第4話 コールドスリープ

コールドスリープ装置のもとへ向かう途中、アルドはジョージに話しかけていた。


「——ジョージさん、ナターシャはそんなにエリーさんに似てるのか?……というか奥さんとは随分と歳の差婚なんだな。」


ジョージは少しはにかんだ。


「いや、そうではないんだ。ナターシャは、私が若かった頃……、初めて出会ったときのエリーにそっくりなんだ。エリーもバルミダ病にかかったことがあってね。何から何までそっくりだ。——とても他人とは思えないよ。」


「そうだったのか……。驚くのも無理ないな。もしかしたら血縁者か何かなのかもな。」


「……そうかも知れないな。」


アルドとジョージは、サイラスとナターシャのやや後ろを歩いている。



「ところで、バルミダ病っていうのは結局どういう病気なんだ?」


訊ねるアルドに、ジョージは歩みを止めることなく答える。


「……そうだな。話しておこう。——バルミダウイルスは魔物が好む香りを発するんだ。それが魔物を引き寄せる。宿主の体の、皮膚が薄い部分、手首や肘の裏、膝の裏なんかに湿疹が出るのが特徴だ。基本的には寄って来た魔物に襲われて亡くなってしまうのが先だが、ウイルスが宿主のエネルギーを糧にしているために、宿主が衰弱死してしまうケースも稀にある。ナターシャはときどきふらつくと言っていただろう?少し体が弱っているかも知れないね。出来るだけ早く病院に連れて行こう。」


「——ああ、そうしよう。」



アルドとジョージは前を歩いている2人に追いつこうと歩みを早めた。



一方サイラスはナターシャの質問責めに遭っていた。


「——ねぇ、サイラスさんはどうしてカエルの姿なのですか?サイラスさんは人間の食事を食べるのですか?それともカエルと同じものを食べるの?」


まるで幼い子どものようだった。

これまで身寄りもなく友達もいなかったため、誰かと普通に会話すること自体が嬉しいのだ。



「いっぺんに聞かれても答えられんでござる!」


サイラスは口をへの字に曲げ、目をつり上げる。


「じゃあ何が好きですか?わたしの病気が治ったらお礼にご馳走しますから。」


「そういうことなら、『みるくてい』がいいでござる。」


サイラスは頬を緩ませた。

なかなかに『みるくてい』が気に入ったらしい。


「紅茶にミルクを入れたやつのことですね?とっておきの茶葉で入れてあげますね。アルドさんとジョージさんは何がいいかしら。」


ナターシャは後ろから追いついて来たアルドとジョージにも同じように聞く。


「アルドさんとジョージさんは何がお好き?サイラスさんにはミルクティーをご馳走するの。」


「——では私も紅茶を頂こう。」

「——オレも同じものを頼むよ。」


ジョージとアルドは答えた。



アルドはナターシャに訊ねる。


「——そのあとは何をするんだ?」



「……そのあと?」


「病気が治ってみんなにご馳走したあとさ。」


「うーん、考えてませんでした。砂漠でいつ死んでもいいと思ってましたから……。」


ナターシャはうつむいた。



「もともと身寄りがない身ですから、病気が治っても行くあてなんてないんでした……。」


「………」


アルドとサイラスは黙り込む。

自分たちの旅に連れて行く、という選択肢もよぎったが、病気が治ったとしてもナターシャには少しばかりハードではなかろうか。

そう考えると提案できない。


アルドとサイラスの表情を読み取り、ジョージが提案する。


「そういうことならうちに来るといい。私ももう歳だ。助手の1人も欲しいと思っていたところでね。部屋もひとつ余っているし、どうだろう?——問題は、エルジオンでの市民権取得ぐらいかな。それもまぁなんとかなるだろう。私の生き別れた孫ということにでもしておこう。」


ジョージの提案にナターシャは目を輝かせる。


「ホントに!?いいのですか!?」


「もちろんだが、——不安はないのかい?未来の世界で生きていくことになるが……」


ジョージは喜ぶナターシャに再確認した。



「ジョージさんのところで助手をやって……、ときどきアルドさんやサイラスさんが遊びに来るの……。素敵だわ。今から楽しみです!」


「ああ、きっと楽しい生活が待っているよ。エイミやリィカ、セバスちゃんたちにも紹介するよ。友達がたくさん出来るぞ。」


アルドにも笑顔がこぼれる。




「未来ってどんなところなんだろう……。」


ナターシャは800年後の世界に想いを馳せる。


「——未来の馬車には馬がいらないんだ。」


「——しかも宙に浮いているでござるよ。」


アルドとサイラスはエルジオンの様子をあれこれと話して聞かせた。

高くそびえる建物、言葉を話す機械仕掛けの人形、ボタンひとつで提供される食事。話し尽くすことが出来ないほどだ。

ナターシャにとってはどの話も新鮮だった。



「すごいなぁ。早く見てみたいです。」


ナターシャの心は希望に満ち溢れていた。



和やかな空気が4人を包んでいた。





楽しく会話をしているうちに、4人はコールドスリープ装置のもとへ辿り着いた。


「合成鬼竜はまだ来ていないな。」


アルドは目の上に手をかざしてひさしを作りながら上空を見渡した。


「鬼竜が到着するまでここで休もう。」


他の3人はうなずいた。




アルドとサイラスとジョージは、エルジオンに着いた後の段取りを打ち合わせていた。

合成鬼竜のエアポートへの着岸、医大病院への道のり、入院の手続き、市民権の取得——他にも諸々話し合うことがあった。





(——ドサッ)


何かが倒れる音が聞こえた。



3人は振り向くと目を疑った。

目に映ったのは倒れ込んだナターシャの姿だった。




「ナターシャ!!」


誰よりも早く駆け寄ったのはジョージだった。


「ナターシャ!しっかりしろ!くそっ!まさかこんなに症状が進行しているなんて!」


ジョージはナターシャを抱きかかえる。


(はぁ……はぁ……)


ナターシャの呼吸は浅い。


その様子を見たアルドはジョージに問う。


「ジョージさん!どういうことだ?ナターシャは大丈夫なのか?さっきまであんなに楽しそうだったのに、どうしたって言うんだ。」



ジョージは眼鏡の奥に悔しさをにじませている。


「……さっき話した通りだ。宿主が衰弱死してしまうケースがある。——まさに今、ナターシャはウイルスに蝕まれて、死ぬ間際にあるということだ。……なぜもっと早く気付いてやれなかったんだ。」


ジョージの言葉で状況を把握したアルドはあせり始めた。


「どうにかならないのか!?助ける方法はあるんだろ!?」


ジョージはゆっくりと首を横に振った。


「ワクチンがあるのは私の時代だ。合成鬼竜でどんなに急いでもナターシャの残りの体力を考えると間に合わないだろう。」


「そんな……」


アルドは落胆した。


ジョージは険しい表情のまま続ける。


「……しかも悪いことに、このウイルスは宿主に死が近づくと、魔物を引き寄せる香りをより一層強くする。」


「……それってつまり……。」


アルドが言いかけた言葉に被せるようにサイラスが口を開く。


「——もう遅いようでござるな……。」


サイラスは刀を抜くと身構えた。


「……囲まれているでござるよ。」


アルドが周りを見渡すと、一行はすでに無数の魔物に囲まれていた。


「くそっ!こんなときに!」


アルドも剣を構える。



数秒の静寂の後、1匹の魔物がアルドたちに向かって走り出したのをきっかけに、無数の魔物たちが一斉に襲いかかる。


魔物たちはナターシャをめがけて突進してくる。

アルドとサイラスは魔物をナターシャに近づけまいと押し返す。


1匹1匹を個別に相手にするならば苦戦することはなかったであろう。

しかしながらその数たるや、一斉に襲いくる魔物たちに、アルドとサイラスは持ちこたえるのがやっとだった。




一瞬の出来事だった。

アルドとサイラスの隙を突いて蜂のような魔物が毒針を放つ。毒針はまっすぐにナターシャに向かった。



「——しまった!」


アルドが声を漏らした次の瞬間。


(——ドスッ——)


毒針が肉に突き刺さる鈍い音が鳴る。



アルドは押さえつけている魔物をすぐさま振り払うと、牽制しつつナターシャの方を振り返った。

見ると毒針はナターシャではなくジョージの背中に突き刺さっていた。

ナターシャをかばったのだ。



「…ぐぅぅっ……」


深々と刺さった毒針に、ジョージは苦悶の表情を浮かべる。



「どうして……。」


アルドは思うよりも前に言葉が漏れていた。


ジョージは声を絞り出す。


「どうして……だって?そんなの決まってる。……助けたかったからだ。私はこの娘に助けると約束したんだ。少し旗色が悪くなったからと言って投げ出すことなんて出来ないよ。……キミたちだってそうだろう?……だから今だって必死に戦っている——。」


アルドは魔物の攻撃を剣で受けながらジョージの言葉を聞いていた。


「でもこのままじゃ、ナターシャも…、ジョージさん、あんたも死んでしまう!」



ジョージは毒がまわり、意識が遠のき始めた。


ナターシャの呼吸はさっきよりも浅い。


アルドは焦った。2人を助けることができない、その考えがだんだん濃くなっていく。



「——諦めるのはまだ早いでござる!」


サイラスだった。


「アルド!すぐに2人をこおるどすりーぷ装置に入れて起動させるでござる!」


サイラスは魔物の攻撃を受け流しながら叫ぶ。


「——あの中では人の時も凍ると聞いたでござる!息がある内に2人の時間を一旦止めるでござるよ!そうすれば毒の影響もウイルスの影響も止まるはずでござる!あとのことは魔物を片付けてから考えるでござる!!」


アルドはサイラスの言葉で気を持ち直した。


「わかった!でも手が離せないぞ!どうするんだ!?」


「拙者が時間を稼ぐでござる。」


サイラスはそう言うと、『はぁっ!』と一度気合を入れ、目を見開くと、物凄い速さで魔物をなぎ倒していく。

超速にして剛腕。魔物が次々に宙を舞った。



(サイラスってこんなに強かったのかよ)


アルドはその凄まじい動きに一瞬見惚れてしまう。


「長くはもたないでござる!アルド!急ぐでござる!」


アルドはサイラスの言葉にハッとして、急いでジョージに駆け寄った。


「ジョージさん!さぁ、装置の中へ!」


そう言ってアルドはジョージの腕を抱えようとしたが、驚いたことに、ジョージはその腕を振り払い、自分の力で起き上がった。



「……その手があった……。」


そう呟くジョージの目には生気が戻っていた。


ジョージは体を起こすとコールドスリープ装置を操作し始めた。

背中には毒針が痛々しく刺さったまま、口からは血が溢れていた。



装置上部の扉が開くと、ジョージはすぐそばに横たえているナターシャに視線を移す。

そのままナターシャの華奢な体を抱きかかえ、装置の中にゆっくりと降ろした。


アルドは呆然とその光景を見ていた。



一方、サイラスと魔物は沈黙している。

魔物たちはサイラスの圧倒的な強さに恐れおののき、後退りした。

サイラスは動きを止め、刀のきっさきを魔物たちに向けたまま睨みをきかせている。

サイラスは実のところもう動けない。それでもそのことを魔物に悟られないように、呼吸するたびに激しく上下してしまいそうな肩を押さえ込んでいる。


「——邪魔はさせんでござる。」


サイラスはひときわ低い声で言った。


その鬼気迫る表情に魔物たちは一歩も動けない。

一歩でも動けば、瞬時に斬って捨てられる。

魔物たちはそう感じているようだった。



まもなく、ジョージは装置を起動する準備を終えた。


「……ありがとう、サイラス君。キミのおかげで気付くことが出来た。アルド君もありがとう。どうやらこの娘を助けることが出来そうだ。装置の中でナターシャは冷凍し仮死状態となる。サイラス君が言ったとおり、ナターシャの時間を止められる上に、おそらくウイルスの活性も弱まるはずだ。」



「なに言ってるんだ!ジョージさんも早く装置に入ってくれ!」


アルドは叫ぶ。

ジョージの行動を見て、言葉を聞いて、予感した最悪の事実を、アルドは信じたくなかった。

だが、どうしたところでその予感が事実として突きつけられることは、もはや明らかだった。









「———————この装置は1人用なんだ。」


ジョージの声は優しかった。





ナターシャとジョージ、どちらかしか助けられないことをアルドは理解した。


しばし沈黙が流れた。





サイラスは魔物を睨んだまま口を開く。


「……ジョージ殿、それで良いのでござるか?ジョージ殿はきっと死ぬでござるよ?」


アルドはなにも言葉に出来ずにいる。


「装置に——、ジョージ殿が入れば、自分が助かる上に、その装置で将来救える命がたくさんあるかも知れないでござるよ。——ジョージ殿と奥方の夢だったのでござろう?」


同じ言葉がアルドにもよぎった。だが口に出来なかった。

サイラスの言うことは、裏を返せばナターシャのことを諦めるということ。

本当はサイラスも口にしたくないのだろう。それを自分が言えない代わりに言ってくれている。

そのことがアルドにはよく分かっていた。


普段は何を考えているか分からないサイラスだが、こんな場面ではいつも年長者らしいことを言う。

同じことを自分には出来ない。

こんなことがあるたびに、アルドは自分の不甲斐なさを痛感する。






「——ああ、これでいいんだ……。」


呟いたジョージは装置にもたれ掛かりながら、ナターシャを見つめる。


もうほとんど光を映していないその目は、装置の中で横たわるナターシャと、初めて出会ったときの棺桶に横たわるエリーを重ねていた。


ジョージは薄れゆく意識の中で、死が間近に迫っているとは思えないほど暖かな感覚に包まれていた。




ふとジョージの視界が明るくなった。


目の前には初めて出会ったときのエリーがいる。

最果ての島でエリーが棺桶から出てきたときだ。


(——これは?……記憶?なるほど、これが走馬灯体験というやつか。そうそう、こうして私たちは出会ったんだ。……ああそうか、あれは棺桶ではなかったんだ。)




結婚式のときのエリーの姿だ。


『ジョージ、あなたはいつかきっと命の選択を迫られるわ。そのときあなたは自分の命を投げ出してでも誰かを助けようとするはずよ。でもね、私はあなたに生きて欲しいの。絶対に無理はしないでね。』


(——すまないエリー。……でもね、ここで命を投げ出さなければきっとキミと出会えなかっただろう。キミと過ごした日々が、無かったことになってしまうなんて、そんなのは嫌だよ。私はキミと過ごした素晴らしい日々を失いたくないんだ。)




最期のときを迎えるエリー。


『装置の完成を見られなくて残念だけど、きっと上手くいくわ。そんな顔しないで。たくさんの人たちを救うことができるのよ。アルド君とサイラス君にもよろしくね。——ジョージ、私はあなたと一緒に生きて来られて本当に幸せだったわ。ありがとう……。』






(—————幸せだった………か。)






『——スタンバイ、オールレディ——』


静寂したその場に機械の音声が響く。


『——サンジュウビョウゴ、コールドスリープシークェンス、スタートシマス——』


装置の液晶には30、29、28……とカウントダウンが表示された。


意識が薄れ、まどろんでいたジョージだが、機械の音声を耳元に感じ、ほんの少し意識を取り戻した。


ジョージは横たわるナターシャに語りかける。



「……キミは必ず幸せになる。それを私は知っている。だから——安心して眠りなさい。おやすみ、エリー……」




……3……2……1、——上部の扉が閉まり、装置が起動する。


(ガチャッ——プシューッ——ヴィィィィン……)





ジョージは装置の横で仰向けに寝そべった。


ジョージの目に映る空は、もうほとんどぼやけて見えないが、最果ての島でエリーに出会った、あのときの空によく似ていた———。




コールドスリープ装置から機械の音がしなくなった頃、魔物たちは散り散りに去っていた。

ウイルスが活性を弱めたからか、魔物を引き寄せる香りがおさまったようだ。


サイラスは刀を鞘に納めジョージに歩み寄る。

ジョージはすでにこと切れていた。

ジョージの傍にはアルドが座り込んでいる。



「……オレ、なにも出来なかったよ。」


うつむくアルドの肩に、サイラスは手を置いた。


「アルド…、お主はお主に出来ることを精一杯やったでござる。少なくともアルド自身が自分で決めてここへ来たことで、1人の少女の命を救う結果になったでござる。——誇っていいことでござるよ。」


「そうなのかな。」


アルドはジョージに視線を送る。


「ジョージさんはこれで良かったのかな。この装置でたくさんの人の命を救うのが、ジョージさんと奥さんの夢だって話していたのに。」


サイラスは答える。


「将来救えるかもしれないたくさんの命は、確かにあったでござる。それでもジョージ殿はたったひとつの命を救うことを自ら選んだのでござるよ。……アルドならどうしたでござる?」


アルドは少し考える。



「うーん、どうだろうな。選べないや。」


「そうでござろう?拙者もでござる。」


サイラスは続ける。


「ジョージ殿の選択を、拙者らが否定することは出来ないでござるよ。それに———」


サイラスは持っていた手拭いでジョージの顔を拭った。


「——本人が満足なら、これが一番良かったのでござろう。」


ジョージは目を閉じて優しく微笑んでいた。





程なくして合成鬼竜の巨大な影が彼らの頭上を覆った。

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