を上げる。そして、絵里さんは苦虫を噛み締める様な顔で続けた。


「ここまで、家族に心配を掛けていたとは知らなかった。自分の異変にまるで気が付かなかった。理由はそれだけです」





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