27. 映画見に行こう

「35.7度。見て」


 体温計に表示された数字を、ミイは誇らしげに見せてきた。


 結局風邪が治ったのは2日後。

 昨日はかなり熱が高く起き上がれないほどうなされていた。流石に病院に行こうかと思ったが、今日になって彼女はけろりとした顔でベッドから起き上がった。


「治ったよ」


「まじで心配した。ちゃんと普段から飯食わないから」


「良いじゃん。ねぇ、これでサキ兄と遊べるね」


「ダメだ。病み上がりのやつを連れ回したくない」


「えー」


 彼女は残念そうに肩を落とした。


「ずっと家にいるのつまらない。ねぇ、どこかに行こう。近くでも良いから」


「ダメ」


「じゃあ、ご飯食べない」


「は?」


「おかゆも食べない。水も飲まない」


「あのな。子どもじゃないんだから」


「私、まだ未成年」


 こう言う時だけ、未成年を振りかざす。

 偉そうに言った彼女はパジャマを脱ぐと、いそいそと服を着替え始めた。


「映画見に行こう」


「はあ、それくらいなら良いか」


「やった」


「何の映画見たいんだ?」


「何でも。映画なら」


「特に見たいやつがあるわけではないと」


「うん。何でも良いから映画が見たい。そう言う時ってない?」


「無いよ。変なやつ。それならスマホでも良いだろ」


「映画館に行きたいの。何でも良いから、近くにある映画館で、すぐに見られそうなもの」


 着替え終わった彼女は、すでに準備を整えようとしていた。もう止められそうにないので、仕方なく地下鉄で行ける映画館を調べた。ありがたいことに、ちょうど20分後に始まる映画があった。


 上映していたのはハリウッドのパニック映画だった。席に座った彼女は、マフラーを外してゆっくりと席にもたれかかった。


「映画って始まる前が一番ドキドキするよね」


「そうかな」


「予告編が面白い。あれが一番好き。実際見ると面白くないことが多いけれど」


「まぁ、それはあるな」


 映画が始まった。


 ゾンビ化するウイルスが蔓延まんえんした世界で、主人公たちが生存しようとする映画。何番せんじだと言いたくなる気持ちはあったが、製作費何億円と言っていたアクション部分は、そこそこ見応えがあった。 


「つまらなかった」


 映画館からでたミイは、深いため息をついた。


「ぺらぺらのカスカス」


「最後の方は面白かったけど」


「家族のためにって言って戦うところでしょ。あれが一番えた」


 シアターを出たところで、ミイはさらに大きなため息をついた。


「見捨てて逃げちゃえば良かったのに。男1人なら逃げられたでしょ」


「そう言うわけにも行かないだろ。目の前にゾンビが迫ってきてるんだぞ。「俺だけ逃げるぜ」なんつって逃げたら物語にならない」


「サキ兄だったらどうする?」


「ん?」


「もし目の前にゾンビが迫ってきていて、私を犠牲にするか、自分が助かるかって言ったら」


「ミイのことを守るかな」


「じゃあ、私がゾンビだったら?」


 エスカレーターに乗った彼女は、くるりと俺の方を振り返って言った。壁に飾られたポスターの周りを、チカチカと眩しい照明が照らしていた。


「もし本当は私がゾンビで、私を殺さなきゃ先に進めないってなったら、どうする? 殺す?」


「どうにかして治す方法を探すよ」


「そんなものはないの。殺すか殺さないか。でも殺さないと、サキ兄の血を吸い出して、空っぽになるまで寄生する」


「それゾンビじゃないだろ」


「良いから、答えて」


 彼女はジッと俺のことを見ていた。


 試すような質問。

 何を想定しているのかは、ちょっと想像はつく。


「殺さないよ」


「ほら、やっぱり」


「何がだよ」


「お姉ちゃんと同じ答え」


 彼女は手を伸ばして、俺の手に触れた。いつもより遠慮がちに触れてきた彼女は、俺の指をぐいぐいともてあそんでいた。


「その選択ってさ。結局どっちのためにもならないんだよね。だって殺さないって言った方は死んでいるし。殺した私はずっとゾンビのままだし。どっちも救われていない。どっちも不幸になっている」


「でも命は救われている」


「それで。残るのは悲しみだけ」


 彼女は俺の人差し指をつかんだ。肌に触れる爪が少し痛かった。


「同情された方の悲しみだけ。助けた方の自己満足だけ。そんなものしか残らない。命だけ残っても何の意味もない」


「ミイ、お前さ」


「そうだよ。お姉ちゃんのことを言っている。あの人、つまらない自己犠牲で私もサキ兄も傷つけた。最低で最悪な人だよ」


「俺はアユムの気持ちも分かるよ。あいつは家族の居場所を守りたかったんだ」


「誰のために」


「たぶんミイのために」


「何それ。むかつく」


 彼女は吐き捨てるように言った。


「サキ兄、早くお姉ちゃんのことを嫌いになってよ」


 この前と同じ言葉。 


「20歳も年上の男と結婚したお姉ちゃん。恋人だったサキ兄を見捨てて、空っぽの家を守った」


「いや、あいつと俺はとっくの昔にダメになっていたから」


「でもまだ、好きなんでしょ」


「知らないよ。分からない」


「好きだよ。ちんこがそう言ってる」


「やめろよ。こんなところで」


「良いじゃん。誰もいないんだから」


 平日昼間の映画館には、あまり人はいなかった。

 彼女は俺の手を握った。するりと外れてしまいそうな、小さな手。


「だから、私はあの家を出てきたの。ゾンビなった私をいつまで経っても殺してくれないから。あのままだと、情けなくてダメになってしまいそうだったから」


「アユムは多分、ミイのことをそんなふうに思ってない。それに別に家だけが居場所じゃないし」


「学校も嫌い。変な噂ばっかり流れるし」


「なんて噂?」


 それを聞くのか、俺。

 やめとけば良かったと、彼女の答えを聞く前に俺は後悔していた。


「お姉ちゃんのこと売春してたって」


 頭がカッと熱くなる。


「いやらしい女だって。金のために結婚して、それに寄生する家族だって」


「言われたのか、それを」


「クラスのラインでね。みんな裏アカ持ってるから。たまたま見せてもらったら、ついでに私も援交してるみたいな噂流れてた」


「それ、見せるやつも見せるやつだよな」


「うん。だから全員ボコボコにした」


 彼女はつまらなそうに言った。


「全員のスマホを窓から捨てた。校庭にスマホの雨」


「随分とやったな」


「スッキリした」


「それで、停学か」


「退学かもしれない。今頃お姉ちゃん大変だろうな。ゾンビの後始末」


 ウハハとやけくそ気味に笑った彼女は、飛び降りるようにエスカレーターからジャンプした。


「ねぇ、せっかく来たんだから、もう一本くらい映画見て行こうよ」


「良いけど。今度はミイが決めてくれ」


 さっきみたいに地雷を踏むのは嫌だ。


 彼女はタイムスケジュールを表示する掲示板を見て、うーんと悩んだ。


「男の子と女の子が出会って幸せになる恋愛映画」


「良いよ、それで」


「と言うわけで、あれにしよう」


 普段は見ないような少女漫画が原作の恋愛映画を見た。舞台は高校だった。流行りの女優と、若手のイケメン俳優が出ている映画。


 言ってしまえばそれだけの映画だったが、意外と面白かった。


 ミイがこう言うのが好きというのが、一番の発見だった。

 映画終わる頃に、ふと隣を見ると彼女は気持ち良さそうにすやすや寝ていた。

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