第05話

 ……気がつくと、僕はまたあの場所にいた。

 雪の降り続く世界。

 何も無い世界。

 ここはまるで、終わらない冬に覆われているかのようだった。

 あの子の姿があった。

 泣いている女の子。

 名前の知らない女の子。

 小さな女の子。

 いつも悲しそうに、顔を覆って泣いている。

 だから、僕はその子の顔を知らない。

 この何も無い世界で、あの子はずっと泣き続けている。

 僕の声は届かないし、手も届かない。

 ……でも、今日はいつもと少し違った。

 音のない世界で、僕は確かに――女の子の声を聞いたのだ。

「……お母さん、お母さん」

 初めて聞こえた。

 女の子は、ずっとお母さんのことを呼び続けていた。

 今日はそこで――眼が覚めた。


 μβψ


「うーん……」

 眼が覚めた。

 ……またか。

 むくり、と身体を起こした。

 ……最近、僕は変な夢を見る。

 何も無い真っ白な世界で、女の子が泣いている夢だ。

 見渡す限り雪で覆われていて、空からはずっと雪が降り続けている。

 誰もいないし、何も無い。

 そんなところで、ずっと小さな女の子が泣いているのだ。

 僕はそれを見ているけど、声をかけることも手を伸ばすこともできない。

 ただ、見ているだけだ。

 自分でも変な夢だなと思う。それに、この夢を見た時は妙に記憶に残る。

 いつから見始めたのかは定かじゃない。

 でも、何となく寒くなり始めた頃からだったと思う。

 そう、ちょうど彼女――真白さんのことを見かけるようになったあたりからのような気がする。

 ……って、まぁただの偶然だろうけど。

「ん?」

 ふと部屋の壁かけ時計を見ると、いつもなら家を出ている時間だった。

「……あれ?」

 見間違いかと思った。

 でも、そうじゃなかった。

「……」

 一瞬で目が冴えた。

 慌てて一階に降りると、ちょうど夢子が家を出ようとしているところだった。

「あ、お兄ちゃん。もしかして今日学校休み?」

「なわけないだろ!? 平日だよ!?」

 にしし、と夢子は意地の悪い笑みを浮かべた。

「お兄ちゃんが寝坊するなんて珍しいねえ……弘法も木から落ちるってやつだね」

「偉人を猿といっしょにするな!」

「ま、しょうがないから朝ご飯は用意しておいてあげたよ。あ、わたしは先にいくら。じゃ」

 非常に恩着せがましい、つ小憎らしい顔を浮かべながら、夢子は先に家を出て行った。

 ぐ、ぐぬぬ……あいつに朝食を用意されてしまうとは。

 一生の不覚だ。

 しかし、朝食に罪はない。

 悔しいけどあいつの用意した朝食は美味しく頂いてしまった。

 ゆっくりしている暇もなく、僕は家を飛び出した。

 いつものところにカブを停めて、駅のホームまでダッシュした。

 何とか学校にギリギリ間に合う電車にギリギリ乗ることができた。

「……はあ、何とか間に合った」

 さすがに二人の姿はなかった。この電車だとかなりギリギリだからな。

 ……それにしても、昨日のあれは現実だったんだろうか。

 流れる風景を見ながら、昨日のことを思い返した。

 今でも嘘みたいだ。

 思い出すと思わず顔がにやけそうになった。

 慌てて顔を引き締めた。

 ……でも、どうして真白ましろさんは僕を引き留めたんだろうな?

 思い返せば、彼女がどうして僕を引き留めたのか、その理由がよく分からなかった。

 何だかすごい一生懸命な顔だったけど……。

 ……。

 は!?

 もしかして、真白ましろさんが僕に一目惚れを……?

 なんて、そんなわけないか。

 逆はあってもそれはない。

 そう、逆はあっても――

 胸の辺りが急にどきりとした。

 真白ましろさんのことを思い出した途端、急に胸のあたりが苦しくなったような気がした。

 ……あ、あれ?

 やべ。

 これは……もしかして本当に惚れてしまったのでは……?


 μβψ


 駅からも再びダッシュだった。

 学校には間に合った。

 むしろ思ったより早く着いたくらいだった。

 よかった……。

 ほっと胸をなで下ろした。コバセンって遅刻にうるさいからな。

「おは――」

 教室に入っていつものように陽介と信一に声をかけようとした途端、ものすごい勢いで立ち上がった二人にそのまま廊下へ連行された。

 ……え?

 え? なに? どうしたの、これ?

 二人がかりでがっちりサイドを固められ、そのまま人気ひとけのないところまで連れてこられた。

「……ワケを聞こうか」

 陽介がドスの効いた声を出した。目がちょっとヤバイ。

「……ええと、何の話? ていうかもうすぐホームルーム始まる時間だけど……」

「んなもんどうだっていい」

「いや、どうでもよくはないんだけど……」

「おい、信一。どうやら蒼汰のやつはしらばっくれる気みたいだぜ?」

「ほう? しかしそうはいかんぞ、蒼汰。ネタは上がっているんだからな」

「だから何の話?」

 すると陽介がポケットからスマホを取り出し、その画面を僕につきつけた。

 そこには僕と真白ましろさんの写真が写っていた。

 場所は明らかに、昨日のマックだった。

 僕は驚いた。

「え!? い、いつの間に!? もしかしてあの時マックにいたの!?」

「ああ、オレも驚いたぜ……」

 陽介は回想するように遠くを見た。

「……おれと信一はゲーセンの帰りにマックに寄ったんだ。男二人だ。周囲には学校帰りのカップルの姿もあった。おれはリア充どもは全員、木っ端微塵に爆発すればいいと思いながら席についた。そうしたらどうだ。帰ったはずのお前がいるじゃないか。しかも女の子と一緒だった。おれは混乱した……何が起こっている? これは夢か? しかも女の子は死ぬほど美人だった。おれは訳が分からなかった……!!」

 陽介は頭を両手で抱えた。その様子は発狂寸前の廃人のようだった。

 代わりに信一がずい、と眼鏡を光らせながら前に出てきた。

「しかも、この女子は千蘭女学院せんらんじょがくいんの生徒だ。蒼汰、なぜお前があのお嬢様学校の生徒と知り合いなんだ?」

「え? せ、せんらん……? 有名な学校なの?」

「当たり前だろう。千蘭女学院と言えば、それこそ言わずと知れた超お嬢様学校だ。生徒の送り迎えは高級車が当たり前、学校内では『ごきげんよう』と挨拶をするようなところだぞ? おれたちみたいな庶民とは根本的に生きる世界の違うお嬢様の通う学校だ」

「……」

 ……え?

 じゃあ真白ましろさんって、もしかして本当にお嬢様だったのか……? 確かにそんな感じはあったけど……。

「ていうか信一、なんでその学校だって分かるの?」

「ん? 制服を見れば分かるだろう?」

「いや、そんな知ってて当然みたいな顔されても……」

「さあ、これはどういうことだ!? 吐け!!」

 陽介は取り調べをする刑事のような形相になった。

「えっと、それは何て言うか……」

 ……どう説明すればいいんだ?

 正直ちょっと困った。

 どういう経緯でそうなったのか、それをどう説明すればいいのだろうか。

 だが、二人は僕の沈黙を『こいつは何か隠している』と捉えたようだった。

「……蒼汰。おれはお前を見損なった」

 信一が怪しくメガネを光らせていた。

「おれたち三人は一蓮托生、一心同体……あの日、そう誓ったよな?」

「いや、誓ったことないけど……?」

 いつの日の話をしているんだ、こいつは……?

 しかし、信一はよく分からない迫力のまま言葉を続けた。

「これは許しがたい裏切り行為だ。紳士協定違反だぞ。もはや極刑に値する行為だ。死刑になってもおかしくない」

 陽介もこれに同意するように大きく頷いた。

「ああ、その通りだぜ……さぁ、どういうことか話してもらおうじゃねえか。まさかとは思うが……この子がお前の〝彼女〟だなんて、言ったりしないよな……?」

「さあ、どうなんだ?」

 二人がヤバイ目で迫ってきた。

 ……ああ、なるほど。

 僕は合点がいった。

 こいつらは、真白ましろさんを僕の〝彼女〟だと勘違いしているようだ。

 もちろん、それはただの勘違いだ。真白ましろさんは〝彼女〟でも何でもない。たまたま、本当に偶然の積み重ねでああなっただけだ。

「……やれやれ、何だそんなことか」

 僕は思わず肩を竦めてしまった。

 ここは正直に言おう。

 真白ましろさんは〝彼女〟じゃない。ただ一緒にマックでご飯を一緒に食べただけだ。そもそも連絡先だって知らないのだ。

 そうすれば二人も「何だそうだったのか」とほっと胸をなで下ろすだろう。友情は元通りだ。

 と、頭ではそう思っていたのだが――

「ま、バレちゃったら仕方ないよね……」

 ……残念ながら、僕は驚くほど小物だった。

「「!?」」

 二人の顔に狼狽が浮かんだ。

「ま、待て!? お前、まさか――まさか本当にそうなのか!?」

「いや、そんなはずはねえ!? そんなはずは――!?」

「黙ってるつもりはなかったんだけど……なかなか言い出す機会がなくてね」

 ふっ、と僕は笑った。

 ……うーん、やっちまったな。

 と思いつつも、口は勝手に動いた。

「「!?!?!?!?」」

 二人に更なる衝撃が襲いかかったようだった。

「そ、そんな……相手は超がつくようなお嬢様だぞ!? いったいどこで知り合ったっていうんだ!?」

 信一はこの世の終わりを目の当たりにしたような顔になっていた。

 僕の小物っぷりはますますエキサイトした。

「いや、本当に隠してたつもりはなかったんだけどね……まぁ言うタイミングがなかったんだよね……ははは」

「は!? もしかして、最近寄り道しないで帰るようになったのは……そういうことだったのか!?」

 陽介が何かに気づいたような顔をした。

 どういうことも何も、あれはただお金を貯めるために節約していただけだ。

 でも、僕は「ふっ」と笑った。

「ま、そういうことかな……」

 あああああああああああああ!!

 口が勝手に喋るうううううう!!

 この日、僕は本当にしょうもない嘘を吐いてしまった。

 ……そう、〝嘘〟だったはずだ。

 少なくとも、この時点では。

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