麗か

 翌日。店を出て問屋に寄り、駄菓子を仕入れた絃が昨日とは別の空き地で準備をしていると、何やら固まった賑わいが耳に入って来た。これはもしかしなくてもきっと、客引きをしてきてやると意気込んでいた尚斗と何故だか彼以上に張り切っていた寿の成果なのだろうと、苦笑を浮かべて、彼らを迎え入れる準備を急いだ。




 今日の題材は、竹取物語である。


 今は昔、竹取の翁のいふものありけり。から始まる、現存最古の仮名文の作り物語。かぐや姫の生い立ち、五人の貴公子のかぐや姫への求婚と失敗、帝の求婚とかぐや姫の昇天の順に物語は展開する。作者は未詳だが、日本の平安前期、西暦九百年頃に成立して、その当時の権力者である藤原氏に不満を持っていた人物ではないかと考えられている。


 藤原氏は娘を天皇の后妃に入れ、生まれた外孫にあたる皇子を天皇に立て、自ら外祖父(母方の祖父)として権力を握り、摂政・関白の地位を独占した。




「月の都の人であり、悪い事をしたので月から追放されたかぐや姫でしたが、地球で長い月日を過ごしたので罪を赦され、月に帰る事と相なりました。別れに臨んでかぐや姫は翁に文を、帝には文と不死の薬を残し、天の羽衣を着て天に昇ってしまいました。あとに残されたのは、豪華な邸に病み伏せる翁と媼。文と不死の薬を駿河国の山で焼かせた帝。そして、今もなお、天に立ち上がっているという煙でした」



 大半の紙芝居屋が喜怒哀楽をそれは大袈裟に表現するのに対し、絃の口調は終始、淡々としていた。眠気さえ誘うその静けさに、けれども、退屈と感じず不思議と魅入ってしまう。

 終わりだろうかと誰もが思ったが、意に反して、絃は新しい画に差し替える。

 かぐや姫の後ろ姿。見下ろしているのは地球だろうか。



「月に帰ったかぐや姫は思いました。もし、翁が黄金こがねを見つけていなかったら、きっと、自分の美貌を以てしても、貴公子も帝も見向きもしなかったはず。翁だって、欲を出さずに済んだんだろうと。あの人はずっと、媼とは違って、自分をお金を生む道具としか見ていなかったのに。ああ、悔し泣きで終わるなんて。すっと立ち上がったかぐや姫に、傍に仕えていた天人は尋ねました。どちらへ行かれるのですかと」



 一枚、また新しい画に差し替わる。

 極上の笑みを浮かべ、腕と足を大胆に見せる洋風のドレスのような衣に早着替えしたかぐや姫の姿である。



「ちょっと、月と一緒にお仕置きしてくるわ、と言って、かぐや姫は天の羽衣を着て、また地球に帰って行きました。傷心を装って、帝からお金を苦心する翁の元へと」



 おしまいと締めくくると、一瞬ぽかんとしていた子どもやその母親、おじいさん、おばあさん、お姉さん、お兄さん、おじさん、おばさんたちも、次には歓声を起こした。




「かぐや姫、かっけえ」

「ドレスが可愛くてすっごく似合ってる。私も着てみたい」

「貴公子だけを批判するんじゃなくて、翁もかよ」

「んじゃあ、翁を藤原氏に見立ててたのか」

「絵柄はほのぼのほんわかしてたのに、内容はえぐいな」

「お金は人を変えるからねえ」

「過ぎた金はって事だろ。必要なもんは必要だ」

「夢を見ちまったんだよ、翁は」

「媼も?」

「帝はどうだったのかしら?」

「あの人は本当にかぐや姫を愛していたんじゃない?」

「まあ釣り合うだろうって、見下してたのかもよ」



 喧々諤々な場になってしまい、寿は目を丸くした。



「紙芝居って、こんなに意見を交わし合う場でしたか?」

「子どもだけだったら、まあ、大半は単純な感想を言い合って終わりだろうが。ここには俺が連れて来た老若男女がいるしな。普通の終わり方とも違うし。話し方も淡々としてただろ。それが余計に自分の想像を膨らませたんだろうよ。それに終わり方が湿っぽくなくていい。痛快っつーか。俺は好きだぞ」



 並んで立っていた尚斗は満足そうに頷いたが、寿は微妙な気持ちになった。察した尚斗は寿の頭にそっと手を添えた。



「翁もかぐや姫を純粋に愛していたんじゃないかって?」

「自慢したかっただけじゃないかなと思いました」

「それ。この紙芝居じゃなきゃ思わなかっただろ」



 嬉しそうな顔に、寿は小さく頷く。あなたも自慢しているみたいな顔をしていますと心中で呟きながら。



「……絃さんと、この紙芝居を作った画師さんはすごいですね」

「まあ、けど、普段は客層が違うからな。こんなになる事もないんじゃないか」



 客が引いて行く中、なあと、尚斗は後片付けを終えてこちらに向かってきた絃に話しかけると、絃はそうですねと言いながら、見渡した。



「でも、子どもたちだけでも、結構盛り上がるんですよ。何でって質問の嵐だったり、こいつは悪いとか悪くないとか言い合ったり、もう一回やってってせがまれたり。今日は大人の方も一緒なので、そうならないみたいです」



 辺りを見渡せば、確かに。子どもが親や身近な大人に感想を言ったり、疑問を投げ掛けたりしていた。とても楽しそうに、興奮している。普段はこうやって大人と見る事はない事もいつも以上にはしゃいでいる要因だろう。



「逆に、仕事帰りの人たちが静かですね。疲れているのも原因でしょうが、ああ、そういう解釈もあるのかとか、ぽつりぽつりと言い合う感じで。でも、こんな風に元気満々じゃなくても、熱中している感はあります。語り合おうじゃないかって、見知らぬ人たちが一緒にお店に行く事もあるみたいですし。毎回ではないんですけど、今回みたいに、画師さんが時々少し変わった結末を描きますからね。その時はやっぱり、ほとんどの方は自分なりの解釈を口にはしますよ」



 なるほどなあと何度も小さく頷く尚斗は言葉を紡いだ。



「面白かったぞ。なあ、寿」

「はい。色々考えさせられてもらい、面白かったです」

「それはよかったです」



 安堵した微笑みに、何故かサッと目を逸らしてしまった寿。自身の行動に果てしない疑問を抱きながらも、使命を思い出し、絃にこれからどうしますかと尋ねた。


 今現在、午後四時。おやつの時間を少し過ぎてしまったが、少しくらいなら甘味をつまんでも問題ないはず。


 もう、絃が幻灰ではとの疑念は頭の片隅に追いやってしまい、若様との仲を少しでも進展させなければと燃えていた。



「次の紙芝居までは時間もありますし、一緒にお団子でもどうですか?ご馳走しますよ」



(寿がデートに誘っている)



 例えば、主の為と闘志を燃やしての行為であっても、感慨深い。

 尚斗は目を細めながら、口添えせずに絃の答えを待った。



「それじゃあ、言葉に甘えます」



 やったと、飛び跳ねたい気持ちを押さえて寿が尚斗を仰ぐと、尚斗もまた、あっちゃあと天を仰いだ。何ですかと寿が問い掛けるよりも早く、尚斗が弁明に走った。



「悪い、悪い。店のもんに話したい事があるから帰って来てくれって言われてたの、言うの忘れてた。絃。悪いな。六時半のは手伝えねえ。けど、寿はなあんも用事がないから、こき使ってやってくれ」



 最初は言葉を素直に受け取って残念がり、でも自分だけでもと思い直した寿であったが、去り際に見せた尚斗の意味深な笑みを前に一拍後、はめられたのではと、衝撃が走った。


 ここに客引きをしながら来る道中の、尚斗との会話を思い起こす。


 彼はやたらに今日の題材のかぐや姫は恋の物語だぞと口にしていた。

 恋だぞ。恋。恋をしなきゃあ、人間に生まれてきた意味はないと。自分だってした事がないくせに。


 女はな、男に無理難題を言う生き物なんだよ。愛情をいつまでも量っていたいんだよ。面倒だろうが、それを面白いと思えるような度胸がなきゃなあと豪語してたら、町の人がこんの色男がと言葉を投げ掛けて、面白そうに笑っていた。鼻が高かった。



『いいか、寿。大概の事は許すような広い心を持つんだぞ。おまえはちょっと引っ掛かりやすいからな』



 要は頭が固いと言いたかったらしい。



『女に恥をかかせる事もないように。絶対な』



 これはこの時の事を示唆していたのだろう。誘ったのだからそれをなしにするのではないと。



(だからって。僕が誘っても。若様は僕が絃さんを、その、勘違いしているようだけど、若様は無自覚なんだ。今だって、すごく機嫌がよかった)



 常日頃、大概は機嫌はいい尚斗であったが、それよりももっと、もっと輝いているように寿は見えたのだ。

 それこそ、恋をしていると言っても過言ではない程に。



(…絃さんは若様の事をどう思っているんだろう?)



 気になる。

 すごく。



(若様の為にも、僕自身の為にも…僕自身って、あれだから。若様の為になりたい僕自身の為って意味だから)



 誰にともなく注釈を紡いだ寿は、行きましょうかと当初予定していた団子屋へと率先して向かった。




 そこから歩いて十分ほどの場所にあるお団子屋に着くと、寿は店子に定番中の定番であるみたらし団子を二人前注文して緋毛氈が敷かれてある長椅子に座った。木の杭を地面に打ちつけ、柄を縄で結わえる野点傘が傍らにあり、紅の影に色を染められながら、仰げば目にする事ができる竹の骨と色とりどりの飾り糸に、華やかで細やかな美しさと和風の落ち着いた雰囲気を楽しむ事ができる。


 まったりしながら店子が持って来た緑茶をすすり、ほっと一息をつけていた寿であったが、隣に腰を落ち着かせた絃の存在を意識して、どぎまぎしてしまう。


 直球で若様が好きですかと尋ねるか、ちょっと変化球を利かせて、若様を金貸し屋の跡取りとしてどう思いますかと、とっかかりを作るか。


 道中も悩んでいた案件に答えを出さねばと思っていると、早速みたらし団子が来た。ここの店のみたらし団子は、白玉粉の団子の上にかかってある、とろとろの砂糖醤油餡に生姜のピリッとした味が決め手で、あまり甘すぎなくて美味しいのだ。


 うきうきとしてみたらし団子を手に取った寿は、ハッとある事に思い立った。

 美味しいものを食べてもらいたいと思ったが、本人の意見も確認せずに勝手に頼んでしまってよかったのだろうかと。



(けど、今更、何を食べましょうかと訊くのは。みたらし団子、大丈夫ですかと訊くのも今更だし)



 ちらと、寿は絃を一瞥すると、ちょうど目が合ってしまい、咄嗟に、けれど、のろのろと、持っていたみたらし団子を掲げていただきましょうかと、僅かに音量を落として告げた。はいと頷いた絃はいただきますと告げて、串からみたらし団子を一つ、口に含んだ。


 見ている事がばれないようにしながらも、ちらちらと視線を送っていた寿は、絃の口元が綻んでいるのが目に留まって、嬉しくなった。一つ咀嚼し終えたらしい絃の美味しいですねとの言葉に、美味しいですねと応えた寿の口元もまた、綻んでいた。







「いやー。青春、青春」

「若。感心しませんね。寿の逢瀬を覗き見るなど」

「お、やっぱ。デートに見えるよなー。銀哉」



 店に帰ったと見せかけて先回りして、しゃがんで物陰から二人の様子を窺っていた尚斗。話しかけて来た銀哉に振り返った。

 龍や虎など迫力かつ派手な和風柄の着物が似合いの丸坊主で長身の男性である銀哉は、本日のお召し物である昇り竜を今日も今日とてさらりとごくごく自然に着こなしながら、憂いの溜息を零した。



「若。課題は終わってないのでしょう。さっさと帰って終わらせてください。そろそろ戻る頃合でもありますし」

「わかってるって。明日ざざっと終わらせるっての。見逃せないだろ。めっちゃ貴重なあの光景」



 二人へと身体を向け直した尚斗に銀哉の溜息は止まらない。



「若が寿を溺愛しているのは知っていますが、寿にはまだ結婚など早いですよ」



 尚斗は吹き出した。結婚って。



「どんだけ気が早いんだ。あいつ、自分の気持ちさえ認めてない段階だぞ。それに、絃だってどう想っているか分かってないってのに」

「寿があの少女とのお付き合いを決めたのなら、結婚を考えるのは目に見えて分かりますよ。真面目で一途ですから。若を主と決めたように。もしも断られたとしても、陰ながら助力しようとか思いますよ。まあ、犯罪者なら逆に何が何でも止めようとすると思いますけど」

「…絃の事、調べたのか?」

「当然です。若に何か遭ったら困りますので。想定内でしょう?」



 さらりと涼やかに言われた尚斗は口を尖らせた。



「あーあ。自由になりてえ」

「本当にその気がおありでしたらお手伝いしますが、若は微塵も考えていないでしょう?」

「…おまえと喋るの、ほんとヤダ」

「嫌だろうが何であろうが、もうじきしたら張り付いて回りますので」

「はいはい。わかってる……んで、絃の事、教えろ」

「聞きますか?」

「聞く。雇用主としてな」

「…主と部下が一人の少女を取り合う。恋愛本の定番中の定番ですね」

「…おまえなあ、言葉が上滑りしまくってるぞ」

「失礼。そうだったらいいのになあと願望を込めましたが、やはり願望は願望に過ぎませんね」



 ッチと小さく舌打ちしたのを聞き逃さなかった尚斗。恋愛話が好きなのか、よっぽど早く結婚してほしいのか。両方だろうと当たりを付けながら、ご期待に沿えず申し訳ませんと茶化しながら告げては、それでと話を促した。










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