第12話 再会の夜に 弐

「カンパーイ!」

「乾杯……」


 目の前に座る水戸瀬とグラスを合わせたとき、何に乾杯なんだろ? というシンプルな疑問が頭に浮かんだ。

 仕事お疲れ様の意味か? それとも久しぶりの再会に?

 彼女はビールを半分まで飲み干してグラスを置いた。濡れた唇が目に留まる。化粧をしているのか、隙が無く整った顔立ちが、室内の照明に照らされてはっきりと見えた。街で目にしたら、思わず振り返って目で追ってしまうぐらいに、やはり美人だ。

 綺麗になってる。見惚れてしまうくらいに。


 僕なんかが目の前にいていいのかと萎縮してしまうぐらいに魅力的に思えた。

 妙な考えを押し流すように、手に掴んでいたハイボールを彼女に習って一気に半分ぐらいまで飲んだ。

 グラスを置いた瞬間、気泡が水面に沸き立って、はじけた。


 金曜日の居酒屋、個室、他の客の声は飛び交ってはおらず、落ち着いて話せる座敷の一室に座っている。

 こういう店に来るのは、初めてかもしれない。


「もしかして緊張してる?」

「いや別に」


 してる。それが顔に出ないように必死に眉間に力を入れている。


「なんかちょっと怖いよ」

「力抜くと、変な顔になりそうなんだ」

「あははっ」


 彼女は手を合わせて笑った。いちいち仕草が控えめなのがまた、妙に琴線に触れてくる。

 異性との会話が久しぶりなせいもあるが、単純に水戸瀬の顔立ちが綺麗すぎて、目のやり場に困るのだ。

 まさかこんな年で、再びこんな葛藤を抱くことになるとは思わなかった。


「それってにやけちゃいそうだから? やっぱり私もまだまだいけるでしょ?」


 悪戯っぽい笑み。その細くしなやかな手を胸に置いて、自慢げにウインクして見せる。

 女と対面で話すのでさえ久しぶりなのに、目の前でそんな仕草をされたら気がどうかしてしまう。


「いや……」


 上手い返しが思い浮かばない。口がもごもごと動くだけで、上手く声に出せない。とりあえず、なんで? という疑問を口にしたかった。

 なんでこんな綺麗な人が、僕と二人きりでお酒なんて飲んでるんだろう。なんで無防備に笑顔なんて振舞ってるんだ。


 なんで僕なんかと再会を望んだんだろう。

 いくら払えばいいんだ?

 不可解なことばかりである。


「やっぱりタケルは大人になっても変わんないなぁ」


 緊張で縮こまっていると、水戸瀬はのんびりとしたテンポで話しはじめる。

 優しくて、気遣うような声音だ。中学の頃、勉強を見てもらっていたときに聞いたものと同じだった。懐かしくて、ノスタルジックな気分になる。


 その時、緩んだ彼女のネクタイの隙間から彼女の鎖骨が一瞬見えた。その胸元には首から掛かっているネックレスが揺れている。目のやり場に困って、視線を壁の方に逸らした。


「そっちも大して変わらないな……」


 そういい返すのが精いっぱい。心臓に悪い距離感だった。

 再会した瞬間から、水戸瀬はどこかおかしかった。まるでつい昨日まで隣を歩いていたかのようなノリで絡んでくる。


「まあとにかく飲みましょうよ。わたしも一週間ぶっ続けで仕事しまくってたからうっぷんが溜まってるの!」

 僕の心の内などお構いなしに、彼女は楽しそうにグラスを揺らした。



              *


 僕はアルコールがそんなに強くない。

 たったの一杯でぶっ倒れるほどじゃないが、真っ赤になる。二杯目を空ける頃には若干ふらふらしはじめる。ただ、自制は効く方だ。

 前に気持ち悪くなって一緒に飲んでいた連中に迷惑をかけたことがあった。それ以来、あまり調子にのって飲まないようにするのが癖みたいになっていた。


「ねぇ、今まで付き合ったのは? わたしだけ?」


 だというのに、そんな質問を、赤く火照った顔で、目を細めながら言われた日には、三杯目もいつの間にか空になっていた。


「そうだよ……」

「ほんとぉ?」


 見栄を張る気分でもなかった。むしろ酔いが回ってなんでも言ってしまえる気分だ。


「いるわけないだろ。高校は男子校だったし、大学は工学科だったんだ」

「ん? それだといないになるの?」

「女子がほとんどいないんだ」


 それもなんだか言い訳臭い気がしてきた。


「じゃあ、女子がいたら付き合ってたわけね」


 なぜかふてくされたような顔をされる。


「いや、ちがうよ……単純にモテない」


 投げやりで情けない声が飛び出して、自己嫌悪する。だけど水戸瀬はクスクス笑っていた。

 そんな反応をされると、また彼女の顔をまともに見れなくなってしまう。見栄を張ることさえできない。

 昔も、彼女にはこんな風に掌で転がされていた気がする。

 恥ずかしさに堪えるようにうつむいた。

 お前は小学生か?と自分に突っ込みたくなる。

 それぐらいに、女性慣れしていない反応になってしまう。僕にはそれがとてもかっこ悪いことのように思えた。


「昔も一緒に居るだけで妙に恥ずかしがってたもんね」

「そ、そんなひょとない……っ」


 噛んだ。恥の上塗りだ。恥ずかしすぎる……。

 黒歴史だと思っている中学時代の話なんて、耳をふさぎたくなる話題ばかりするからだ。


 笑い飛ばせる話ばかりではないはずなのに……。


「それよりも、水戸瀬の方はどうなんだよ……」


 自分の近況に触れられるよりも、水戸瀬のことを話題にしようと思った。

 過去をほじくり返されるよりも、彼女の話を聞く方がよっぽど有意義だ。


「そっちは……相手に困らないだろ」


 無意識に、彼女の手の指を確認していた。

 指輪はしていたけど、薬指ではなかった。

 色々と邪推してしまう。こんな美人、放っておかれるわけがない。

 

 すると水戸瀬は黙り込んで、じっと僕の顔を覗き込んできた。さっき見せたような、ふてくされた顔に戻っている。


「いや、タケルと別れてからまともに恋人なんていたことないから」


 ビールをあおって、テーブルに叩つけるようにジョッキを置く。

 アルコールを飲むペースが速い。少し心配になりつつ、彼女にたずねた。


「いや、そんなことないだろ……」

「いないって言ってるでしょ」


 ふんと鼻を鳴らす。

 その反応からは嘘か誠かまでは読み取れない。


「いい相手がいなかったのよ」


 拗ねたように言う水戸瀬を見ていると、中学時代に似たようなやり取りをしていたことを思い出て、少し可笑しかった。

 改めて、なんでこんな大事な記憶を忘れていたんだろうと思った。

 こうして水戸瀬を前にしていると、細かな仕草や表情が、中学時代の自分の経験の端々で目にしたことがあることに気づいた。

 こんな子と、一年半もの間恋人同士だったのだ。

 一週間でフラれたなんて、なんでそんな無茶苦茶な勘違いをしてたんだろ。


「いまだに僕らが付き合ってとか、信じられないよな……」

「なに当たり前のこと言ってるのよ」

「いやだって、スペックが違いすぎるし……。未だに、なんで水戸瀬が僕に告白したのかわからないよ」


 僕が中古の低スペックPCなら、水戸瀬は確実にハイエンドの超高スペックPCだと思う。


「まーたつまんないこと言ってる」


 水戸瀬はあからさまに不機嫌そうに言った。

 しまったと思った。こうやって空気を読まずに思ったことを口にしてしまうのは、子供の頃からの悪い癖だ。


「ごめん……」

「いいところあるよ。じゃなきゃ告白なんてするわけないじゃん」


 当然のように言う。怒っても、僕を責めたりはしない。

 絶対に距離を取ろうとはしない。

 こんな彼女の優しい一面すら、久しく忘れていた。


「最近、色々と混乱してるんだ」

「なんで?」

「水戸瀬から連絡受けるまで、ずっと忘れてたんだよ。結構長く付き合ってたってこと。しかも、一週間でフラれたなんて思いこんでて……」


 それは電話でも話した内容だった。

 口にした瞬間、彼女は仏頂面になる。


「……そうよ。ちょっと傷ついたんだからね」

「悪かったよ……あの時は気が動転してたんだと思う……」

「まあそういうところ、タケルらしいよねー」


 でもまた無邪気な笑みを僕に向けてくる。そんな姿をみていたら、ずっと聞きたかったことを思い出した。


「そういえば、なんで急にこんな、会おうなんてなったんだ?」


 電話一つとんとん拍子でこうして二人して顔を合わせている。妙といえば妙な状況だ。


「ああ」


 水戸瀬はふと壁の方を見つめながら、のんびりとした口調で応えた。


「なんかね、なんかさ……元気かなってふと気になってさ」


 彼女は腕を組んで、懐かしむように目を細める。


「ある日部屋に一人でぼーっとしてるときにね? すごく寂しくなったの」

「……」


 まるで僕のことを言われているようで、ドキリとする。


「中学高校、仲良くしてた友達はさ、今はもう私の知らない誰かと友達やってたり、旦那さんと一緒だったりするわけ」

「はぁ」

「そういうのってさ、なんかやりきれないよね」

「悲しくなること言うなよ」


 水戸瀬みたいな人がそんな、誰もが抱くような悩みを口にするのは意外だった。


「だよね、悲しくなるよね。だからさ、パートナーとか、色々探したりもしてみたんだ」

「パートナー?」


 思わず反応すると、水戸瀬は恥ずかしそうにうつむいた。


「もしかして結婚相手ってこと……?」


 僕がたずねると、コクコクうなづく。

 水戸瀬も同じ時期に婚活していたということになるのだろうか。なんだか妙な親近感がわいてきた。元恋人に親近感も何もないのだけど……。


「でも、水戸瀬なら相手には困らないだろ」

「そんなことないから」


 彼女は声を張り上げて否定した。


「昔から男の人って苦手なんだよね。話してるとすぐに色目使ってくるし、SNSなんてちょっとやりとりしてやったらすぐにどこ住み? 女? 会わない? とかだよ。いやになっちゃうって」

「なんかまだ学生みたいなことやってんだな……」

「それ、怒っていいところ?」


 いやいや続けて、と僕は慌てて首を振った。


「もちろん結婚相談所とかにも行ってみたけど、出会う男のタイプってあんまり変わらないんだよね。本当にわたしのこと大事にしてくれるの? とか疑わしく思っちゃうの」


 言いながら水戸瀬はまたジョッキを仰いだ。っていつのまにグラスからジョッキに変えたんだ?


「そんなふうに悶々と過ごしてたらさ。ふとタケルのことを思いだしたのよ」

「なんで?」

「なんでってそりゃ……」


 水戸瀬は急に黙った。指でテーブルをなぞりながら難しい顔をしている。

 しばらくそんな仕草を繰り返してから、


「唯一、ちゃんと……好きになった男だったし……」

「……」


 正直、聞こえないふりをしたかった。

 余りにも俺にはもったいないお言葉ってやつで、嬉しんだか、悲しんだか、いろんな感情に心が揺さぶられてしまう。


「……それは光栄だね」

「うわ、なんか反応軽くない?」


 安心してほしい。必死に軽く見せているだけだ。

 男ってのはつまらない生き物だから。こういうとき、かっこをつけたくなるんだ。


「なに笑ってんのよ」

「いや……」


 水戸瀬は変わらず、僕の目の前にいる。

 美人になったけど、とても可愛くて、でも変わらずに妙にお人好しで。


 ああ、あの頃、僕はこの人に恋してたんだなって、

 そんな当時の気持ちを思い出していた。



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