中学時代のわたし 2

「きゃはは、つめたーい!」


 空き教室に響く友達の耳障りな声。

 廊下に飛び散ったバケツの水。

 床に転がった彼女の濡れた本。

 どれもこれも、興味のないものばかりだ。

 冷静さを保つのがかなり難儀だった。

 なぜか待ち合わせに利用していた空き教室で、友達二人がバケツに組んだ水を逢坂ちひろにぶっかけたのだ。

 なんだそれは? 気でも触れたのか?

 

「もう気は済んだ?」


 わたしは加害者側の二人になるべく柔和に声をかけた。

 だというのに、やっぱりちょっと顔に出てたみたいだ。

 目の合った二人が狼狽うろたえるように言った。


「ちょっとアキサ、なんか怒ってない?」

「怒ってないよ。でも私はただこの子と話をしたいだけだったの。嫌がらせをしたかったわけじゃないの」


 それをお前らは勝手に邪魔して、ふざけんなよ?

 わたしはただ元クラスメイトだと抜かしたお前らの言葉を信じて、逢坂ちひろのところに案内してほしいとお願いしたんだ。別にお前らみたいな低俗な欲望なんて持ち合わせちゃいないんだ。

 そう思いっきり言ってやりたかったけど、後処理の面倒さを考え、ぐっとこらえた。


「だから気が済んだんなら、向こうに行って?」

「うわぁ、なんかかんじわるーい」

「そうだよアキサ、いつもと違うじゃん」


 いつもってなんだよ。


「!…… あ、あはは、じゃあ行くね」


 どうやら空気を読んでくれたらしい。

 少し顔をこわばらせてはいたけど、いそいそと二人は出口に向かった。

 ああ、一応後で何かフォローしとかないといけないのかな……。

 だるいなぁ、と思いながら、わたしは床に座り込んで体を震わせている彼女に近寄った。

 

「それでやっと本題。六条くんとのことについて相談なんだけど」

「え……?」

 

 呆けたような顔で、わたしを見上げる。

 その目が思ったよりも虚ろで、儚くて、ああなるほどなと思った。

 こういう目が、そういう弱い姿が、異性を引き付けて、同性を煽るんだろう。

 小動物のような愛らしい彼女と、あの人が一緒にいるなんて考えるだけで、だからこんなにもイライラするんだ。


「みんなの気持ち、ちょっとわかった」

「う……?」

「六条くん、知ってるよね?」


 もう一度その名前を出した瞬間、逢坂さんはのどに何かを詰まらせたような顔をした。


「もう近づかないでほしんだけど、できるよね?」

「……え?」

「わたしのカレシなの。だからもう近づかないで?」

「な、なんで……?」

「なんでもなにもないでしょ。なに? 変な相談でもされたの? してたの? そういうのも全部忘れていいから」

「で、でも、保健室に会いに来ることもあるし……。そ、それにタケル君とは去年からの知り合いで、急に態度変えるのはおかしいって思われる……」


 彼女の口から『タケル君』なんてセリフが出てきた瞬間は、頭がヘンになりそうだった。

 こんなに、他人にムカついたの、生まれて初めてかもしれない。

 自然と手で、彼女の胸倉をつかんでいた。

 顔を引き寄せて、彼女を間近でにらみつける。


「急にべらべらしゃべるじゃない。付き合いの差でマウント取るつもり? そんなの全部あんた次第でしょ」

「ぁうぅ……」


 ああ、品行方正なイメージが台無しだ。

 どうしてこう、この子はわたしの頭をかき乱すことばっかり言うんだろう。


「とにかく、次に変な噂がわたしの耳に届いたら、絶対に許さないから」


 そう言い捨てて彼女の体を突き放した。

 もう二度とこんな面倒なことしたくないけど、そうならないかは逢坂ちひろ次第だ。

 他人次第で自分の行動が変わるだなんて、これまた不愉快な状態だなと思った。


 改めて周囲を見渡した時、そこら中に散らばるバケツの水が目に入る。


「あいつら片づけて行けよ……」

 と文句を言いながら、わたしは彼女たちのやらかした後始末をする羽目になった。

 乾いた雑巾を持ってきて、床をせっせと拭く。

 掃除をしている間、逢坂さんはずっと方針したように座り込んでいた。

 なんで帰らないんだろう?



 その後の中学生活で、逢坂ちひろに関連した不快な音を耳にすることもなくなった。

 おのずとそんな記憶も年を重ねるごとに薄れていった。


 ものすごく時間が経って、

 みんなで集まろうって同窓会を計画していた友達から、とある知らせを聞いた。

 逢坂ちひろが自殺したって話だ。


 罪悪感なんてものは別に抱かなかった。

 だってもうずっと前の話だ。あの頃の”わたし”とのやり取りだけで、彼女のその後の人生を左右するとは夢にも思わなかった。

 ただ同窓会が中止になって残念だなぁ、としか思わなかった。


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