第51話邂逅、源義朝

 気が付くと、そこは京都の清水寺だった。

 周囲には桜が散っている。

 なんで、こんなところに? そう思ったとき、目の前に一人の武者が現れた。

『よう。なんだ、来るの早えな、お前』

 目の前のおっさんは、黒い烏帽子に、あごひげ。おまけに甲冑を着ていた。

 見たこともない武者だ。

「誰だ? あんた」

『俺? 俺のことなんかどうでもいんだよ。それより、お前さあ、ちょっと来るの早すぎるんじゃねえの? もちっと粘ってほしかったなあ』

 けらけらと、おっさんは何故か笑っている。

「……だから、一体何の話だよ」

『お前、死んだんだぜ? 矢の雨に打たれてな』

 ああ……やっぱりそうだったのか。

 不思議と、恐怖はなかった。その代わりに込み上げてくるのは、悔しさだった。

 あの時、俺が九郎に余計な事を言わなければ……もっとあいつを守ってやれたのに。

『ありゃ? 意外と驚かないもんなんだな』

 意外そうな声を上げて、おっさんは俯く俺の顔を覗き組む。

 年の割に、かなり幼稚なことをするおっさんだ。

「驚かねえよ。こちとらタイムスリップしてんだ。天国があるくらいで驚くやつがいるか」

『まあ、それもそうだな。でも、一応言っておくがここは天国じゃない』

「天国じゃない? んじゃここは地獄か? 地獄にも桜はあるんだな」

 落ちていた花びらを拾い上げながら、俺は皮肉を言う。

『いいや、地獄でもない。ここは源氏の光珠の中だ』

「は? 源氏の光珠って、あのオレンジと青の混じった珠のことか?」

 幾度となく俺の脛を痛めつけてきた、あのにっくき珠の中だと?

『そゆこと。それより、驚くのもいいがもう時間がないから、手短に説明させてもらってもいいか?』

 おっさんが急に眼を鋭くさせて話を切り出した。

『お前、体が塩になっていることに気が付いていたか?』

「ああ。覚えがある」

 指を切った時。イノシシを狩った時。どちらも傷口から塩が漏れ出ていた。

『それはな、お前をこの時代に召喚した際の触媒が塩だったからだ。この時代では、お前はただの潮の塊に過ぎない。潮の塊に、お前の魂をくっつけているだけなんだ。だから、この時代で死ねば、お前はただの潮の塊に戻り、魂は……元の時代に戻る』

「……つまり、死ぬのが一番の近道だったわけだ」

『そういうことになるな。それで、もうすぐ魂の転移が完了する。今なら、塩に戻りつつある肉体も、辛うじて唇くらいは動くだろう。何この時代に言い残すことはあるか?』

 目の前の鎧武者の言葉を聞いて、最初に浮かんだのは……後悔だった。

「……九郎。すまん。お前の気持ちを察してやれなくて、すまん。お前を最期まで守ってやれなくて、すまん。郎党のくせに、勝手なことして……すまん」

 あの時、こうしていれば。そんな後悔ばかりが先に立つ。未練たらたらだ。

 これから、もう二度と会うことは出来なくなるのに。これでは格好がつかない。

 でも、それが俺の本心からの言葉だった。

『九郎のこと、大切だったのか? ずっといがみ合っていたじゃないか』

 鎧武者が言う。

「……それが、よくわからん。だが、この平安での生活は、元の時代での生活よりも楽しかった。充実してた。それを作ってくれたのが、九郎だった。あいつのおかげで、俺は楽しかった」

『……もしかして、好きだったのか? 九郎のことが』

「……それも、よくわからん。だが、この時代で、右も左も分からない俺を引っ張ってくれたのは、あいつだった。俺はずっと、あいつに助けられていたんだ。だから、その礼として俺はあいつには幸せになってほしかった。結果から言うと、それが大きなお世話だったんだがな」

 九郎は、これからあの戦いを潜り抜け、やがて兄に裏切られて死ぬ。結局、俺ではその未来を変えることはできなかったのだ。それが、とても悔しい。

「……もし願うなら、もう一度、あいつのために力を振るいたかった」

 でも、それはもう叶わないのだ。俺はこの時代で死んだのだ。

 俯く俺の肩を、鎧武者のおっさんは叩いた。おっさんの方が背丈が低いので、なんだかあまり格好がついていない。

『なるほど。あんたの気持ちはよく分かった。んじゃま、せめて最後には父親らしいことをあの子にしてやるか』

 おっさんはそう言うと、今度は俺の胸を拳で叩いた。

「もう一度だけ機会を与えよう、弁慶殿。俺の残りの霊力をお前にやる。武者一人分の霊力があれば、お前の魂はもう一度あの時代に戻ることができるだろう」

 突然の話に、俺は一瞬理解が及ばなかった。

「は? えっ。ど、どういうことだよおっさん! もう一度、生き返れるってことなのか?」

『そういうことだ。そのかわり、お前に一つ頼みたいことがある。「立派に育ってくれて、俺は大変嬉しいぞ。好きなように生きろ。そして、もし辛いことや悩むことがあったら、この弁慶に相談しろ。こいつなら、きっとお前を助けてくれる」ってな』

 そう言い終えると、おっさんはニカっと笑った。

 突如、視界が徐々に白んできた。目の前のおっさんの顔が、見えなくなっていく。

「おい! 待てよおっさん! あんた、もしかして――」

『んじゃま、頼んだぜ弁慶! 娘のこと、しっかり見てやってくれ! じゃあな!』

 踵を返し、俺に背を向けた鎧武者のおっさん――源義朝は、白んでいく視界の中へと消えていった。


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