第20話「プレゼント」


 結論から言うと。鷹取部長と二人で捜査したけれど、行方不明者に係る追加情報を得られることは叶わなかった。当然と言えば当然だ。例のコンビニ付近の防犯カメラは、私が昨日隈なく調べたのだから。

 防犯カメラが多く存在する世の中になったけれど、カメラがないエアポケット的なエリアは存在する。今回の行方不明者と思われる男は、お金を下ろした後いずれかの方向に立ち去っていた。偶然かそれとも狙ったのか、防犯カメラには一切映らずに。


 ……新たな手掛かり、なし。私は車を路肩に駐車して、部長の次の指示を待つ。怪我の具合から珍しく助手席に座っていた部長は、独り言みたいに静かに言った。


「やっぱり現場直近の防犯カメラはなしか。少し離れた場所のカメラを漁るのも効率が悪いな」


「このあたりは裏通りですから。一番近いコンビニでも、四百メートル以上離れています。西側は河川敷近くで、そもそも建物がありません」


「上沢、お前はカメラに映ってた男が対象者だと思うか?」


「その可能性は高いと思いますけどね。あれは対象者名義の口座ですから」


「借金が焦げ付いたヤツは、自分の口座だって平然と売る。犯収法はんしゅうほうを知らないヤツさえいるからな。もちろん決めつけは禁物だが、俺もカメラに映ってたヤツが対象者だとは思う。そいつが過去にこの街から逃げ出した理由は、ヤバい筋から金を借りたからだろうな」


「闇金、ですかね」


「恐らくな。この街にはまだまだ闇金業者が多い。今も昭和の時代みたいな取り立てをするヤツらもいる。だがそうだとすると、帰ってきた動機がますます不明だ。怖い借金取りがいる街に、なぜ戻って来たのか。その口座に入金があったのは、全く別の場所だったんだろ?」


 部長は捜査指揮簿そうさしきぼの文章に目を通す。そこに書かれているのは、くだんの口座の入金記録だ。遠く離れた東北地方の町、そこのATMからの入金。防犯カメラ映像はもう消えてしまっている、三ヶ月前の最終入金記録。

 例のコンビニで五万円を引き出した後の残高は、三万円と少し。入金に関しては、少しずつ入れたような記録になっていた。


「こつこつ貯金しているな。少ない時は千円。多い時でも五千円の入金。入金時期も完全にランダムだ」


「どういうことなんでしょうね?」


「あくまで想像だが。この対象者は、日雇いで生計を立てているのかもな。正規雇用やバイトなら月に一度の入金記録があるが、この口座にはそれがない。こいつは現金を手渡しで貰って、余った分を貯金していたんだろう。三ヶ月間も入金がないってことは、最近は生活に余裕がなかったのかもな」


 ギャンブル狂いだった男が、細かな貯金をしている事実。何か手掛かりになりそうだけど、でも像が上手く結べない。この男はこつこつと貯金をしてこの街に戻ってきて、一体何がしたかったのか。

 闇金からいくら借りたのか知らないけど、逃げ出して一年半も経っていたら、五万円なんて一ヶ月分の利子にも満たないだろう。それくらいに闇金は高金利だ。借金取りに見つかったら、それこそタダでは済まなそう。

 それなのに危険を冒してこの街に戻って来ている。防犯カメラに映ったあの男が、行方不明者だったらの話だけど。


「借金と貯金。遠く離れた町での入金と、この街での出金。危険を冒してまでこの街で手に入れたかったものは何だ?」


「この街でしか買えないもの……でしょうか。例えば風俗関係とか。皆戸門街は色街で有名ですし」


「なるほど、いい線かもな。ただそうだとすると、この貯金のような口座は不自然だ。少額の入金は多いが出金は今回だけ。これはどうしても手をつけたくなかった金に見える。そんな金で風俗に行くか? 好きなヤツなら現金を手渡しで貰った時点で行きそうだろ。東北にも色街はあるだろうし」


 部長はメガネを外して、モダンを顎に当てた。それは、部長が何かを考え込む時によくする癖だ。テンプルに適度な力を加えて曲げ伸ばしをする。

 私も考える。対象者はこの街に、何を買いに来たのか。ギャンブル狂いの人間が、少しずつお金を貯めて、そこまでして買いたかったものは何か。この街でしか買えないものなのか。

 そこにヒントがあるはずだ。この街だけのもの。この街にしかないもの……。


 暫しの無言を破ったのは、鷹取部長の言葉。「あぁそうか」と部長は呟いて、受理票を再びめくる。何かわかった、のだろうか?


「上沢、届出人の家に車を回してくれ。ウチの管内、本署の近くだ」


「奥さんに会いに行くんですか? 捜査状況の報告に?」


「それも含めて、ちょっと確認がしたい。ナビ入れるからそれに従って走ってくれ。頼むから安全運転でな」


 慣れた手つきで、部長はナビに住所を入力する。到着予想時刻は午前十一時。

 私は言われた通り、滑るように車を発進させた。もちろん、これ以上ない安全運転で。



   ────────────



豊津とよつさん、でよろしいですか? 私は水瓶署生活安全課防犯係の鷹取たかとりです。こちらは上沢かみさわ。以前出されていた、ご主人の行方不明届についてお話を伺いに参りました」


 少し古い集合住宅のインターフォンを押すと、今回の届出人である奥さんが出て来てくれた。私たちが警察手帳を提示すると、刑事さんですか、と問われる。私服の私たちは刑事に間違われやすい。一般の人に、刑事課員と生活安全課員の違いはわからないだろうから仕方がない。本当は、刑事なんかに間違われたくはないのだけど。

 鷹取部長はその問いに「似たようなものです」と答えると、挨拶もそこそこに本題に入った。


「突然の訪問になって申し訳ありません。今、お時間は大丈夫ですか。小さなお子さんがいらっしゃると伺っているのですが」


「娘は今、寝ていますので大丈夫ですが……」


「では手短に。ご主人であるあきらさんから最近、電話や手紙などの連絡はありませんでしたか?」


「いえ、ないです。夫が行方不明になってもう一年半以上になりますが、今までただの一度も連絡はなかったです。あの、夫が見つかった……とかではないですよね?」


 それは微妙に引っかかるセリフだった。今更見つかっては困る、とでも言いたげな言い回し。まだ小さな子供がいるから、せめてその子がもう少し大きくなるまでは今のまま過ごしたいのかもしれない。

 生活保護を貰って生活するのは、もちろん悪いことではない。この奥さんと子供はいわば被害者のような立場だ。悪いのは不正受給をしているヤツら。そいつらのせいで、生活保護受給者は色眼鏡で見られがちだ。


「残念ながら、まだ足取りは掴めていません。申し訳ないのですが」


「そうですか……。それなら仕方ない、ですね」


「今日お伺いしたのは、直近で何か変化がなかったか、お訊きしたかったからです」


「変化?」


「些細なことでも構いません。何かありませんでしたか」


「何かと言われても……、いつも通りに生活しているだけですけど」


「例えば知らない者から口座に入金があったとか、あるいは現金書留が送られて来たりとかは」


「そんな人いませんよ。お金をくれる人なんて私たちにはいません。毎日ギリギリの生活です。子供もまだ小さくて、保育園もいっぱいで預けられなくて、働けなくて。私は親がもういないので、頼れる人はいないんです」


 きっと厳しい生活なのだろう。奥さんには化粧っ気がまるでない。きちんとすれば美人なのだろうけど、日々の生活のキツさからか、その姿は随分とやつれて見える。受理票に記録された歳には見えないほどに。


「……今は、生活するだけで精一杯で。正直、夫のことまで頭が回りません。もし夫がどこか遠くで発見されても、迎えにも行けない。その金銭的余裕が全然ないんです。捜していただいているのに、申し訳ないのですが」


 何も奥さんが卑屈になることはない。悪いのは夫だ。家庭を顧みずギャンブルに溺れ、全てを捨てて逃げ出した夫。でもそれを奥さんに言うべきではない。たとえ奥さんがそう思っていたとしてもだ。だから私は、固く口を噤むことにする。


「……だからもし夫が見つかっても、すぐに迎えに行けないことはどうかご了承ください。お金もないですし、子供も小さいんです。勝手な言い分で、本当に申し訳ないのですが」


「わかりました。もし、我々がご主人を発見したとして。ご主人が『誰にも何も伝えないでほしい』と言えば、発見したということも奥さんには伝えられません。つまり、行方不明届は継続となる」


「見つかったとしてもですか?」


「そういうルールです。ですので。今回は、奥さんに対する定期の報告とお考えください。お時間を取らせました。それでは失礼を」


 その場を辞し、踵を返そうとしたところで。奥さんの小さな声が背中越しに聞こえた。私たちが振り返ると、奥さんはゆっくりと「そういえば」と話し始める。


「あの、さっきの『変化』というお話ですけど、」


「なにか?」


「昨日の朝のことです。子供向けのおもちゃがたくさん、玄関先に置かれていたんです。間違いかなとも思ったのですが、宛名は確かに娘の名前で。伝票もなにもない状態だったので、直接誰かが置いたんだと思うのですが」


「送り主の名前は?」


「……サンタさん、と。冗談だとは思うのですが」


 ──あぁ、そうか。もうすぐクリスマス。少しばかり早いけど、奇跡が起こったって不思議ではない日。

 もしかして、というか確実に。行方不明者である夫が、これを置いていったのだろう。まだ見たことのない我が子に向けて。


「あの、刑事さん。これって受け取っても構わないんですよね?」


「もちろんです。娘さんのお名前が書かれてあったのなら、間違いなく娘さんへのプレゼントでしょう」


「でもこれ、送り主はもしかして……」


「申し訳ありませんが、送り主が誰かというのは警察では調べません。事件ではないからです。ですので、誰からのプレゼントであれ受け取って構わないと我々は考えます。それに本当に、これはサンタからのプレゼントかもしれませんね」


「そう、ですか……。それなら安心です。あの、本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げる奥さんに、私たちも一礼をする。階段を降りるまで、奥さんは頭を下げ続けていた。



   ────────────



「……娘に、プレゼント届けに来てたんですね。郵送すれば、調べればどこから送ったかわかってしまう。だから直接届けに来た。借金取りに見つかる可能性もあるのに。意外と、いいヤツなのかもしれませんよね?」


 車に乗り込むなり、私は部長にそう問うた。だけど部長は難しい顔のまま。受理票に何かを書き込みながら、ペンで前を指す。車を出せ、ということだろう。

 さっきと同じ安全運転で、私は本署に向けて走り出す。書き終えた部長は「安全運転で頼むぞ」と、さっきと同じ言葉を重ねた。

 車内はまたも無言。路面を滑るタイヤの振動しか聞こえない。私はその沈黙を破って、部長にまた問う。


「部長、今回のことってどう報告するんですか?」


「報告は、簡潔にありのままの事実を。いつもそう言ってんだろ。出金場所に対する防犯カメラ捜査、および届出人に対する聞き取りを行ったが、。継続捜査を実施する、ってヤツだ」


「……でも状況からして確実に、行方不明者がプレゼントを届けに来たんですよね?」


「ただ証拠はない。確かな事実はひとつだけ。行方不明者は、まだ見つかってないってことだけだ」


 報告書に「行方不明者がこの街に戻って来ている可能性がある」と書けば、もちろん体制を組んで捜索しなければならない。もし見つかれば、妻子の生活がもっと厳しくなるかもしれない。部長はそれを考慮して、を組織に報告するつもりだろう。自ら行方をくらませたまま、見つからない者は多い。それを見つけるのは至難の業だ。


「……こんなことしても、過去は消えないのにな。罪滅ぼしのつもりだろうとは思うが」


「罪滅ぼしって。でも私は、対象者が少しでも更生したんだって思いたいです。人はきっと変われる。そう信じたいです」


「いや、変わるのは難しい。。その先、どんなに善行を積んだとしてもな」


 今の部長の言葉は、自分に言い聞かせるみたいだった。

 犯した罪は一生消えない。

 部長の言う通りだとも思う。思うけれど。

 それでも私は、人が変われる力を信じたい。


「さて、署に帰るか。もうここにいても意味はないだろうからな」


 冷たく告げる鷹取部長を見て、私は変わって欲しいと願う。

 サブが言っていたように。よく笑う人だった鷹取部長に、私はまた変わって欲しいと思う。


 ……いや、思うだけじゃダメだ。

 私が部長を変える。楽しそうに笑う、そんな鷹取部長に戻してあげたい。


 それが部長への恩返しになるのなら。少しでも部長のためになるのなら。

 私はそれを、必ずやり遂げたい。





【第三部 『過去の行方』 終】


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