陽炎

「寿さん。今日はありがとうございました」



 場所を変えて、六時半の紙芝居も終えた絃は道具を運んでくれている寿に頭を下げた。



「いえ。僕も楽しかったので、ありがとうございました」

「そう言ってもらえたなら、私も嬉しいです。寿さんはこのまま店に戻りますか?」



 右に曲がれば絃の長屋に、真っ直ぐ進めば店に向かう場所に辿り着いた絃は寿に尋ねた。

 寿はどうするか、返事に窮した。

 結局、団子屋では、まったりのんびり過ごすだけで、尚斗の事を全く訊けずにそのまま、今に至る。



(でも、夜に女性の家にお邪魔するなんて、失礼の極みだし。でも、若の為に何もできないまま今日を終えるなんて)



 では、残された道は?



「あの、絃さん。お夕飯もご一緒にどうですか?」



 警戒心を持たれないように、まったり告げると、絃が僅かに困惑を刷いた表情になってしまい、内心焦ってしまった。



(そうだ。僕は若の為にって分かっているけど、絃さんからしたら、お団子屋にも誘って、お夕飯にも誘うなんて、気があるとしか思えない、のかな)



「あのあの、僕別に絃さんとどうこうなりたいとかではなくて、ただ単に同じ店に働く者同士で親交を深めたいだけでして」



(あれ?こんな言い方したら余計怪しい、ような。疚しい事を考えていますと言っているような。弁明しているだけなような)



 あわあわと落ち着きを失くしてしまった寿に、絃は落ち着くように告げた。



「分かっていますから」



 真顔の絃に、寿は肩を落とした。こんな情けない姿、絶対に見せたくない……見せたくなかったのに。



「すみません。私も微妙な顔をしたのがいけなかったんですよね。ただ、時間が時間だったので、寿さんは帰った方がいいのかと思って」



 寿は衝撃を受けて落胆した。すごく。絃に子ども扱いされた事を。とっても。



(そうだよね。十四歳と十六歳って、二歳差だけど。すごく大きい。そもそも童顔でよく十歳じゃないかって間違われるし。小さいし。小さいし)



 事実だけれど、事実なだけに、ますます落ち込む。



「私が店に早く馴染むようにって考えてくれたんですよね。ありがとうございます」

「あ!いえ」



 それも間違ってはいないが、若の為にとの比重が大きかっただけに、罪悪感も生まれてしまった。しかし、これ以上情けない姿を晒すわけにはいかないと、寿は気持ちを一新させた。

 今回は仕方がない。月曜日に頑張ろう。



「僕が前のめりになり過ぎちゃいました。すみません」

「寿さんは一生懸命ですね。見習わないといけません」



 その微笑に、ぶわりと頬に熱が生まれた。心臓もびっくりして、変な音と動きを見せている。

 好き、なんじゃないか、と思ったが。違うと瞬殺する。釣られるように、あの日の情景が過る。途端、冷静になった。これでいつもみたいに振る舞える。



「真面目だけが取り柄みたいな男ですから。絃さんも気を付けて帰ってくださいね」

「はい。今日はありがとうございました。おやすみなさい」

「おやすみなさい」



 道具を受け渡しして、互いにお辞儀をして、それぞれの道へと足を向けて別れた。











「大家さん。こんばんは」



 表通りに面するのは店で、その奥に住宅地である長屋がある。玄関、台所、トイレ、お風呂居間を兼ねた寝室が備えられた十二畳の大きさの家が北に一つ、南に並んで三つあるが、今は玖麦と大家しか住んでいなかった。五分も経たずに長屋に辿り着いた絃は、自身の家の玄関前に立っている大家を見つけて夜の挨拶を告げた。



「こんばんは。今日もご苦労様」

「何か用事がありましたか?」

「いんや。飲みに出て来るからって伝えたかっただけ」

「飲み過ぎないようにしてくださいね」

「ああ。大丈夫」



 ぽんぽんと二回、絃の頭に軽く撫でた。



「大家さん?」

「大きくなったなと思ってさ」

「もう打ち止めだと思いますけどね」

「それは分からないよ。二十歳を過ぎたって大きくなるやつもいるし」

「大家さんみたいに?」

「そう。まあ、こんだけでかいと面倒も多いけど。待ち合わせにはすごく便利だろ?」

「はい。とっても」

「…絃。店はどうだい?」

「はい。みなさん、とても親切で。温かい場所です」

「噂に違わず?」

「はい。大家さんに突き出された時はどうなるかと思いましたが」

「結果的にはよかっただろ」

「まあ、はい」

「やっぱり、居心地が悪い?」

「大所帯に

慣れていませんから」


 そりゃあ慣れなきゃねと笑った大家は大きく上半身を振った。明日は毎週恒例のバッティングセンターに行くという合図である。



「ストレス解消に持ってこいなんだよね。当たらないと余計溜まるけど」

「溜まるからって甘味の食べ過ぎは止めた方がいいですよ。身体に悪いですから」

「まあ、ほどほどにしとく。じゃあね。遅くまで飲んでるから、早く寝るんだよ」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ」



 手をひらひらと振ってから大家は衣を翻した。





(さあてと。どうするか。うざったいやつらに挨拶をするか、その時まで素知らぬ顔をするか)




『私に体術を教えてくれませんか?』




 少し昔の話。そう請われるままに教えたが。



(まあ、その時までは素知らぬ顔をしておこう)



 ふんふんと少し音を外した鼻歌を奏でながら、大家は夜の町へと繰り出したのであった。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る