第5話 夢の狭間の図書館

 ――ここはどこ?

 意識を取り戻したサナは、うつ伏せで倒れていた。固く冷たい床の上。

 まだ意識がおぼろげだった。頭を抱えて辺りを見回す。どうやら屋内らしい。

 オレンジ色の照明が建物の中を照らしている。その薄暗がりの中に、たくさんの本棚が並んでいた。

 「ここはひょっとして、図書館?」

 最初はIDAスクールの巨大図書館に来てしまったのかと思ったが、どこか違う世界の図書館のようでもあった。

 サナは記憶を整理する。

 アルドと共に屋外で謎のドローンと戦っていたはずだった。彼の足を引っ張り、恐怖で無鉄砲に突っ込んでしまった。最後の記憶が正しければ、敵の攻撃が被弾して意識を失ったはずだ。

 恐る恐る体を動かしてみる。攻撃を受けたあとだというのに、痛みも外傷もない。

 ここはどこなのだろう? 天国か、地獄か、それともただの夢の中か。

 再度、周囲をうかがう。人の気配はない。ここで立ち止まっていても誰かが助けてくれる保証はないだろう。サナはあてもなく館内を彷徨った。歩けど歩けど、同じような本棚が続くばかり。まるでタチの悪い幻惑の中を歩かされているようだった。

「出口はどこなの」

 思わず漏れた焦りの言葉は、静寂に虚しく吸い込まれていく。

 ふと、サナは昔の出来事を思い出した。まだ新入生の頃に、こうして図書館の中で道に迷ったことがあった。巨大図書館と呼ばれるだけあって、当時のサナにとってそこは迷宮に等しかった。誰かに道を教えてもらおうにも、あの時も近くに人影はなかった。確かここは、いつでも資料を閲覧できるようにと、24時間ずっと開放されている。夜遅い時間だったのだろうか。

「あの時は、本を読んで人が通りかかるのを待ってたんだよね」

 サナは本棚から一冊の本を引っ張り出し、通路にしゃがみ込んでページを捲った。黒い革で作られた長靴をはいた猫が表紙に描かれている本だ。

 既視感があった。前に選んだのも、この本だったような気がする。

 あらすじは、確かこう――むかしむかしあるところに、粉ひき職人の父親を亡くした三兄弟がおりました。三人で父の遺産を分配することになり、長男は粉ひき小屋、次男はロバを手にしましたが、三男にあてがわれたのは一匹の猫だけ。これでは、もう粉ひきの仕事もできない。嘆く三男に猫は語ります。「がっかりしないで。ぼくにまかせておいてよ」と。あるじである三男から長靴をもらい、猫は奮闘して彼を希望の未来へと導いていく。そんな物語だった。

 最後まで読み終えると本を閉じ、サナは表紙に描かれている猫の顔をじっと見た。少し釣り目の黒猫だった。

「ちょっとだけヴァルヲちゃんに似てるかな?」

 次に脳裏をよぎったのは、アルドの顔だった。早く、彼らの所に帰らなければ。

 サナが強く念じると、目の前に一匹の蝶が現れた。まるで先を示すかのように、ちらちらと光の粉を撒きながら、青白く光り輝く。

 蝶はゆっくりと飛び、建物の中央に位置する階段の近くまでサナを誘った。上へ上へと続くらせん状の階段を取り囲むように、本棚が天井まで続いている。蝶はときどきその場に滞空し、ちゃんと彼女が付いてきているか確かめているようだった。

「この蝶々さんが出口を知っていたらいいのだけど」

 蝶とサナは、階段を上へ上へと昇る。

 一番上に辿り着くと、壁面に荘厳なステンドグラスが飾られていた。紫と水色がかった緑で女性を描いたものだ。

「綺麗だけれど、IDAの図書館にこんなステンドグラスはあったかな……」

 サナが考え込んでいる間に、蝶が忽然と姿を消していた。

「蝶々さん、どこにいったの?」

 周囲を見回してもどこにもいない。

 階段の欄干から、下を覗いてみる。そこに見えたのは本棚と、閲覧用の大きな丸テーブル。もう一つ、壁際に書斎机と椅子があった。その周辺で何かが青くキラキラと輝いている。

「そこにいるの?」

 早足で階段を降りて行き、蝶らしき光の元へ向かう。

 書斎机の前に辿り着くと残念なことに光が消えていた。蝶の姿も見当たらない。

 その代わりに、机の下に穴が開いているのを見つけた。

「梯子がある。降りられるのかな?」

 行く当てもない夢の中。下に何があるのか見当もつかないけれど、サナは意を決して梯子に足をかけた。

 下まで降りて行くと、そこは小部屋になっていた。館内と同じくオレンジ色のランプで照らされているが、辺りは薄暗い。図書館には似つかわしくないような、よくわからない機械が鎮座している。

 サナの目の前で、青白い蝶がひらひと舞った。

 蝶は小さく強い光を放ちながら、何かに姿を変えた。

 そこに一冊の本が、宙に浮いていた。

「この本は……!」

「我は、世界書。アルティマニア。館のあるじの元を離れ、学府の書庫に閉ざされし存在」

 なんのことを喋っているのか、サナには理解が追い付かなかった。

「汝、追憶の使徒よ。記憶を手繰り、猫を探せ。そして、我をあるじの元へ……」

 本の呼びかけに応えるように、サナは無意識で本に手を伸ばしていた。指先が表紙に触れると、轟音と共に激しい光が炸裂し、衝撃波が部屋を震わせた。サナは咄嗟に目を閉じ、静けさが戻るまでその場にしゃがみ込む。訳が分からなくなり叫んだ。

「何が起きってるっていうのよ!」

――己の記憶を辿るのだ。

 アルティマニアと名乗った本の声が、頭の中で響く。

 恐る恐る目を開け立ち上がると、目の前に自分以外の人間が立っていた。

 絹糸のようになめらかなプラチナブロンドの髪。黒い胡蝶の髪飾り。そして、IDEAの象徴たる白制服と、腰の刀。

「まさか、イスカさんなの……?」

 サナが驚き問いかけると、イスカの青い瞳がサナを写した。

「おや、見つかってしまったようだね。ここはわたしだけの秘密基地だと思っていたのだけど」

 イスカは本を片手に、クスクスと可憐に笑う。

「なかなか忙しくて時間が作れないのだけど、読書が趣味でね。電子媒体も良いのだけれど、紙の本を捲るのもまたいいものさ。キミも本が好きかい?」

「は、はい」

 サナは緊張で声が上ずった。

「もしよければ、おすすめの本を教えてくれないかな?」

「それなら……」と、サナはずっと持ち歩いていた本を差し出した。

「『長靴をはいた猫』という物語です。よろしければ、どうぞ」

「ありがとう。わたしが預かってしまってかまわないのかな」

「大丈夫です。私はもう私は読み終わりましたので」

「ありがとう。さっそく読んでみるよ。ところで、足元の猫は君のお友達かな」

「にゃーん」と愛くるしい声がして、そこに一匹の黒猫が立っていた。

 すると静かだった小部屋に、空気が唸るような音がして、青い光の穴が出現した。

「残念だけど、そろそろお別れの時間のようだ」

「イスカさん。またいつか会えますか?」

「もちろんだよ。ぜひまた会おう。サナ」

 そのイスカの笑顔を、サナは昔も見たことがあった。

 ずっと忘れていた記憶の中で。

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