第28話那須国騎乗戦

それでも、与一は口を開こうとしない。どちらにつくか、迷っているようだ。

 与一の様子を見ていた九郎が、俺の隣で腰を少し浮かせた。

 俺は、咄嗟に九郎に言った。

(……何かする気だろ、お前)

(もちろんだ。このままでは与一が危うい。わたしが救う)

(救うって、そんなことができるのかよ)

(できる。……継信)

「……ハッ」

 九郎は自分の背後にかしづく継信に告げる。

(二日後、那須家の屋敷の前で落ち合おう。その後、白河の関を突破する策を告げる。そのかわり、わたしと弁慶が逃げやすいように時間稼ぎをしてくれ)

「御意」

(うむ。では、わたしの合図と同時に頼む)

(おいおい九郎。俺はどうすればいいんだよ)

 何をする気か分からないが、この先の展開が不安で仕方ない。

「……うむ。それは与一を助けてから命令する。しばし待て」

 できれば今説明してくれ! そう叫びたかったが、俺がそうするよりも早く、九郎はその場から立ち上がった。

 つまり、あいつは何を思ったか、草むらの茂みから顔を出したのだ。

 ――ガサッ! と、草むらが揺れて、白い着物姿の九郎が顔を出す。すると、与一だけでなく、もちろん那須家の奴らも突然の闖入者に視線を向けた。

「やはり、那須家は源家の敵か! もう少しで殺されるところであったわ!」

「く、九郎様!?」

 与一が突然現れた九郎に瞠目する。

 九郎は、敵の視線が自分に集中している中、急に手を上げた。

 瞬間。鎧を着た武者が「ぐえっ」と悲鳴を上げて倒れた。

「な、何者だっ!?」

 光隆が悲鳴のような声を上げて踵を返した。おそらく、分身ではない本体の継信が攻撃したのだろう。

 敵の目が、今度は背後の継信へと向けられる。継信は再び何かを投擲した。武者がまた一人倒れる。

 そんな中、九郎が静かに言った。

(弁慶。次のわたしの台詞を聞き次第、すぐに背を向けて山を下りろ。そして、あの長屋へ行け。逃げるぞ)

「に、逃げるって言っても――」

「与一! おれは信じているぞ!」

 呆然とする与一に向かって、九郎は自信に満ちた表情で告げた。

 告げたかと思うと、次の瞬間にはくるっと踵を返して、山を駆け下りて行った。

「ちょっ! ま、待てよ九郎!」

 俺も慌ててその後を追いかける。

「に、逃がすか! 源家の御曹司めっ!」

 慌てる光隆の声が聞こえたが、俺は振り返ることなく全力で山道を下った。

 道なき道を、ほとんど転がるように駆け下りる。足元の確認なんてしている余裕はない。九郎の白い姿を見失わないようにするので精いっぱいだ。

 木々の間を縫うようにして走る。途中、近くの木に何度か矢が刺さった。それが更に、俺の恐怖心と足の速度を高めた。

 泥だらけになりながら何とか山を下りると、九郎は馬小屋に飛び込み、寝ていた馬を叩き起こした。

「ほら起きろ! 出番だ太夫黒!」

「何勝手に人の馬に名前付けてんだよ!」

 そう言いながらも、体は勝手に動いた。馬小屋にある棚から勝手に鐙を頂戴して馬の背に乗せ、それから手綱を付けて、馬が走れるように装備を整える。

 ものの数分で馬を走れる状態にする。まさか、小学校のころからやってきた乗馬がこんなところで役に立つとは思わなかった。

 俺は素早く馬に乗ると、自分を見上げる九郎に手を出した。

「早く乗れ!」

「う、うむ。しかし弁慶。お主、馬を操ったことがあるのか!?」

 九郎を前に乗せて、俺は馬を蹴った。

「あるに決まってるだろ! お前はないのかよ!」

「ああ。なにせ都育ちだからな!」

 威張るとこかよ! と叫びたかったが、声が山の方に響いてはいけない。俺は黙って馬を走らせた。

 与一の長屋を出て、谷を進む。その時、後方から武装した男たちが同じく馬に騎乗して追いかけてきた。

「待て! 源氏の御曹司! 我が名は那須家の嫡男光隆! 貴様を討つ者だ!」

 ご丁寧にも、武装した武者は自己紹介をする。だが、待てと言われて待つつもりはない。

 少し振り返ってみると、光隆達は馬の上で背筋をピンと立てて走っていた。

 天神乗り。あの騎乗スタイルは、日本古来の騎乗方法だ。昔、乗馬を習っていたころに先生に教えられ、名前が格好いいから覚えてた。鐙を長く持ち、馬に対して垂直に乗る。おそらく、ああ乗れば馬上で弓を撃ち易いのかもしれない。

「よし……。だったら、こっちは未来の走りを見せてやる!」

 俺はそう宣言すると、前に乗る九郎に言った。

「おい、九郎! 鐙の上に腰を浮かせて背中を丸めろ!」

「う、うむ! こ、こうか!?」

 九郎はまるで、馬の首にしがみ付くような恰好で体を丸める。その上から、俺は前傾姿勢で九郎の背中にくっついた。まるで、馬と俺で小柄な九郎を挟んだような形になり、九郎のうなじが俺の顔の近くに迫った。

「ひゃんっ!? ば、ばか! 近いぞ弁慶! どさくさに紛れて、主の匂いを嗅ごうとするな!」

「誰がそんな意味の無えことをするんだアホ! これが未来の騎乗スタイル、モンキー乗りだ!」

 モンキー乗りは今の競馬界では主流の乗り方で、天神乗りに比べて馬への負担が少なく、速度も出る。ただ、騎乗姿勢が不安定になるから、長い間走るのには向いていない。

 だが、短距離で敵を突き放すには、この乗り方が一番だ。

「ふっふっふっ! 逃げきれよ太夫黒!」

 俺は祈るように太夫黒に向かって叫んだ。

「くっ、速いっ! おい! 待てぇ!」

 光隆の声が徐々に遠のいていく。月の出ていない夜という好条件もあってか、数分も走ると奴らの声は聞こえなくなっていた。

 俺は後方を確認して安全を確かめると、モンキー乗りを止めて馬を歩かせた。

「よし。なんとか撒いたみたいだな――って、どうした?」

 俺が離れたというのに、九郎はいまだに馬の首に顔を埋めたままだった。俺が背中を人差し指でちょんちょんと叩くと、九郎は振り返った。恨めしそうに眉を八の字にして、そして何故か頬を赤らめて俺を睨んでいる。

「な、なんだよ。ちゃんと敵は撒いたじゃないか。なんで怒ってんだよ」

「べーんーけーい。貴様、そんなにも女子のうなじの匂いが好きなのか? 体を密着させて熱り立つような荒い息を吹きかけおって。主に対して欲情するなどありえん! 不潔! 変態!」

「は、はあ!? な、何言ってんだお前!? せっかく俺が敵を退けたっていうのに――」

「問答無用! 躾じゃ弁慶! むむむっ!」

「あ、あぎゃあああああっ!」

 九郎の念によって、脛が激痛を発した。俺はほとんど反射的に体を丸めようとして、そのままひっくり返って背中から落馬した。

 敵を退けたはずなのに、俺はその晩中激痛で眠れなかった。

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